- 撒骨葬は許されるか?
- 長距離通勤の許容と使用者責任(安全配慮義務)の有無(その2)
- 長距離通勤の許容と使用者責任(安全配慮義務)の有無(その1)
- (準)強制性交罪等における被害者(支援)の立場からの判例検討
- 公務災害における被災者の故意・重過失について
- 公務災害と通勤災害の境界線はどこですか?
- 懲戒処分のための「自宅待機」期間中の給与の支払義務の有無
- 人を勝手に撮影すると処罰されるのですか?~無断撮影行為と刑事責任
- 多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(後編)
- 多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(前編)
- 初詣と「お賽銭」
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撒骨葬は許されるか?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
市営霊園のお墓を「墓閉まい」として、墓に埋葬している遺骨を海洋に「海上撒骨(かいじょう さんこつ)」をしたいのですが、どのようにすれば、「海上撒骨」ができるのでしょうか。
日本の社会は、少子高齢化社会から多死社会・人口減少社会へと移行しようとしていると言われています。団塊の世代が、後期高齢者へと移行していく中での激変現象の1つとして「墓閉まい」がありますが、そもそも、埋葬方法として墓や納骨堂は造らずに自然葬で行おうとする需要が多くなっているようです。その自然葬の1つとして「撒骨葬」があります。
それについての法的問題を説明していきましょう。
1、「撒骨」についての法的見解
(1)「撒骨(散骨)」とは
まず、自然葬とは、遺骨を海や山など自然の循環の中に戻すことで、墓石などの人工物を用いない葬送方法の総称です。具体的には、海洋散骨や山間散骨のように細かく砕いた遺灰を散骨する方法や、土に戻る骨壺などを使って自然の中に埋葬する樹木葬などが該当します。自然葬の種類の中の1つに「撒骨(散骨))」があります。
(2)「撒骨」についての法的見解
海洋散骨や山間散骨のような「散骨(撒骨)」が法的に許されるかどうかについては、①刑法第190条の「遺体遺棄罪」に該当しないかどうか、②お墓や遺骨の関係についての法律としては、「墓地・埋蔵等に関する法律(墓埋法)」に違反しないかどうかの点を検討しなくてはなりません。
① 刑法第190条「遺体遺棄罪」は、「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。」と定めていますが、「撒骨」は、細かく砕いた遺骨や遺灰にしますので、遺骨を「損壊」し、正式な埋葬をしないで「遺棄」したことになる可能性があります。しかし、大正13年3月4日の古い大審院判例で「遺棄とは、宗教風俗上埋葬と認められない方法によって地中に埋葬する場合をいう。」とされており、法務省の見解(平成3年10月)としては「社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのは刑法第190条の目的だから、葬送のための祭祀で節度をもって行われる限り問題はない」との見解であり、刑法犯として責任を問われることはないようです。
② 墓地・埋葬等に関する法律(墓埋法)第4条第1項では「第四条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。」と定めていますが、「埋葬」及び「埋蔵」に該当しない「撒骨」については、法律の定めはなく、墓地以外の場所での「撒骨」が禁止されるのかは明確ではありません。そういう意味では「撒骨」も禁止されているわけではないという解釈になろうかと思います。厚生労働省の見解も同じです。
但し、撒骨する場合は、撒いた遺灰の上に葉や土などをかけてはいけません。土をかけると「埋葬」になるからです。そのため、遺灰・遺骨の「埋葬」となる樹木葬は、認可を受けた墓地でしか行えないことになります。海上撒布方法での「海上撒骨」は海に埋没しても「埋める」という概念にはならないので「埋葬」ではないとされます。
2、墓閉まい時の遺骨の移動についての法律の定め
(1)上述したように、お墓や遺骨の関係についての法律としては、「墓地・埋葬等に関する法律(墓埋法)」という法律があります。
その第4条第1項で「第四条埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。」と定める以外に、第5条第1項で「埋葬、火葬又は改葬を行おうとする者は、厚生労働省令で定めるところにより、市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)の許可を受けなければならない。」と定めています。そのため、仮に「撒骨」が法律上許されるとしても、一旦お墓に埋葬された遺骨を移動させる場合には、少なくとも、第5条第1項の「改葬を行う」場合の行為の一部になりますので、市町村長の許可を得て遺骨の取り出し及び移動を行う必要があります。
(2)撒骨方法での改葬について、改葬許可が得られるかどうかについて
行政実務上「改葬」許可の審査は、「墓地、埋葬等に関する法律施行規則」第2条第1項第5号「改葬の理由」、同第6号「改葬の場所」を記載した「許可申請書」を提出し、更に同規則第2条第2項第2号「墓地使用者等の改葬についての承諾書」等の書類添付が必要とされていることから、かかる改葬先が適法であるかどうかを確認した上で、改葬許可証が交付される仕組みとなっています。つまり、改葬先が墓地ではなく、改葬承諾書の無い「海上撒骨」や「山間撒骨」については、この改葬許可証が交付されないことから、遺骨の取り出しと移動自体ができないことになります。
3、実際に「海上撒骨」(撒骨葬)が行われているのはなぜか?
それでも、テレビやインターネット上で「海上撒骨」(撒骨葬)の映像が流れたりするのはどういう事情からなのでしょう。
(1)1つは、「海上撒骨」(撒骨葬)を業としている業者の主導で行われているのがほとんどのようですが、インターネット上での業者による手続説明として「散骨は、法律で定める『改葬』にはあたりませんが、自治体によっては申請時に改葬先を自宅にて供養とすることで改葬許可証の取得が可能です。改葬許可証が取得できない場合には墓地管理者に遺骨引き渡し証明書を作成いただく方法で行います。」という例がありましたので、何らかの作為的工夫をしているようです。
(2)もう1つは、遺体の火葬焼骨後に、お墓へ埋葬しないで、そのまま「海上撒骨」(撒骨葬)を挙行する場合だろうと思われます。
それが可能と思われる理由としては、「墓地・埋葬等に関する法律(墓埋法)」第4条第1項では「第四条 埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。」と定めていますが、「埋葬」及び「埋蔵」に該当しない「撒骨」については、墓地以外の区域でも可能と解釈でき、葬送のための祭祀で節度をもって行われる限り、刑法にも違反せず、お墓に埋葬していない以上は市町村の改葬許可の対象にもならないと解釈できるからです。
4、昨今の対応方法
昨今は、散骨葬の要望が多くなってきている状況に対して、市町村においては、撒骨葬などの自然葬の古来の風習からではなく、個人の死後の自己決定権の一つとして散骨葬が主張されてきている点を重視して、市町村運営の墓地の中に「自然葬地区」「撒骨葬地区」を設けていいます。一旦お墓に埋葬した場合でも、そのような墓地の中の「自然葬地区」「撒骨葬地区」への改葬許可については積極的に許可を与えていくという取扱いをしていくことが行政実務としても多くなったようです。少子化・人口減少社会となり子供たちの世代において「墓守り」等の祭祀承継が負担となる傾向となっていく今後においては、このような撒骨葬等の自然葬が多くなっていくのだろうと思われます。
以 上
長距離通勤の許容と使用者責任(安全配慮義務)の有無(その2)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談事例)
従業員Aを○○市内店舗次長➡▽▽町内店舗店長へ人事異動として発令したいと打診したところ、A本人より「異動には従いたいが子供の受験や妻の体調不良などが気になるので通勤(高速道路使用90分程度)を希望したい」と申告がありました。
(1) 人事担当者として、A本人の希望に対して柔軟に対応できる様に、ある程度の通 勤距離の上限を設け、転居をするか、通勤するかの選択が判断できる仕組み(就 業規則等への制定)にしておきたい。また、かかる就業規則の定めのないままで もA本人と覚書等を交わして運用できないか?
(2) ○○市内から▽▽町内店舗まで有料道路を利用した場合に往復90分(片道45 分)圏内の移動時間になるが、このような長時間通勤は社会通念上許容できる範囲にあるのか?
1、転勤の必要性について(前回)
2、長距離通勤と安全配慮義務について
(1)労働者の通勤に関する安全配慮義務の有無(前回)
2、長距離通勤と安全配慮義務について
(2)会社が指示した場合の長距離通勤の合理的範囲と過労死基準から見た基準
一般的には、長距離通勤については、「負荷」ばかりではなく「休息・余暇」の側面もあるとされています。特に、電車通勤の場合で座席確保ができる場合などは、自家用車通勤の場合と異なって、「読書」「音楽」「パソコン利用」「報道内容見聞」などの自分の趣味・余暇時間に利用できる面があります。その点は、自家用車通勤の場合でも、「音楽」「ラジオ聴取(報道内容見聞)」が可能ですから、負荷と考えなくてもよい面はあるのですが、自家用車通勤では、運転に意識を集中する必要があることから、身体的精神的負荷が大きい(判例上、出張時の出張方法で、公共機関利用時間は負荷評価が低いが、自家用車出張は実質労働時間負荷と評価されている。)とされています。
田舎で公共交通機関の利用機会が少なく、困難である地域においては、自家用車通勤にならざるを得ないので、通勤時間は「休息・余暇」よりも「労働負荷」の側面を考慮せざるを得なくなります。
①長時間通勤と過労死基準(残業時間による睡眠時間の不足)について
どの程度の長距離通勤が距離や時間の上限規制となり得るか?(労働負荷と評価さ れる場合の長距離通勤の上限はどの程度か?)
過労死基準における労働負荷の基準は、基本的には労働時間を基本にして 判断されていることから、通勤による過重負荷は、「通勤距離」ではなく、「通勤時間」が基準となることに留意する必要があると思います。
ⅰ)参考調査:2016年に行なわれた総務省統計局の調査によると、都市・地方を含めて、移動手段を全て含めた日本の通勤時間の全国平均は片道39.5分で、インターネット上の情報ではあるが、アットホーム株式会社によるアンケート結果(2014年7月15日付)によると、日本人の平均通勤時間は片道58分とされています(「理想は片道35分」まで)。
また、株式会社リクルートが運営する不動産・住宅サイト『SUUMOジャーナル』の「通勤時間、何分以内ならストレスがかからない?」(2015年9月24日付)によれば、通勤時間が片道約1時間の人はそれなりにストレスを感じているようです。
ⅱ)一日1.5時間(90分)、月40時間以内の時間外労働時間は、残りの余裕時間でストレス回復が可能であり、疲労回復としての睡眠時間が6時間~7時間取得可能として、労災の「過労死基準」としては「弱(通常労働の負荷と同じ)」とされています。
これと同等の基準で、自家用車通勤では通勤時間を検討することが今の法的基準であろうかと考えます。往復90分(片道45分)以内は問題ありません。片道45分を超える自家用車通勤は、過労死基準上は問題が生じます。大まかな基準時間を私論として述べれば次のとおりです。
週休一日の場合には、本業以外の、一日3時間~4時間、月80時間~100時間の残業稼働や運転行為は、1日の睡眠時間が3~4時間程度となり、疲労が回復できる睡眠時間の確保ができないとされています。通勤往復3時間(片道1時間30分(90分))は安全配慮義務違反となる可能性がありますので、それ以下の通勤所要時間にすべきですし、また、週休二日の場合でも、3時間(片道1時間30分)を超えるような通勤方法は認めるべきではないだろうと思います。
②長距離通勤者へのその他の安全配慮方法
・通勤時間がより短時間になるように、高速道理使用ルートを通勤ルートとして届出を させる。(通勤届)
・家族等の都合で転居移動ではなく、長距離通勤方法を取る従業員(労働者)に対し ては、帰りが遅くなった場合や疲労が蓄積した場合には、通勤と異なる代替方法(ホテル宿泊・会社の仮眠室利用)を取るように指導助言する(本人の誓約書提出)
・自宅での睡眠時間確保に努める様に指導助言する(本人の誓約書提出)。
・適宜、長距離通勤を止め、転居移動する方法を検討するように指導・助言する。
3、その他の疑問へのご回答
① 通勤距離が長くなることは通勤災害のリスクも高くなり、覚書を交わすことは逆に通勤距離が長く、リスクがあることを容認していることにならないか。(覚書等を交わす必要があるのか)。
➡(回答) 長距離通勤、長時間通勤については、交通機関利用の場合ではなく、自家用車通勤を認める点でリスク(労働者の身体的精神的負荷)を生じさせることになります。「覚書」等がなくとも、そのリスクは安全配慮義務の一つとして考慮されてしまうことになりますので、逆に、覚書等で通勤者の意識を高める必要があります。その他のリスク(事故時の賠償義務等)回避のためにも自家用車通勤を認める場合には、交通損害保険の加入も必須の条件にすべきこととなります。
② もし事故などが起こった場合は、訴訟になるリスクが高くならないか。企業責任を問われるリスクはどうなのか。
➡(回答) そもそも、自家用車通勤を認めること自体が、交通事故等の裁判のリスクを高くすることになります。さらに、長距離通勤が過労蓄積の一因となっている場合には、交通事故の加害者となった従業員の死傷に関しても企業責任を問われる可能性があることになります(前回掲載 平成30年2月8日に横浜地裁川崎支部の和解案件)。その意味でも、上記「長距離通勤者へのその他の安全配慮方法」を取っておく必要があります。
③ 介護や家族環境の把握をどこまですべきなのか。
➡(回答)この点は、長距離通勤の可否の判断要素ではなく、長距離通勤が発生する「配転(転勤)」命令の違法性・無効の判断要素になります。昨今のワーク&ライフ・バランス(仕事もプライベートもどちらも充実させる働き方・生き方)等を目指す「働き方改革」からは、他の親族に任せる人がいない場合の「介護や看護、受験等の家族環境」の要素は仕事よりも重視されることになります。家族の自宅介護が必要な職員に、転居又は長距離通勤が生じる「転勤」を命令することは違法ということになる可能性があります。 しかし、このような家族の「ライフ」部分は個人情報の部分ですので、個人情報保護の観点から、従業員個人が「転勤できない事情」として言い出さない限り、会社が強制的に情報提供を求めたり、一方的に調査したりすることはできません。
しかし、昨今においては、転勤異動案を従業員に提示する場合には、「転勤できない事情があればその事情を詳しく話してもらうことが必要になりますので、何でも申し出てください。」と付言する必要があるでしょう。そして従業員個人から提示された段階で、「ライフ」の部分の情報が取得できることになります。従業員から何ら提示されない場合には、会社の責任の有無の判断要素にはなりませんので、「ライフ」の部分を考慮しないということで会社の責任が問われることはないことになります。
問題は、従業員から提示された場合に、どこまで詳細に把握する必要があるかどうかです。それはケーズバイケースになりますが、少なくとも、従業員に詳しい話をしてもらう機会を与えること、転勤を取りやめにしなくてはならないほどの「ライフ」事情として会社で把握したい事項を質問しておくということは必要になるのだろうと思います。
以 上
長距離通勤の許容と使用者責任(安全配慮義務)の有無(その1)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談事例)
従業員Aを○○市内店舗次長➡▽▽町内店舗店長へ人事異動として発令したいと打診したところ、A本人より「異動には従いたいが子供の受験や妻の体調不良などが気になるので通勤(高速道路使用90分程度)を希望したい」と申告がありました。
(1) 人事担当者として、A本人の希望に対して柔軟に対応できる様に、ある程度の通勤距離の上限を設け、転居をするか、通勤するかの選択が判断できる仕組み(就業規則等への制定)にしておきたい。また、かかる就業規則の定めのないままでもA本人と覚書等を交わして運用できないか?
(2) ○○市内から▽▽町内店舗まで有料道路を利用した場合に往復90分(片道45分)圏内の移動時間になるが、このような長時間通勤は社会通念上許容できる範囲にあるのか?
1, 転勤の必要性について
まず、本件長距離通勤を要する勤務先への転勤については、「転勤」命令そのものが違法・無効とならないかの判断が必要になります。
この点、「東亜ペイント事件」(最二小S61.7.14判決、労判477.6)が示した、「配転命令」に関する判断枠組みが確定していますので、それによる判断が必要です。その判断基準の概要は以下のとおりですが、次に述べるような「特段の事情」があれば、転勤命令が権利濫用になって転勤命令自体が違法になります。
① 業務上の必要性が無い場合
② 不当な動機・目的による場合
③ 労働者が「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる」場合
この判断枠組みは、会社側の事情(①②)と従業員側の事情(③)の両方を対比し、バランスを取るという構造になっています。一般的に、労働者に対して配転命令(転勤命令)をする場合でも、無制限に命じられるわけではなく、上記のように,業務上の必要性や不当な目的がないことや当該労働者に通常以上の不利益が生じないことなどの制約があります。
参考判例として、東京地裁平成27年7月15日判決は、精神的疾患を有する労働者に対する配転命令(従来通勤時間が片道約1時間であったところ、片道2時間半程度と通勤時間が増えてしまう)等の有効性を判断するにあたっては、「精神的疾患を有しない患者と比較して、より慎重な判断が要求される」という前提で、
「具体的な判断材料として、当該労働者からの労働者側の個人事情等の事情聴取を十分にし、当該労働者の精神疾患に関する診断書を参考にするのは言うまでもなく、さらに当該労働者の主治医に対しても意見を聴取するなど相当な判断資料に基づいて慎重に判断する必要があるにもかかわらず、そのような慎重な判断に基づかず配転命令をした場合、当該配転命令が無効と判断されるだけでなく、そのような配転命令をしたこと自体が安全配慮義務違反を構成し債務不履行責任を負う。」
としています。
この点で、一般労働者の場合でも,転勤先への長距離通勤を強いることが、「③労働者が通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合」に該当するかも考慮する必要になると思われます。(配転命令と安全配慮義務)
一般に、転勤は、勤務場所のほか、仕事の内容や対人関係等あらゆる面で変化を伴うものであり、転勤を命じられた者に一定の心理的負荷を生じさせるものであるから、転勤を命ずる使用者としては、これを踏まえた上で労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意すべきである(東京地裁平成27年7月15日判決)ということになりますが、通常は、転居や通勤の身体的・精神的負荷も考慮して判断することになります。
この点は、長距離通勤方法を労働者本人が選択した場合、長距離通勤が使用者の安全配慮義務の問題となるかというところで判断することになります。
2,長距離通勤と安全配慮義務について
ネット情報ですが、徹夜勤務明けにバイクで帰宅途中、事故死した新入社員の両親が、過労による睡眠不足が原因として勤務先に損害賠償を求めた訴訟で、平成30年2月8日に横浜地裁川崎支部が、通勤中の事故にも企業側に安全配慮義務があるとして「過労事故死」と認めた上で、和解勧告したと報道された事案があるようです。この事案が、長距離通勤の事例かどうかは判明しませんが、ここでいう「過労による睡眠不足」には、通常の労働の過労以外に長距離通勤(自車運転通勤の場合)の過労も含まれていく可能性があります。
なぜなら、出張方法に関して、公共交通機関利用時間は労働負荷評価は低いが、自家用車出張は実質労働時間負荷に準じて評価されていることが判例上の実例だからです。
(1) 労働者の通勤に関する安全配慮義務の有無
まず、通勤距離や通勤時間の上限規制は、労基法にもその他の法律にも定めはありません。
また、通勤災害の場合についても、その通勤方法は会社の指揮命令ではなく、労働者の個人の判断で選択していること、通勤自体は業務そのものでもないことから、会社側に安全配慮義務違反や不法行為などが認められるケースはなかなか考えにくいと言えます。
従業員(労働者)の通勤方法を会社が指示している場合(労働者の選択ではない場合)に、労働者の状況からみて、その通勤方法が不適当と認識していたにもかかわらず、適切な指示を怠った場合には、会社側に安全配慮義務違反が認められる可能性もあります(例えば、労働者に過剰な残業を課しており、顕著な睡眠不足が認められ、運転を誤る可能性が高いにもかかわらず、自動車やバイクでの通勤を指示していた場合などが考えられます)。
但し、会社の指示ではなく、従業員(労働者)本人の選択の結果、会社が「認容」していた場合にまで会社の責任が及ぶとは考えられません。(本人の自己責任の範囲です)
次回は、「会社が指示した場合の長距離通勤の合理的範囲等」についてご説明していきます。(次回に続く)
以 上
(準)強制性交罪等における被害者(支援)の立場からの判例検討
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.性犯罪に関する特徴について
(1)性犯罪には、痴漢や盗撮などの迷惑防止条例違反に該当するものや、公然わいせつ罪、強制性交等罪、児童売春など刑法が成立するものがある。性犯罪は種類が多く、再犯率が高いため、平成29年に施行された刑法改正によって、厳罰化されている。令2年には内閣府男女共同参画局で関係府省会議が開催され、令和4年度までの3年間を「性犯罪・性暴力対策の集中強化期間」と位置付けていた。
なお、平成27年度犯罪白書の再犯調査によると、再犯状況の調査対象となった者のうち、罪名を問わないすべての再犯の割合は全体の20.7%で、そのうちの67.4%が性犯罪の再犯者に該当しており、中でも小児わいせつや痴漢、盗撮の再犯率が高い傾向にある。
(2)性犯罪者の傾向(一般犯罪者と対比して)
一般犯罪者は、「学校に行かない」、「仕事が続かない」、「社会からドロップアウトしている」、「家族との絆が薄い」、「法廷で適切な言動ができない」、「前科がある」という人が多いのであるが、性犯罪者は以下のような異なる面がある。
① 裁判官からみて一般情状は良い(学歴が高い、有職者が多い、職場・家族の評価は悪くない等)
② 法廷の態度は、無罪を主張するか、真摯な反省を見せるかの両極端になる。
③ 性犯罪の前科等があっても、一般犯罪の前科・前歴は無いか少ない。
④ 善良な社会人、良き家庭人に見えることが多い。
性犯罪者の多くは、一見普通の社会人生活を過ごしているように見えながら、性犯罪に走る原因としては、女性に対して〝ゆがんだ考え〟を抱いている点にあるとされている。その「考え」は、性犯罪者に特徴的な傾向で、普通の感覚では理解できない〝認知のゆがみ〟といわれている。性犯罪者に特有の〝認知のゆがみ
〟はいくつかあるが、1つは「女性は自分が強姦されることを空想している」とい うゆがんだ考えである。常識的に考えてそんな女性はいない。しかし、性犯罪者の多くは「女性はそういう空想をしている」と勝手に思い込んで、犯行のイメー
ジを膨らませているのだとされる。もう一つは、「女性は嫌がっているが、本当は喜んでいる」というゆがんだ認識である。犯行の最中に女性は嫌がり抵抗しても、性犯罪者はその様子を「本当は喜んでいる」というふうに違った目で見ているのである。このように女性が喜んでいると思い込んでいるために、そこで性犯罪の犯行をやめることはないのである。
このような発想があるのは、アダルトビデオや官能小説の想像の世界に限られるはずなのであるが、アダルトメディアが現実の性犯罪の犯行に大きな影響を与えているのではないかと思われる。科学警察研究所の調査研究では、「アダルトビデオを見て自分も同じことをしてみたかった」と答えた性犯罪者は、強姦を犯した少年では50%にのぼり、成人でも37.9%を占めているという報告もある。
(3)性犯罪の被害者への影響
性暴力被害は、被害者の心身に長期にわたり深刻な影響を与える。
「性と生殖に関する健康」の侵害・・・意図しない妊娠やエイズを含む性感染症等
「精神健康」の侵害・・・うつ病やPTSD等
「社会行動上の影響」・・・無防備な性行為や若年期からの過剰な性行動、又は性的行動の拒絶と嫌悪
「生命に関わる転帰」・・・自殺や危険な妊娠中絶、レイプによって生まれた子供の殺害
2.性犯罪の種類
(1)性犯罪は、暴力や接触が伴う性犯罪と暴力や接触が伴わない性犯罪の2つに分類される。
・暴力(有形力)が伴う性犯罪 強姦 強制わいせつ 痴漢 児童売春
・暴力(有形力)を伴わない性犯罪 盗撮 露出 下着泥棒 覗き 公然わいせつ 児童ポルノ製造
暴力を伴わない性犯罪が規定されているのは、被害者に対して直接的な暴力や接触 がなかったとしても、被害者に精神的苦痛を与えることに変わりはなく、今後、暴力
や接触が伴う性犯罪に発展する可能性が高いと考えられていることから,処罰の対象 となっている。
(2)強制性交等罪(旧強姦罪)における性交等とは「性交」「肛門性交」「口腔性交(性交等)」を指す。刑法第177条、第178条第2項、第179条第2項に規定されており、5年以上20年以下の懲役が刑罰として設けられている。
・強制性交等罪 13歳以上の者に対して暴行・脅迫を用いて性交等した
・準強制性交等罪 人の心神喪失・抗拒不能に乗じて、またはその状態にさせて性交等した
・監護者性交等罪 18歳未満の者に対して、監護者であることを利用して性交等した
なお、「強制性交等罪」は、2017年(平成29年)の法改正により「強姦罪」の名称 と内容が改正されたもので、この改正によって男性が被害者の性交等罪も成立するようになっている。
3.準強制性交等罪に関する法的検討
(1)準強制性交等罪の構成要件(平成29年改正時点)
〇刑法第177条「十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。」
〇刑法第178条「1 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をた者は、第百七十六条の例による。
2 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。」 準強制性交等罪は、強制性交等罪と異なり、暴行又は脅迫ではなく「人の心神喪失若しくは抗拒不能な状態を利用すること」又は「人を心神喪失若しくは抗拒不能状態にさせること」のいずれかを手段とする点に特徴があり、準強制性交等罪の例として、泥酔して判断能力のない女性を襲うような場合が挙げられる。他にも、心神喪失・抗拒不能な状態として、相手が気絶している場合や治療行為と誤信させて抵抗が困難な場合などが挙げられる。
(2)準強制性交等罪の構成要件上の問題点(筑波大学教授 原田隆之氏の見解参照)
準強制性交罪は、その構成要件のハードルが非常に高い。被害者が心神喪失・抗拒不能な状態になること、そして、加害者が「心神喪失・抗拒不能な状態であること」を認識していること(犯意又は故意)が必要であることが求められているのである。
これは、人権としての行動の自由保障として罪刑法定主義の厳格な要請及びそれに伴う冤罪防止の要請に適うようにするためである。性交は、密室で二人きりで行われるものであるため、第三者の目撃者証人等や客観的証拠が存在しないことになることから、一方が勝手な主張をして相手を陥れることもできるのである。たとえば、本当は同意のうえでの性行為であったものが、喧嘩した腹いせに、女性側が同意していないと訴えるケースがないわけではない。また、いわゆるハニートラップと呼ばれるように、故意に企てることも可能なのである。
したがって、このようなことを防ぐ意味で、強制性交罪の場合に、「明らかな暴行脅迫」があることが必要であるとされているのと同様に準強制性交の場合は、「明らかな抗拒不能の状態にある」ことが必要とされている。「明らかな」というのは、先に述べたように,たとえば被害者は恐怖に怯えたり、相手に精神的に支配されていて抵抗ができない状態であったとしても、加害者側がそれを認識していない (故意がない)と,罪に問えないということなのである。
さらに,準強制性交罪の成否を決めるために重要な「同意」にしても、「抗拒不能状態」にしても、それらは人の内心的なもの又は心理的なものであって、客観的に目に見えるものではない場合が多いため、罪刑法定主義の観点からこのような厳密な条件が課せられているのである。
(3)裁判例の検討
① まず、判例上は、「刑法178条にいう抗拒不能は 物理的・身体的な抗拒不能のみならず、心理的・精神的な抗拒不能を含み,たとえ物理的・身体的には抗拒不能といえない場合であっても,わいせつ,姦淫行為を抗拒することにより被り又は続くと予想される危難を避けるためその行為を受け容れるほかはないとの心理的・精神的状態に被害者を追い込んだときには
心理的精神的な抗拒不能に陥れた場合にあたるということができる。」とされている。(東京地判昭和62年4月15日,東京高判平成11年9月27日等)
不同意性交等罪が規定されていない日本刑法において(その後、令和5年刑法改正で不同意性交罪が規定されている)、これまで裁判実務で欺罔による性的行為が準強制わいせつ罪・準強制性交等罪の処罰対象となったのは、被害者が錯誤によって心理的抗拒不能に陥っていたと認定された事例に限られていた。
②次に、抗拒不能との判断は誰を基準に判断するかという点につき、
○被害者本人基準説
抗拒不能な心理的・精神的状態に追い込んだか否かは、危難の内容・行為者及び被害者の特徴・行為の状況などの具体的事情を資料とし当該被害者に即し
その際の心理や精神状態を基準として判断すべきであり、一般的平均人を想定し、その通常の心理や精神状態を基準として判断すべきものではない。 刑法一七八条は、個々の被害者の性的自由をそれぞれに保護するための規定であるから、犯人が当該被害者にとつて抗拒不能と言いうる状態を作出してわいせつ、姦淫行為に及び、もつてその性的自由を侵害したときは、当然その規定の適用がある。(東京地判昭和62年4月15日,東京高判平成11年9月27日)
○一般的平均人基準説
抗拒不能状態の判定にあたっては、「通常その年齢層の婦女であるならば心理的に『抗拒不能』になるという一般性を有しなければならないとするドイツ判例の考え方。
日本の判例では、「困惑・驚愕・狼狽の念を起させ 自由なる意思のもとに行動する精神的余裕を喪失させ、行為者の姦淫行為を拒否することが不能又は著しく困難である状態の判定にあたっては
「抗拒不能」に至ったとされる原因行為者及び被害者の認識,行為時の状況,行為後の状況を慎重に検討し婦女の心理状態の程度内容を客観的に考察するとともに,その状態は通常その年令層の婦女であるならば心理的に「抗拒不能」になるという一般性を有しなければならない。」とする判例もある。(岡山地判昭和43年5月6日)
③準強制性交罪成立のための犯行者の主観的要件について
被害者が,強度の精神的混乱から、犯行者に対して拒絶の意思を示したり、抵抗したりすることが著しく困難であったという「抗拒不能又は抗拒困難」な場合には、被害者は、それ故に、性交に当たって被告人に対して拒絶の意思を示したり、抵抗したりしないし、仮に抵抗的態度を取ったとしても消極的に抵抗するにとどまったり、黙示的に同意した素振りを取ってしまうことがあり得ることから、犯行者においては、自分の行動が被害者にそのような異常な精神的混乱状態を招く可能性があると理解していない又は理解できなかった可能性が生じることがあるが、準強制性交罪の成立要件としては犯行者にどのような主観的要件が備わる必要があるのであろうか?
準強制性交罪は故意犯であり、「故意が成立するためには、相手方(被害者)が抵抗困難な心理状態にあることを認識して行為に出る必要がある。」とされている。(大谷實著『刑法各論〔第
4 版〕』2017年性犯罪規定改正に対応するための追補)「被害者の心神喪失又は抗拒不能に加え、それを利用して性行為に及ぶことを認識していること」が必要だという見解も同旨であろう。
判例も故意の認定を前提としている。(平成26年12月11日福岡高裁宮崎支部判決、令和元年3月12日福岡地裁久留米支部判決、福岡高裁令和2年2月5日福岡高裁判決)
故意の認定をどのようにして行うかについては、実際には、「性行為前後における被疑者の被害者に対する具体的な言動、性行為に移行する具体的状況、性行為後に被害者に対して口止め等をしているか否か、他に発覚することを危倶しているか否か、被疑者につき類似の被害申告や苦情相談がないか否か、などの事情を総合的に勘案して認定する」ということになる。かかる観点からすれば、前述したように、性交に当たって、被告人に対して拒絶の意思を示したり、抵抗したりしないし,仮に抵抗的態度を取ったとしても消極的に抵抗するにとどまったり、黙示的に同意した素振りを取ってしまうことがあり得ることから、犯行者においては、自分の行動が被害者にそのような異常な精神的混乱状態を招く可能性があると理解していない又は理解できなかった可能性が生じ、故意が否定される場合があることになる。
○ 2019年(令和元年)3月12日福岡地裁久留米支部判決~社会人サークルである スノーボードサークルで、他の者にテキーラ等を大量に飲まされ酩酊させられた
状態であった女性を姦淫した事案で、性交の承諾があったものと誤解したという ことで故意を否定した。但し、控訴審・福岡高裁令和2年2月5日福岡高裁判決
において逆転有罪となっている。
〇 平成26年12月11日福岡高裁宮崎支部判決~自らが主催する少年ゴルフ教室の生徒であるA (当時18歳)が 厳しい師弟関係から被告人に従順であり、かつ被告人を恩師として尊敬し、同女に対し卑わいな行為をするはずがないと信用していることに乗じ、ゴルフ指導の一環との口実で同女をホテルに連れ込み姦淫した事案で、「初めて性的関係を結ぶに当たって、具体的な拒絶の意思表明がなく、精神的混乱状態を示すような異常な挙動もなく、被害者の反応がないことを緊張や羞恥心から来るものと軽く考えていた可能性がある。」として、抗拒不能であることの認識=故意がなく無罪とした。
(4)準強制性交罪の「故意」に認定について
以上のように判例上では,加害者側が「抗拒不能であったことを認識していなかった」ということで,準強制性交罪の「故意」を否定して無罪となるケースが出てきている。
福岡地裁久留米支部の無罪判決は、「女性はたしかに抗拒不能状態にあったが、男性にはその認識がなかった」というのが理由である。女性から明確な拒絶の意思がなかったため、男性は「女性が許容している」と思い込んだという犯行者側の主張が認められたのである。このように、立証が非常に困難な性犯罪において、限りなく黒に近いが、疑いの余地が残るということで、無罪となったのだとすれば、それは刑事裁判の鉄則である「疑わしきは罰せず」ということなのかもしれないが、しかし、それ以上に以下の二点に原因があることが認知されなければならない。
(ア) 一つ目は、「抗拒不能」の判断基準を被害者本人基準説として判断する場合の限界としての問題である。「抗拒不能」の判断基準を一般的平均人基準説として判断する場合には、一般人が認識できる事情を基礎に判断することになるので、「抗拒不能」と判断された場合には、一般人としての犯人においても当然に「抗拒不能」であることの認識ができていたことになる。そのため、犯人においての故意も認める方向に働くのであるが、被害者本人基準説として判断する場合には、被害者本人しか知らない事情(例えば,被害者に生じた内心的な異常な精神混乱状態など)も考慮されることになることから、「抗拒不能」と判断された場合であっても、犯人においては全く知らない事情が存在し、犯人においても当然に「抗拒不能」であることの認識ができていたことにはならないのである。
(なお、この点の克服方法としては、被害者の困惑や畏怖等の「心情」の認識の有無については、行為者の優越的地位や性交に至った経緯などにより客観的な事実から推認すべきであり、故意の認定に際しては、犯行者が「被害者が抗拒不能の状態に陥る原因となった事情」を認識していたことで故意を認める手法が採用されるべきである)。
(イ) 二つ目は、性犯罪や被害者の心理に関するこの種の経験則に裁判官が明らかな無知であることが大きな原因であるとされることである。 性犯罪者の「同意があった」「抗拒不能とは思わなかった」という弁解は、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。レイプ犯が抱くこのような「認知のゆがみ」には、数多くのものがあり、それは「レイプ神話」と呼ばれている。ほかにも、「露出の多い服を着た女性は、性行為を誘っている」「子どもにも性欲があって性行為を望んでいる」などが代表的なものである。これらは意図的で白々しい嘘とは違って、加害者本人すら気づいていない「認知のゆがみ」であるので、法律が求めるように、被害者が抗拒不能であることを犯行者が認識することなど、土台無理だということになる。このような心理状態を知らない裁判官は、まんまと乗せられてしまうことがある。裁判官が、性犯罪の実態を知らなすぎるのではなかろうか。
実際は、被害者において、大きな恐怖や困惑を抱くような場面では、「解離」という一種の変性意識状態に陥ることが珍しくない。それは、そのときの心理を通常の心理状態から切り離してしまうことであり、危険な状態において、心を守ろうとする「正常な」な反応である。それを周囲から見れば、更に「認知のゆがみ」による影響もある場合には、かかる被害者はさしたる抵抗もしていないように見えたり、被害者も受け入れているようにすら見えてしまうのである。
このような、被害者の実際の心情を考慮しなかったり、また逆に「認知のゆがみによる」犯罪者の主観的認識や認識不可能性を考慮したりすることによって、被害者の行動の判断や犯罪者の故意の有無の判断がなされてはならないのである。
(5)小括
このように性犯罪の刑事裁判実務は、犯罪被害者の心情や実態に合わない判断がなされている面があり、強制性交罪に成否を被害者の同意・不同意の明確な要件で構成する方向で改善されなければ、法治主義の充実が図られないのではないかと言わざるを得ない。
(注記)最後に―令和5年の刑法改正について
本稿は、令和4年7月に初稿として書き上げたものですが、それ以降、刑法における性犯罪の規定に関して大きな改正がなされました。令和5年の刑法改正による不同意性交罪の姿は、Noモデル(
被害者の拒絶意思に反して性交に及ぶ場合のみを処罰するという方式(No means no モデル))を基本に、Noと言えない状況下の客観的事由により「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」の場合を処罰するという「不同意性交罪」の定め方にしていますので、本稿の「準強制性交罪に関する問題点」は解決されつつあります。
以 上
公務災害における被災者の故意・重過失について
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
昨今、学校の先生方の「休日無しの過剰な勤務」等勤務時間超過による公務災害が問題視されるようになってきています。前回に引 き続き、公務員における公務災害補償に関する問題点を検討していきます。
地方公務員災害補償法
第三十条 (休業補償等の制限) 職員が故意の犯罪行為若しくは重大な過失により、又は正当な理由がなくて療養に関する指示に従わないことにより、公務上の負傷若しくは疾病若しくは通勤による負傷若しくは疾病若しくはこれらの原因となった事故を生じさせ、又は公務上の負傷、疾病若しくは障害若しくは通勤による負傷、疾病若しくは障害の程度を増進させ、若しくはその回復を妨げたときは、その者に係る休業補償、傷病補償年金又は障害補償については、総務省令で定めるところにより、その全部又は一部の支給を行わないことができる。
(1)公務災害における休業補償等の制限
上記の地方公務員災害補償法第30条に規定されているように 、地方公務員である職員(被災職員)が、故意に災害を発生させた場合は、公務災害の認定要件である「公務起因性」が否定されるので、その災害は公務災害とは認められないという取扱いになります。例えば、公務遂行中に意図的に自分の指を刃物で切断した場合や機械に手を入れて腕を切断した場合等はその例になります。
しかしながら、(1)事故そのものの発生を意図したという故意はないが、自己の行為により「一定の犯罪行為を発生させる意思」をもってその行為を行い、その結果事故が発生した場合、又は(2)故意ではないがこれに近い程度の「重大な過失」によって事故が発生した場合には、その災害について公務上か公務外かを判断しなければならず、公務上と認められた場合には、休業補償、傷病補償年金又は障害補償について、一定の支給制限を行うことができることとなっています。
この補償に係る支給の制限を設けた趣旨は、被災職員に故意の犯罪行為又は重大な過失がある場合については、特に過失相殺的な考え方を取り入れ、国や地方自治体の補償責任の一部を免除し、責任分配の公平を図る趣旨によるものであり、且つ、災害の防止等について職員の安易な考えをやめさせ、公務災害に対する注意を喚起する効果をも考慮したものだとされています。
(2)具体例
「故意の犯罪行為又は重大な過失による」場合としては、
① 職員が法律、命令等に定める危険防止に関する規定に違反して事故を発生させた場合 (具体的な例としては、公用車を運転中、タバコを取るため片手ハンドルでわき見運転をしたため、センターラインをオーバーして対向車と衝突し、負傷した場合)
② 勤務場所における安全衛生管理上取られた安全策が一般に遵守されているにも かかわらず、これに違反して事故を発生させた場合 (具体的な例としては、ストーブの使用方法・灯油注入方法が定められていたにも関わらず、休憩所内で衣服を乾かすため、ストーブを点火したまま灯油を注入し、火が燃え上がって負傷した場合)
③ 監督者の事故防止に関する注意若しくは公務遂行上の指揮監督が、一般に遵守又は励行されているにもかかわらず、これに従わないで事故を発生させた場合
(具体的な例としては、清掃車のステップ乗車禁止を常日頃から厳しく注意されていながらステップ乗車して、清掃車から振り落とされて負傷した場合)
などが指摘できると思います。
(3)判断基準
① 「故意」とは、一般に、自分の行為が一定の結果を生ずべきことを認識し、かつ、 この結果を生ずることを認容することであり、「重大な過失」とは、わずかな注意をすれば容易に結果を予見・回避できたにもかかわらず、漫然と看過したというような著しい注意欠如の状態であることを言います。重大な過失は、単なる過失(単に漫然と看過した場合)よりも重い注意義務違反の状態であり、ほとんど故意に近いと位置づけられています。
② しかし、公務災害の補償制限にいう「故意の犯罪行為又は重大な過失による」というには、例えば、学校の先生が「これ以上多忙な状態で休日無しで残業を続けると、自分は倒れるかもしれない」と思っていた場合のように、被災労働者が結果の発生を単に認識
していても、その認識とは関係なく休日も無く、残業も連続するような過剰な勤務とい う業務遂行と被災結果(病気)との因果関係が認められる事故については、「故意」と
して取り扱われません。なぜなら、公務災害の補償制限にいう「故意の犯罪行為又は重大な過失」とは、「犯罪行為」と明記されているように、事故発生の直接の原因となっ
た行為(上記の例では「わき見運転」「灯油の注入行為」「作業規則違反のステップ乗車行為」が、法令 (労働基準法、道路交通法等)上の危害防止に関する規定で、罰則の付さ
れているものに違反すると認められる場合に限定されているからです。
③ どのような場合が「故意の犯罪行為又は重大な過失」に該当するかは、具体的な事実に即し、諸事情を勘案して判断することとなるのですが、一般的には、明らかな法律違反があるか否か、一般に遵守・励行されている任命権者等の注意事項等に違反しているか否か、また、違反をしたその行為が、災害発生に有力に寄与しているか否かなどにつ
いて、詳細に検討をした上で判断することとなります。
職場の状態を憂慮しながら職員が無理して働いた結果、病気で倒れた場合に、第三者や判断者が「被災者本人もこうなることは分かっていただろうに」というような非難は、法的には何ら意味のないものであり、法30条の趣旨とは全く異なるものであることを留意していただく必要があろうかと思います。
以 上
公務災害と通勤災害の境界線はどこですか?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
地方公務員災害補償基金は、平成30年に「学校職場での公務災害を防止するために」のパンフレットの中で「学校職場では、公務に伴う怪我等の災害が依然として多く発生している」と指摘しています。クラブ活動や体操指導に伴う身体的被災例もありますが、通勤途上の事故による被災事例も多いようです。今回は、通勤災害の補償対象になるかという一般的論点ではなく、あまり論点となっていない、公務災害と通勤災害はどの段階から区別できるのかという問題を検討してみます。
1、公務災害も通勤災害もその補償は,同じ法(国家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法)に基づいて実施されることになっていますが、給与関係や服務上における取扱いは異っています。公務災害の場合は,給与及び服務関係において被災職員が不利益になら ないように取扱われることになっており、他方、通勤災害の場合は,そもそも国や地方自治体が、公務遂行上としての使用者責任を負わないことから、一般の私傷病と同様に取扱われることになっています(なお、民間労働者の場合の労働災害補償においても、業務災害は労働基準法で補償が義務付けられているものの、通勤災害は労働基準法での補償義務はないので、明確に区別されています)。
2、公務災害の要件
公務災害とは、公務に起因して又は公務と相当因果関係をもって発生したと認められる災害をいいます。公務災害として認定されるためには、原則として「公務遂行性」と「公務起因性」の2つの要件が必要とされています。
公務遂行性・・・・・・公務に従事し、任命権者の支配管理下にあるときの災害であること
公務起因性・・・・・・公務と災害との間に相当因果関係があること
3、通勤災害の要件
通勤災害とは、労働者が通勤により被った負傷、疾病、障害又は死亡を言います。通勤災害は、「通勤遂行性」と「通勤起因性」により、通勤災害に該当するかどうかを認定しますが、「通勤遂行性」の判断に必要な「通勤」とは、就業に関し、
(1)住居と就業の場所との間の往復
(2)就業の場所から他の就業の場所への移動
(3)住居と就業の場所との間の往復に先行し、又は後続する住居間の移動
を、合理的な経路及び方法により行うことをいい、業務の性質を有するものを除くものとされています。
4、公務員の場合の公務災害と通勤災害の勤務上の差異は、下の比較表にまとめるとおりです。
公務災害及び通勤災害に対する勤務上の措置の原則的定めの比較表
事 項 | 公務災害 | 通勤災害 | 根拠法令 基準法 |
|
身 分 的 事 項 |
解雇制度 (公務員の場合には免職制限) |
公務員は,その意に反し,療養のため休業する期間及びその後30日間は解雇(免職)してはならない | 解雇(免職)することができる | 地方公務員第58条で適用除外されていない労働基準法第19条及び地方公務員法第28条第1項第2号 |
年次休暇の繰越 | 20日以内で前年の未使用日数(端数切捨) | 公務災害と同じ | 職員の勤務時間,休暇等に関する条例 | |
出勤簿の表示 | 病気休暇(2年以内) | 病気休暇(90日以内) | 職員服務規程 | |
休職期間 | なし(但し、症状固定までの期間) なお、3年を経過した際に打切り補償で免職することは可能 | 3年 | 職員の分限に関する条例及び地方公務員法第58条で適用除外されていない労働基準法第19条等 | |
経 済 的 事 項 |
給与 | 病気休暇・休職期間 100/100 | 病気休暇・休職期間 100/100 | 職員の給与に関する条例 |
昇給 復職調整(勤務したものと見做す換算機関率) | 3/3以下 | 3/3以下 | 初任給,昇格,昇給等の基準に関する規則 |
5、公務災害と通勤災害の境界線は?
公務災害と通勤災害の措置にそのような差異があれば、次のような場面では、公務災害となるのか通勤災害になるのか、その判断は重要になります。また、通勤災害の定義として「業務の性質を有するものを除く」とっていることから、その区別は明確にしておく必要があります。次の具体例によって、公務災害と通勤災害のどちらになるのかを検討してみましょう。
<事例1>
学校職員甲女は、午後6時に業務を終えて、通勤用の乗用車に乗って退勤しようと校舎の通用口を出て、校内敷地内に指定してある職員駐車場に向かう途中、雨で濡れていた路面で足を滑らせて転倒し、傷害を負った。
<事例2>
上記の場合に、学校来校者がよく利用し、隣接の市役所来訪者も利用している、校舎敷地道路対面の駐車場に止めていた自分の通勤用の乗用車へ向かう途中に、雨で濡れていた当該駐車場の路面で足を滑らせて転倒し、傷害を負った。
(1) 地方公務員災害補償法第2条(及び国家公務員災害補償法第1条の2)の定める 「通勤」は、「住居と勤務場所との間の往復」とされており、「住居」と「勤務場所」 が相互に「始点」又は「終点」となる範囲で生じた災害が「通勤災害」ということに なります。この「始点」「終点」となる場所と「勤務場所」との境界線はどこなので しょう?
基本的には、一般人の通行が自由に認められている地域か否かで線引きされます。また、勤務場所とは、職員が職務を遂行する場所として、明示又は黙示の指定を受けた場所を言いますが、原則として任命権者の支配管理が及ぶ範囲である敷地範囲からの出入口まで及ぶことになります。
(2) 以上の基準で、事例1、事例2を検討します。 まず、事例2から検討しますと、明らかに学校敷地を出て、一般人も通行も自由な状況で市役所利用者が利用している駐車場での災害ですから、公務外となり通勤災害になります。
次に、事例1を検討してみると、職員は既に校舎を出ているものの敷地内の指定駐車場であることから、公務外になるのかどうか判断に迷うところです。しかし、そもそも校舎敷地内は一般の自由な通行や出入りは認められておらず、校内敷地は管理者の支配の及んでいる範囲であり、校内敷地内である職員駐車場にも管理者の支配は及びますので、この場合はまだ「勤務場所」と判断され、公務災害となると考えられます。
以 上
懲戒処分のための「自宅待機」期間中の給与の支払義務の有無
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談)
公務員の懲戒処分を審査決定する手続きのために数日を要しますが、公金横領の嫌疑であるために、事実調査、証拠隠滅の防止の観点から、懲戒処分の決定までの期間、当該職員を出勤停止(自宅待機)にしたいと考えています。その場合、出勤停止期間の給与の支払義務は生じるのでしょうか?
<解説>
1.民間企業従業員である場合
自宅待機については、民間企業では一般的な指揮監督権を根拠として命じ得ること、また、一般に労働者には就労請求権は認められないことから、自宅待機の業務命令が権利の濫用・逸脱とならない範囲内であれば法的には問題ない(但し、賃金支払義務は免れない。)とされています。
しかし、懲戒処分の手続期間中( 調査期間中)の自宅待機の場合でも、その間の賃金支払義務があるとすると、ノーワーク・ノーペイの原則から不合理さが残ります。
そこで、自宅待機を一定期間の「休職」又は「出勤停止」と位置付けて検討してみる必要があります。
(1) 「休職」については、労働基準法上の定義はありませんが、一般的には、「従業員の身分を保有したまま一定期間就業義務を免除する制度」のことを指し、休職事由には、「私傷病のため」、「組合専従のため」、「海外留学のため」、「公職につくため」、「刑事事件により身柄を拘束され勤務不能となったため」、「ボランティア活動に従事するため」などがあります。基本的には、労働者側に就労できない事情があるのですから、「労働者の責めに帰すべき事由による労働力の不提供」として賃金支払義務はない(無給)と定められます。
(2) 「出勤停止」は、正確な定義としては、就業規則の懲戒規定に基づき、労働者に一定の規則違反行為があったときに命じられる懲戒処分であり、その間は賃金が支払われないのが通常ですが、その根拠については、形式的には「懲戒権という使用者の責に帰すべき事由」による休業とみることもできます。しかし、使用者・企業には社内秩序・職場秩序を維持するために一定の懲戒権が保持されており、「出勤停止」処分が「労働者の違反行為」に相応している場合は、「違反行為をしたという労働者の責めに帰すべき事由」によるものとして賃金の支払義務はないものと考えられます。
(3) それでは、懲戒処分の一つではなく、懲戒処分の手続きのために、業務命令で「自宅待機」を命じた場合、賃金の支払義務はないとすれば、その根拠はどこにあるのでしょうか。
① まず、懲戒処分の前提として、懲戒審査手続を進めるために常に自宅待機が必要であるとは言えません。例えば、他の課員に暴力を振るって怪我させ、入院治療を余儀なくさせたという場合には、職場で通常の勤務をさせても被害者との接触もないので、自宅待機の必要性はありません。それに対して、経理担当の社員が不正経理を行っている疑いがあるような場合、そのことの真偽を確かめるためには、本人を自宅に待機させておいた方が、証拠の隠滅を防止し、調査が円滑に行えるという場合も考えられます。調査の結果、不正経理がなされたことが明らかになり、結果的にその社員を懲戒解雇することになったような場合は、その自宅待機は、「使用者の責に帰すべき事由」によるというよりも、むしろ、その原因となったのは、本人の不正行為であるという因果関係が成り立ちますので、「労働者の責めに帰すべき事由による労働の不提供(休職)」ということで、自宅待機期間分の賃金を支払わないとすることも可能であると思われます。その性質が刑事事件に発展する内容である場合には、刑事手続きのための証拠隠滅の防止の観点から必要な措置でもあると言わざるを得ません。
② しかし、そのような必要性のある場合を除いては、懲戒処分の調査手続きのためであっても、調査期間中の自宅待機期間の賃金を、当然に無給にしてよいという根拠はないと言わざるを得ず、単に会社の懲戒処分の手続の都合上、「会社の都合、使用者の責めに帰すべき事由により、休職させている」という評価になり、給与又は休業手当を支払うことになろうかと思われます。
(4) 裁判例
〇 裁判例(名古屋地裁判決平成3年7月22日‐日通名古屋製鉄作業事件判決)においても、「このような場合の自宅謹慎は、それ自体として懲戒的性質を有するものではなく、当面の職場秩序維持の観点から執られる一種の職務命令とみるべきものであるから、使用者は当然にその間の賃金支払い義務を免れるものではない」とし、「使用者が右支払義務を免れるためには、当該労働者を就労させないことにつき、不正行為の再発、証拠湮滅のおそれなどの緊急かつ合理的な理由が存するか」または「これを実質的な出勤停止処分に転化させる懲戒規定上の根拠が存在することを要する」と解すべきであり、「単なる労使慣行あるいは組合との間の口頭了解の存在では足りないと解すべきである」としたものがあります。
この判決は結論としても、自宅待機中の賃金の支払いを命じており、ここでの趣旨は、賃金支払い義務を免れるのは、かなり具体化した危険がある場合に限られるということです。したがって、自宅待機期間中も、原則的には無給とすることはできず、使用者側には、少なくとも労働基準法第26条(「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。」)に基づき、平均賃金の60%についての支払義務があることになります。
〇 裁判例(東京地裁判決平成10年11月24日⁻京王自動車事件)においては、懲戒解雇前にした自宅待機の措置が、実質的には懲戒としての出勤停止処分と同視できるから、その後の懲戒処分は、二重処罰にあたるので無効であるという労働者の主張に対して、「会社は原告(労働者)の出勤停止期間について給与を支払っており、その出勤停止は懲戒処分ではなく、調査又は処分を決定するまでの前置措置として就業を禁止した業務命令に過ぎないと認められるので、原告の二重処罰の主張は理由がない。」としています。
この判例からすれば、仮に、懲戒解雇前にした自宅待機の措置期間について無給としていた場合には、事実上の出勤停止という懲戒処分をしているとの評価になって、その後の懲戒解雇処分等ができなくなる可能性がありますので、自宅待機期間中も原則的には無給とすることは避けた方が良いことになります。
2.公務員の場合
民間企業での場合と異なり、公務員の場合には、労働契約に伴う相互の権利調整ではなく、労働を継続することが重視される意味での「法律上の職務専念義務」が定められており、その職務専念義務は、法令(法律又は条令での特別の定めがあること)に基づかずに免除することができないこと(国家公務員法第101条、地方公務員法第35条)を考慮する必要があります。
(※地公法第35条「職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。」)
国が示すひな型としての条例案では、「予め任命権者又はその委任を受けた者の承認を得て、職務専念義務を免除されることができる。」と定めて、「人事委員会(公平委員会)が定める場合」として「任命権者が個別に定める場合」を許容している例が多いのですが、そのように、任命権者の判断に委ねられている場合でも、公務優先の原則(公務は国民・住民の信託に基づくものであり、その費用も国民・住民の租税負担で賄われることであり、その注意力のすべてを職責遂行のために用い、為すべき職務にのみ専念し、公務のみを優先させるという原則)から任命権者といえども、みだりに職務専念義務の例外を認めることは許されないとされています。(橋本勇著「新版逐条地方公務員法」第3次改定版660頁以下)。
その観点からすれば、公務員の場合には、懲戒免職や懲戒停職などの懲戒処分手続きのための「自宅待機」(=職務選任義務の免除)をすること自体ができないのではないかと第一に考えるべきであろうと思います。仮に、任命権者が個別に「懲戒手続きのために必要な期間、休職(職務免除)を命ずることができる。」との定めがあったとしても、更に、命ずる必要性があるかが充分に検討されなければなりません。
ところで、「懲戒手続きのために必要な期間、休職(職務免除)を命ずることができる。」との定めがあったとしても、休職期間(職務免除期間)が無給となるかどうかは、別個に検討する必要があります。職務免除で有給の場合と無給の場合は、明確に定められている場合には問題はないのですが、給与法でも給与条例でも、明確な定めがない場合(給与法第15条:「職員が勤務しないときは、~中略~その他その勤務しないことにつき特に承認のあつた場合除き、その勤務しない一時間につき、第十九条に規定する勤務一時間当たりの給与額を減額して給与を支給する。」)には、運用上は、「特に承認があった場合」として、給与が支給されている例が多いようです(上記橋本逐条670頁)。
従って、法的根拠もなく、安易に自宅待機させ、その期間は無給とする取り扱いは、基本的にはできないと考えておく方がよろしいかと思われます。
なお、自治体(任命権者)からの自宅待機要請を受けて、本人が有給休暇を利用して、又は、欠勤扱いとして自宅待機するという真意による本人の承諾又は了承が得られた場合(文書による承諾が望ましい)には、そのような取り扱いをすることは、特に法令に反するものではありませんので許されると考えます。
以 上
人を勝手に撮影すると処罰されるのですか?~無断撮影行為と刑事責任~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
これについての受け取り方は、写す側の人の意識と写される側の人の意識では大きく違うように思いますが、写される側の被害意識は尊重される時代になってきています。「公共の場や私的な場所で、他人の姿を無断で撮影する行為」について、法的にどのような責任を負わなければならないかという問題は、肖像権侵害やプライバシ―侵害という「損害賠償等の民事責任」を負う場合があることはよく問題になるところですが、撮影行為自体が「刑罰法令に触れた刑事罰の責任」を負うことになるかどうかが問題になることはあまりないのではないでしょうか。
刑事上の処罰を考えた場合、刑法上の重罰ではなくとも、軽犯罪法か何かの罪になって処罰されるのではないかと考えたりするのが一般的な考え方だと思いますが、刑罰法令の適用に関しては、実は、「罪刑法定主義の大原則」があり、法令に明確に「そのような行為は刑罰に処する」という定めがないと処罰できないことになっています。
そのことから、どのような刑罰法令があるかどうかという観点から、他人の姿を無断で撮影する行為を処罰する法令があるのかどうかを まずは調べることになります。
わいせつ目的の写真撮影には処罰する法律があるだろうと予測できますが、通常の町通りでの写真撮影には処罰する法律はないのではないかと想像している方が多いと思います。
まず、具体例をあげて、検討してみましょう。
<具体例(被告人甲の本件行為)>
(1)令和2年5月29日午後3時54分頃、被告人甲(男性、東京都町田市在住)は、アニメグッズや書籍等を販売している本件店舗(東京都町田市内)を訪れ、店内を歩き回った。その際、被告人甲は、動画を撮影する機能と撮影された動画がSDカードに記録される機能を有する小型カメラを持参していた。 その小型カメラは、手の平程度の大きさで、本体のボタンを押すと録画が開始され、もう一度そのボタンを押すと録画が停止されるというものであり、白色の本体の大部分が被告人の貼った黒色ビニールテープで覆われたものであった。
(2)午後3時57分頃、女性A(26歳)は本件店舗のグッズコーナーで陳列棚に向かって商品を見ていた。A女は、身長約164センチメートルの女性で、マスクを着け、首回りが鎖骨に沿う程度にやや横長に開いた透けていない素材の白色のブラウスと、膝頭が見える程度の膝上丈でフレア型のギンガムチェック柄のスカートを着用し、靴下と8センチヒールの靴を履いていた。
その頃、被告人甲は、本件店舗内でA女を見掛けると、A女の左後方から近付いて約1分間にわたってA女の左横付近に立ち、その間に、A女や周囲を見ながら、右手に握った小型カメラでA女の左横から動画を撮影した。それにより、①画面の大部分に被告人自身の身体が写り、画面の下端にA女の膝辺りから靴までが写っている約1秒間の動画(以下「動画①」という。)と、②A女のマスクを着けた顎付近から靴までの範囲の左半身が写っている約5秒間の動画(以下「動画②」という。)が撮影された。動画②が撮影された際、A女は前かがみの姿勢をとっていたが、左脇に日傘を抱え、左肘を曲げて胸の位置まで上げた左手の平にスマートフォンを握っていたため、動画②の映像上は、ブラウスの胸部付近が日傘と左前腕で隠され、A女の胸部の体形はほとんど分からないものとなっていた。
(3)午後3時58分頃、被告人甲はA女の近くから離れ、本件店舗から退店した。
(4)午後4時4分頃、被告人甲は本件店舗に再度入店した。
同じく午後4時4分頃、A女は本件店舗のグッズコーナーを離れ、店内を歩き回り、その後書籍コーナーに移動した。
午後4時6分頃まで、被告人甲も本件店舗内を歩き回っていたが、その後書籍コーナーに移動した(なお、本件店舗の書籍コーナーを写す防犯カメラ映像は存在しない。)。
(5)午後4時7分頃、被告人甲は、書籍コーナーでA女の背後付近に立ち、左手に持った小型カメラで動画を撮影した。それにより、③約23秒間の動画が撮影され、そこには陳列棚に対面した状態で両足を地面に付けて立っているA女の後ろ姿が約5秒間にわたって写り、同様の姿勢で立っているA女の左横からの姿が約3秒間にわたって写っていた(以下「動画③」という。)。
(6)その後、A女は被告人甲に声を掛け、A女から逃れて本件店舗の入り口に向かって歩く被告人甲の服をつかむなどして、入り口前の路上で被告人甲を引き止めた。そこに本件店舗の従業員が駆け付け、被告人甲は確保された。
1.法令の検索 被告人甲の上記行為に関連する刑罰法令を検討しますと、女性に対する性的いやがらせや痴漢行為を対象とする刑罰法令を検索することになりますが、ほぼ次の刑罰法令を適示することになります。
(1)刑法第176条(強制わいせつ罪) 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(2)軽犯罪法第一条(拘留又は科料に処する)
五 公共の会堂、劇場、飲食店、ダンスホールその他公共の娯楽場において、入場者に対して、又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、飛行機その他公共の乗物の中で乗客に対して著しく粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
二十八 他人の進路に立ちふさがって、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとった者
(3)東京都迷惑防止条例(公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例)
五条 何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって、次に掲げるものをしてはならない。(八条:六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金)
一 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること。
二 次のいずれかに掲げる場所又は乗物における人の通常衣服で隠されている下着又は身体を、写真機その他の機器を用いて撮影し、又は撮影する目的で写真機その他の機器を差し向け、若しくは設置すること。
イ 住居、便所、浴場、更衣室その他人が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいるような場所
ロ 公共の場所、公共の乗物、学校、事務所、タクシーその他不特定又は多数の者が利用し、又は出入りする場所又は乗物(イに該当するものを除く。)
三 前二号に掲げるもののほか、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、卑わいな言動をすること。
2.「被告人甲の本件行為」の分析
被告人甲の本件行為は、13歳以上の被害者に対する場合の「暴行又は脅迫を用いて」という点がありませんので、刑法第176条強制わいせつ罪に問われることもありませんし、軽犯罪法の五号「著しく粗野又は乱暴な言動」もないし、第二十三号「人が通常衣服をつけないでいるような場所」でもない、また、第二十八号「他人の進路に立ちふさがって」という面も窺えないので、軽犯罪に問われることもないことになりますが、国の定める法律ではなく、地方自治体が定める迷惑防止条例では、他人の写真撮影行為を前提とした刑罰を定めている条例がありますので、裁判上では、地方自治体が定める迷惑防止条例の適用がなされており、その適用及び刑罰規定への該当性が問題とされています。
東京都迷惑防止条例の適用としては、判例上は、第5条の「何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって」、第3号の「公共の場所において、卑わいな言動をすること」への該当性が問題とされています。
本件では、被告人甲が撮影した写真画像には、いわゆる猥褻画像・卑猥画像と評価される「通常衣服で隠されている下着又は身体」は写っていなかったことから、被告人甲の撮影行為が、「卑わいな言動」に該当するかという点が問題となっています。
3.裁判所の判断は分かれた!
具体例(被告人甲の本件行為)への東京都迷惑防止条例での刑罰適用については、裁判所の判断は、無罪の判断と有罪の判断と判断が分かれた結果になっています。
(1) 東京地裁立川支部令和3年1月15日判決-判例時報2537号65頁
○ 「被告人が至近距離からAを被写体として動画撮影したことは、社会通念上、相当な行為とはいえない。」
○ 「被告人が撮影した動画①については、Aの足元が約1秒間写っているにすぎず、性的な意味合いのある部位を狙ったものとはいえない。動画②については、Aのマスクを着けた顎付近から靴までの左半身が写っており、胸元や胸部のみが強調されている映像とはいえず、Aが前かがみの姿勢をとっていたことを考慮しても、客観的にみて胸元や胸部という特定部位を狙って撮影された動画とまでは認められないし、ブラウスの形状や素材に加えてブラウスの胸部付近が日傘と左前腕で隠されていることによって、動画からはAの胸部の形状はほとんど分からないものといえる。そして、動画③については、Aの後ろ姿と左横からの姿が写っているものであるが、Aのスカートの形は臀部の体形が分かるものではない上、スカート丈は特に短いものではなく、Aは陳列棚に対面した状態で両足を地面に付けて立っていて、後ろ側のスカート丈が上がってしまっている様子も認められないから、客観的にみて臀部や太もも等の特定部位を狙って、それらの部位を強調して撮影された動画とは認められない。
さらに、被告人がAの動画を撮影したのは、動画①ないし③の3回で、Aが写っているのはそれぞれ数秒以内にとどまり、動画①・②と③との間には8分間程度の時間が空いており、その間に被告人は一旦本件店舗から退店していて、Aの後も付けていないのであって、被告人は動画撮影のためにAを付け狙うなどの執ような行為はしていないものといえる。
以上によれば、前記認定の被告人の一連の行為は、前記(1)の相当ではない点をも併せて総合的に検討しても、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな「卑わいな言動」で「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為」に当たるということはできない。」として、無罪判決を出しています。
(2) 東京高裁令和4年1月12日判決-判例時報2537号60頁
○「本件禁止行為に当たるか否かの判断に当たっては、対象となる行為そのものが、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言動であって、被害者を著しく羞恥させ、又は不安を覚えさせるものといえるか否かの観点からの評価が重要である。原判決が認定する被告人の行為が本件禁止行為に当たるか否かの判断に当たっても、この観点からの評価が重要であることには変わりがない。原判決は、結果として性的意味合いのある身体の部位が撮影されたか否かなど動画の内容を重視しているが、撮影された動画について、人の通常衣服で隠されている下着又は身体が実際に写っていたり、強調されていたりした際に、そのことが卑わいな言動の認定根拠になり得ることは当然としても、逆に、実際にそのような部位が写っていなかったからといって、そのことだけで、本件禁止行為に当たらないということはできない。このことは、上記のとおり、本件条例5条1項2号ロが、実際に人の通常衣服で隠されている下着又は身体の撮影に至らなくても、そのような下着又は身体を撮影する目的で写真機等を差し向け、又は設置する行為を禁止していることに照らしても、明らかというべきである。
そして、上記の趣旨に照らすと、衣服を着用した身体を撮影し、又は衣服を着用した身体に対して写真機等を構える行為であっても、その意図、態様、被害者の服装、姿勢、行動の状況や、写真機等と被害者との位置関係等を考慮し、被害者や周囲の人から見て、衣服で隠されている下着又は身体を撮影しようとしているのではないかと判断されるものについては、本件条例5条1項3号が規定する「人を著しく羞恥させ、又は不安を覚えさせるような行為であって、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、卑わいな言動をする」行為(本件禁止行為)に当たると解するのが相当である。」として、有罪判決を出しています。
(3) 最高裁判所第1小法廷令和4年12月5日決定
○「原判決の認定によれば、被告人は、東京都内の開店中の店舗において、小型カメラを手に持ち、膝上丈のスカートを着用した女性客(以下「A」という。)の左後方の至近距離に近づき、前かがみになったAのスカートの裾と同程度の高さで、その下半身に向けて同カメラを構えるなどしたというのである。このような被告人の行為は、Aの立場にある人を著しく羞恥させ、かつ、その人に不安を覚えさせるような行為であって、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな動作といえるから、公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(昭和37年東京都条例第103号)5条1項3号にいう「人を著しく羞恥させ、人に不安を覚えさせるような卑わいな言動」に当たるというべきである。したがって、同条例8条1項2号、5条1項3号違反の罪の成立を認めた原判断は是認できる。」として有罪判決を維持しています。
4.各裁判例の位置づけの検討
(1) 本件の法律的な論点としては、軽犯罪法の適用の無い「衣服で隠されていない(見えている)身体的部位を撮影し、又はそれに向けてカメラを構える行為(カメラの差向け行為又は盗撮未遂行為)であっても、迷惑防止条例で定める「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑猥ない言動」に該当するかという問題になります。
(2) そもそも、本条例の保護法益(処罰することで守ろうとしている利益のこと)が何かということについては、個人の意思や行動の自由などの個人的権利を保護法益とする考え方と住民の生活の平穏、迷惑行為を防止する社会的利益を保護法益とする考え方があります。また、双方の保護法益のために条例刑罰規定を定めているという考え方もあります。
その観点から、判例を検討しますと、第1審の東京地裁(立川支部)判決は、実際に動画で何が撮影されたかを重視して、性的意味合いのある動画をされないという個人的利益の侵害を基本にして、実際に撮影された動画の内容を検討し、当該動画が撮影されなかった以上は「卑猥性は認められない」としていますので、個人の意思や行動の自由などの個人的権利を保護法益とする考え方をしているものと解されます。
他方、第2審の東京高裁判決は、撮影された動画の内容を過大に評価しすぎてはいけないと戒めた上で、衣服で隠されていない(見えている)身体的部位を撮影しようとしていることは、住民の生活の平穏の社会的利益の観点から、その外形的な意味合いがどうみられるかという観点、すなわち、被害者や周囲の人から見て卑わいと判断できる場合(「らしさ論」と言われています。)には、卑わい性は認められるとしています。これは、住民の生活の平穏、迷惑行為を防止する社会的利益を保護法益とする考え方を採用しているものと思われます。
最後の第3審である最高裁判決では、「被告人の行為は、Aの立場にある人を著しく羞恥させ、かつ、その人に不安を覚えさせるような行為であって、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな動作といえる」と述べていることから、高裁判例と同様に社会的保護法益説の考え方をしていると思われますが、「Aの立場にある人を」と言及した点を捉えると、被害者個人の保護法益を加味しているようにも解釈できます。この点は、最高裁判例としては不明瞭ですが、被害者や周囲の人から見て卑わいと判断できる場合(「らしさ論」。)には、卑わい性は認められるとしている点は最高裁判例として確定されたものとなります。
このような判例の結論を見ると、公衆の中で、他人にカメラを向ける行為は、撮影の仕方やその目的を明確にするなどの特段の配慮をしないと「らしさ論」によってわいせつ目的として疑われ刑罰問題になる危険性がありますので、気をつける必要があります。
5. 法律の制定(令和5年7月13日~) 公衆の中で特定の他人を無断で撮影する行為については、各都道府県の迷惑防止条例での「人を著しく羞恥させ、人に不安を覚えさせるような卑わいな言動」として、「6月以下の懲役又は50万円以下の罰金」の処罰ができるかどうかというレベルでの対処しかできませんでしたが、法律の大原則である罪刑法定主義の観点から、令和5年に刑法等刑罰法令の改正があり、新たに「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律(略称:性的姿態撮影等処罰法)」が制定・施行されました。
6. 新しい法律の内容(刑法改正)
(1) 2023(令和5年)年6月23日、性犯罪に関する規定全般を見直す刑法等の改正案が成立し、同年7月13日より施行されました。今回の改正では、盗撮行為に対する新たな法令である撮影罪を含む性的姿態撮影等処罰法が新設されたことが注目されています。「性的姿態等撮影罪」は、刑法から独立した「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律」(略称:性的姿態撮影等処罰法)で規定されています。
以下のいずれかの行為をした場合、性的姿態等撮影罪(法第2条)が成立します。
① | 正当な理由がないのに、ひそかに、性的姿態等を撮影すること |
② | 不同意性交罪等に規定する行為又は事由により、同意しない意思を形成、表明又は全うすることが困難な状態にさせ、又は相手がそのような状態にあることに乗じて、性的姿態等を撮影すること |
③ | 性的な行為ではないと誤信させたり、特定の者以外はその画像を見ないと誤信させて、又は相手がそのような誤信をしていることに乗じて、性的姿態等を撮影すること |
④ | 正当な理由がないのに、16歳未満の子ども(※)の性的姿態等を撮影すること(相手が13歳以上16歳未満の子どもである時は、行為者が5歳以上年長である場合。) |
× 電車内やエスカレーター等で女性のスカートの中などを盗撮する行為
× 女子トイレに侵入し個室内にいる女性を盗撮する行為
× 更衣室や公衆浴場の脱衣場に小型カメラを設置し着替え中の人物を盗撮する行為
× 泥酔した人物の下着姿を盗撮する行為
× 性行為中に相手に無断で録画する行為
× 16歳未満の男子の合意を得て性的な部位を撮影する行為
(3) 本設例の東京高裁判例のように、「衣服を着用した身体を撮影し、又は衣服を着用した身体に対して写真機等を構える行為であっても、その意図、態様、被害者の服装、姿勢、行動の状況や、写真機等と被害者との位置関係等を考慮し、被害者や周囲の人から見て、衣服で隠されている下着又は身体を撮影しようとしているのではないかと判断されるもの」については、この「性的姿態等撮影罪」の未遂罪となる可能性が出てきますので、公衆の中で、特定の他人にカメラを向ける行為は、事前に許可を得て行なうほうが無難であるということになります。
(4) 最後に
この新しい性的姿態撮影等処罰法は、撮影行為だけでなく、ア 「性的影像記録)を第三者に提供した場合(提供罪)、イ 第三者への提供や公然陳列を目的として、性的映像記録を保管すること(保管罪)、ウ 不特定・多数の者に、撮影罪に該当する行為と同じ方法で性的姿態等の影像を送信すること(送信罪)、エ 送信罪に該当する行為により影像送信された性的姿態等を、その事情を知りながら記録すること(記録罪)も処罰する規定が定められていますので、そもそも、性的姿態等の写真には関与しない意識が必要になります。
以 上
多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(後編)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(犯罪事例)
解離性同一性障害(多重人格障害)という精神疾患をもっていた被告人Aは、自宅において、実妹Bに対し、殺意をもってその首にタオル様のものを巻いて締め付け、さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場において、同人を窒息により死亡させて殺害した上で、更に、死体を損壊したというものである。
検察側は、殺人罪及び死体損壊罪で起訴した。
弁護人は、被告人Aは、犯行時、解離性同一性障害により心神喪失状態にあったのであるから、無罪である旨主張した。
被告人Aを有罪にすることはできるでしょうか?
1.刑事犯罪を有罪にするための要件について(前編)
2.精神疾患と刑事責任能力について(前編)
3.多重人格者による犯罪と責任能力に関する判例の検討(医学鑑定)
前回の説明に引き続き、今回は、東京地裁平成20年5月27日判決―判例時報2023号158頁での刑事裁判事案(以下「犯罪事例」又は「本件事案」と表示します。)を検討していきたいと思います。
まず、刑事裁判において、被告人Aの精神疾患による責任能力の有無が問題となった場合には、精神疾患に関する専門的知識は裁判官にはありませんので、刑事訴訟法第165条「裁判所は学識経験のある者に鑑定を命ずることができる。」及び同法第167条「被告人の心神又は身体に関する鑑定をさせるについて必要があるときは、裁判所は期間を定め病院その他の相当な場所に被告人を留置することができる。」との定めに基づいて、精神科医に鑑定をさせた上で医学的知見を得て法的判断を行います。
本件の犯罪事例においての裁判所は、弁護人からの鑑定請求を採用し、公判廷において、「犯行時及び現在の被告人の精神状態、犯行時及び犯行前後における被告人の心理態」を鑑定事項として鑑定を実施しています。鑑定医は、本件各犯行時の被告人の精神疾患とその病態について、
(1)被告人は、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害にり患し、本件各犯行に至った。
(注:解離性同一症又は解離性同一性障害とは、かつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、子ども時代に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験(児童虐待の場合が多い)による心的外傷(トラウマ)などによって、一人の人間の中に全く別の人格(自我同一性)が複数存在するようになることをさします。解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態で、この解離は、非常に大きな苦痛に見舞われたときに起ることがあり、苦痛によって精神が壊れてしまわないように防御するために、痛みの知覚や記憶を自我から切り離すことを無意識に行っていると考えられており、解離性同一性症は、この解離が継続して起こることによると考えられています。)
(2)被告人は、アスペルガー障害を基盤にして、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有の人格構造(怒りを認識しない人格と怒りの人格の二重性)を形成しており、怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとする人格傾向が強く、激しい怒りが突出して行動しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。
(3)被告人は、アスペルガー障害によって、このような攻撃性等の衝動を抑制する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。
とする鑑定結果(以下「U鑑定」とする)を報告しています。
4.第1審の判断(東京地裁平成20年5月27日判決,判例時報2023号158頁)
(1)1審の東京地裁は、U鑑定の信用性を肯定した上で、各関係証拠により、被告人が犯罪事実記載のとおり被害者を殺害した上で、更に、死体を損壊したとの事実(以下「本件各犯行」という)につき、殺害時には被告人には完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないとして、死体損壊罪は刑事無能力状態として無罪とし、殺人罪のみを有罪として懲役7年(求刑は懲役17年)を言い渡しています。
(2)死体損壊罪の無罪の理由としては、死体損壊時の責任能力に関して「本件死体損壊時において、被告人は解離性同一性障害により本来の人格(自己認識できる人格)とは別の人格状態(怒りの人格で自己認識できない人格)にあった可能性があるところ、被告人の公判供述によれば、被告人には、死体損壊時の記憶がほとんどなく、本来の人格とは別の人格状態(怒りの人格)の存在について認識していないことが認められる。そうすると、本来の人格はこの別の人格状態とかかわりを持っていなかったと認められ、このことからしても、鑑定において指摘されているように、被告人は,その人格状態に支配されて自己の行為を制御する能力を欠き、心神喪失の状態にあった」と認定して被告人の責任能力を否定したものです。
(3)この判決の殺人罪については責任能力有り、死体損壊罪には責任能力無しという分断的な判断に対しては、検察官からも控訴があり、弁護人からも控訴がなされています。特に、弁護人からは、弁護人も被告人については、別の人格状態の出現時期を特定することができず、殺人の行為時に既に別の人格状態が出現していた可能性を否定することができないから、殺人の行為時においても心神喪失の状態であったとするべきであり、仮に殺人の行為時に別の人格状態が出現していなくとも、生来的にアスペルガー障害にり患することによりバランスの悪い二重構造を持った人格であった上、本件各犯行時には、意識の変容を来たし、抑圧力、抑制力を失い、あるいは、弱体化した状態にあったため、限定責任能力しかなかったのに、原判示の事実について完全責任能力を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があると主張して控訴されています。
5.東京高裁平成21年4月28日判決(公刊集未登載―明治学院大学法学研究・緒方あゆみ論文から判例引用)
2審の東京高裁は、U鑑定の信用性について、「被告人が生来的にアスペルガー障害にり患し、中学生のころから強迫性障害が加わっているという点については合理的であるといえるが、犯行時に解離性障害ないし解離性同一性障害にあったとする点については、その前提を誤っており、首肯し得ないと言わざるを得ない」とU鑑定の信用性を否定し、更に、「アスペルガー障害の程度は、犯行当時においても、軽かったと認められる。また、犯行当時の記憶はかなり具体的に保たれている上、被害者の殺害に至った行動及びその動機は、被害者が身勝手な行動を続けて家庭をかき乱していたという状況の下で、被害者からされた発言やその態度等に照らすと、犯行動機及び犯行は了解可能なものである。」として、被告人Aの犯行当時の多重人格障害の疾病そのものを否定し、被告人は、殺人の行為時のみならず、死体損壊の行為時においても、完全責任能力を有していたと認められるとして、懲役12年の実刑判決を言い渡しました。
6.学説と問題点の分析
多重人格障害と刑事責任能力との関係について、学説は、主に、(1)多重人格障害であれば、常に責任無能力であるとする見解、(2)主人格が別人格の行為を感知・統制できない場合には責任無能力であるとする見解、(3)犯行時に行為を支配していた人格が弁識能力および制御能力を有していない場合のみ、責任無能力であるとする見解の3説が主張されているようです。
(1)の常時無能力説の立場によると、多重人格障害と診断されれば常に責任無能力となるので、主人格・別人格のどちらが行為をしたかを問うことなく被告人は無罪となるという結論になるのですが、しかし、責任能力判断にあたっては、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を踏まえ、生物学的要素を確定した上で、精神の障害が行為の弁識能力・制御能力にいかに影響を及ぼしたかという心理学的要素を判断すべきであるとされていますので、この見解はあまりにも形式的すぎます。
(2)の主人格基準説では、ヒトは全体として一人(=一個体)であるから、行為時の責任能力を判断する際の基準となる人格は主人格であるとして、主人格が行為時に当該行為についての認識があり、当該行為をした人格を制御する能力を有していたといえる場合にのみ責任能力を肯定する。言い換えれば、別人格が出現したことにより、通常行為を支配し、裁判主体及び受刑主体となるところの主人格の支配が当該行為に及んでいない状態だった場合には、責任能力を否定するという結論(無罪になるという結論)になり、(3)の別人格基準説では、犯行時の人格が主人格であれば主人格の責任能力を判断し、犯行時の人格が別人格であれば別人格の責任能力を判断すればよいという考えなので、主人格・別人格がそれぞれ事実の認知能力・弁識能力及び制御能力を有していれば無罪にはならないという結論になります。
7.私的見解
本件事例では、東京高裁平成21年4月28日判決では、二重人格(解離性同一性障害)そのものを認めていないので、二重人格における刑事責任能力については判断しておらず、第1審の東京地裁平成20年5月27日判決において、死体損壊罪を無罪としている場合に二重人格における刑事責任能力については、刑事責任能力は無いと判断していることになります。その意味では、上記学説の(2)主人格基準説又は(3)別人格基準説が判例実務で検討されてきているという段階になっているようです。
私の個人的見解としては、そもそも、多重人格障害の人格交代の症状を法的責任主体の交代と捉えてよいのかという視点からすれば、法的責任主体の交代として捉えることは妥当ではないと考えます。
なぜなら、法的責任主体は、一人の自然人として存在する被告人Aであり、その責任主体において犯行時に「別人格B(副人格)」が現れるのは、解離性同一性障害の症状として、生物学的には同一の人間の人格状態(認識・記憶・判断の連続的統一状態)が破綻した結果であり、そのような結果が生じたのは、自己感覚や意思作用感の不連続によるものとみられるのであり、それは責任主体としての一人の自然人の一側面を表わしているにすぎないので、不連続部分の別人格が現れた点での同傷害の症状や程度によって、一人の自然人としての被告人Aの犯罪動機・判断及び行動にどのような影響を及ぼしたか(行為の制御不能となるのか。制御可能な状態であるのか等)を判断して責任を問えるかが検討されるべきだからです。
例えば、人格の交代があったとしても、被告人Aにおいて意識の混濁等もなく、別人格の状態になった時点においても、別人格状態そのままでも周囲を認識する能力や目的合理的な行動を取っており行動能力が阻害されていない場合には、完全責任能力を認め有罪として処罰できるとするのが妥当であると考えています。
その意味では、(3)の別人格基準説(但し、主人格と一体となった別人格に限定をする)の立場が妥当ではないかと考えています。
なお、このような見解に立つ判例として、大阪高裁令和元年12月12日判決―判例秘書【判例番号】L07420443があります。
この判例事案では、精神鑑定では「当時、被告人の主人格は別人格をコントロールすることができておらず、犯行に精神障害の影響はあったといえる。但し、犯行時に、主人格と別人格は完全に解離していなかったと考えられ、別人格が主として行動を支配している当時の精神状態において、被告人は、目的に従って合理的に行動しており、状況を正しく認識し、行動のコントロールができていたといえる」との意見であったものを、裁判所は、「責任能力は、犯行時の被告人の精神状態について、善悪の判断能力や行動制御能力を問題にするもので、その当時の精神状態に行動制御能力があると認められる以上、その状態を『主人格』というものがさらに制御できるかという点を問題にする必要はないというべきである。」などと説示し、「被告人には完全責任能力があった。」として被告人を無期懲役に処しています。
以 上
多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(前編)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
刑法第39条は「1 心神喪失者の行為は罰しない。 2 心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」と定めています。この心神喪失者の不処罰及び心神耗弱者の減刑を規定した刑法第39条は、精神障害者を一般の者と同様には罰せず、精神障害者を保護しようとする条文として、明治時代以降令和時代の今日に至るまで、一世紀以上も日本の刑法の中で確固たる位置を占めてきており、法律家の大多数はこの規定を当然の規定として学んできています。しかし、近年の様々な凶悪犯罪、昨今のオウム麻原彰晃事件裁判や京都アニメ放火殺傷事件裁判等での犯罪者の刑事責任能力の争い等を目の当たりにすると、たとえ精神障害者であっても、法に触れる行為を行った場合には、一般の者と同様に処罰すべきであるという声が上がるようになり、また、犯罪被害者の悲惨な実情を題材とした小説の世界においても刑法第39条の存在意義に深い疑念が生じていることが語られるようになってきています。一方、精神障害者の主体性を尊重すべきとする立場の中にも、そもそも精神障害者の「責任能力」を一般の者と同等には扱わない刑法第39条そのものは、差別的な条文であるとして疑問視する見解もあるようです。
そのような法制度上の議論はあるとしても、実際に刑法第39条の適用が問題となる例として、解離性同一性障害(多重人格障害)という精神疾患をもっていた人物の犯罪について、その刑事責任能力が追及できるかという実務的な問題を検討してみたいと思います。
(犯罪事例)
解離性同一性障害という精神疾患をもっていた被告人Aは、自宅において、実妹Bに対し、殺意をもってその首にタオル様のものを巻いて締め付け、さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場において、同人を窒息により死亡させて殺害した上で、更に、死体を損壊したというものである。
検察側は、殺人罪及び死体損壊罪で起訴した。
弁護人は、被告人Aは、犯行時、解離性同一性障害により心神喪失状態にあったのであるから、無罪である旨主張した。
被告人Aを有罪にすることはできるでしょうか?
1.刑事犯罪を有罪にするための要件について
法律で人を犯罪者として有罪として処罰するには、次の要件の全てに該当することが必要です。
(1)構成要件該 当性―これは、刑法や特別刑法などの条文上の文言に書かれている犯罪を構成する要件に当てはめることができることを言います。例えば、殺人罪の場合には、刑法第199条の「人を殺した」という行為に当てはまる行為をした場合になります。ナイフで刺して殺した場合でも、階段から突き落として殺した場合でも「人を殺した」に該当します。
(2)違法性―その行為が法律で禁止されているものであることが必要です。構成要件該当性のある行為は、違法性が推定されますが、刑法第36条第1項で正当防衛の場合は「罰しない」と定めているように、法的に許される行為又は違法性を阻却するような事情がある行為については違法性がないとされ、犯罪とならないことになります。
(3)有責性(責任能力があること)―違法性のなる犯罪行為であったとしても、犯罪の何たるかを全く理解できない幼児や睡眠中の無意識の行為については、仮にその行為で人が亡くなったとしても犯罪にはなりません。犯罪成立要件(有罪要件)として、事理弁識能力(=責任能力)があることが要件とされています。例えば、刑法第41条には「14歳に満たない者の行為は罰しない」として13歳以下の者には刑事責任能力がないとの定めがありますし、刑法第39条には「心神喪失者の行為は罰しない」との定めがあり、精神疾患等で正常な事理弁識能力・判断能力がない場合にも犯罪が成立しないと解釈できる定めがあります。この刑法第39条や刑法第41条の考え方は、刑事処罰の基本は「悪いことを悪いと分かっている、善悪の判断がつく」という能力があって、そして自分の行動を病気でそれが行動をコントロールできないということではなくて、きちんとコントロールできるという能力があることが前提で、そういう能力のある人が犯罪を犯した場合に処罰が与えられるという近代法制度の「意思自治」「自己決定責任」の考え方に基づいています。
2.精神疾患と刑事責任能力について
(1)刑法第39条は「1 心神喪失者の行為は罰しない。 2 心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」と定めていますが、心神喪失とは、精神障害のせいで善悪を全く判断できないか、又は判断したとおりに行動することが全くできない状態をいい、心神耗弱とは、精神障害のせいで善悪の判断力又は判断どおりに行動する力が著しく低い状態をいいます。この場合の「精神障害」は、麻薬中毒や認知症、精神薄弱、精神疾患などによる精神障害も含みますが、アルコールによる酩酊や催眠状態にあったことなどの一時的なものが含まれます。しかし、精神疾患の病気であるからと言って、必ず「心神喪失」や「心神耗弱」になるというわけではありません。精神疾患を原因として「善悪を全く判断できない状態又は判断したとおりに行動することが全くできない状態になっている」ことが必要になります。
(2)多重人格障害とは
「解離性同一性障害」「解離性同一症」とも呼ばれる精神の障害の1つであり、複数のパーソナリティ(人格)状態を有し、これらのパーソナリティ状態は各々が個別の記憶等に代表される同一性感覚を有する。そして、これらのパーソナリティ状態間における記憶等の不連続によって特徴づけられることが多いとされています。日々の出来事や重要な個人情報、トラウマになった出来事(外傷的出来事)やストレスになる出来事など、通常なら容易に思い出せるはずの情報を思い出すことができないという特徴です。英国小説の「ジキルとハイド」のような状態と言います。
1人の自然人の中に、人格として「Aという人格」と「Bという人格」がいる場合に、どちらが主人格でどちらが副人格(交代人格)なのかの判断は困難なようですが、「憑依型」では、別の人格が患者を外部から支配する存在のように見え、こうした別の人格は、超自然的な存在や霊魂(しばしば悪魔や神であり、過去の行い対する罰を与えようとする場合もあります)と表現されることもあり、普段の患者とは大きく異なる話しぶりや振舞いが見られ、周りの人が別の人格に気づくようになった場合には、主人格、副人格の区別ができるようです。
※ 複数の異なる人格のうち、最も長い期間身体を支配している人格状態を主人格、それ以外の人格状態を副人格・交代人格と呼ぶようです。
そこで、今回の犯罪事例の被告人Aが、主人格「Aという人格」と副人格「Bという人格」を有している場合に、殺人罪の行為と死体損壊罪の行為をした際に、主人格Aは、全くその認識がなく、犯罪行為の時に現れていた人格は副人格Bであったとされた場合に、弁護人の主張するように、犯行時には、主人格Aは全く意識していない(眠っているのと同じ?)から被告人Aの刑事責任(責任能力)ないとして罰せられない(無罪)とされるのか?という問題が生じます。
人格が違えば刑事責任は問えない(無罪)とすべきなのでしょうか?それとも人格の違いは、被告人Aの意識や記憶の不連続・分断という側面にすぎないので、一人の人間としての刑事責任は変わらないので、刑事処罰(有罪)をすべきでしょうか?
この問題について、次回判例を検討することで日本の裁判所はどのような考え方をしているかについてお話したいと思います。(次回後編へ続く)
以 上
初詣と「お賽銭」
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
今年は元気旺盛な辰年です。皆さんは、今年の初詣はされましたか。
(1)初詣はいつまでにすればいいのか、初詣の時期については、諸説あるようですが、 時代とともに、
① 元旦(1/1)の参詣を初詣という
② 三が日(1/1〜1/3)の参詣を初詣という
③ 松の内(1/7まで)の参詣を初詣という
と考え方に変化してきたようです。
(2)初詣の意味
初詣の由来については、①「恵方参り説」と②「年籠り(としごもり)説」があるようです。
① 「恵方参り説」は、お正月は神道の儀式であって、各家庭では、その年の福をつかさどる歳神様に鏡もちをお供えし、門松をたててお迎えし、おせち料理を作ってその年の豊作や家内安全などを祈願し、家長とともに、歳神様からのお下がりであるおせち料理を頂いたあと、歳神様のいる方角にある神社、寺院にお参りするという「恵方参り」が初詣になっているというものです。(=恵方(えほう)とは縁起の良い方角のことです。)
② 「年籠り説」は、古くからある慣習で、氏子である家長たちが、その土地の氏神様を祀った神社に籠り大晦日から元旦にかけて豊作や家内安全を祈願する行事が「年籠り」と言われていて、大晦日から元旦にかけて神社に籠ることが、大晦日から元旦にかけてお参りする習慣へと変化したというものです。
(3)初詣して行なうこと
初詣では、次のようなことをしていますよね。
① 前の年に一年間お世話になった神様のお札やお守りは、初詣の際に神社に持参して奉納します(神社では、古いお札やお守りを浄め、焚き上げをしてくれます)。そして、新年になったのでその年の歳神様をお祀りする新しいお札を買い求めます。
② 「お賽銭を投げ入れて祈願する」という言い方がありますが、広辞苑に「祈願成就のお礼として神仏に奉る賽持の銭」と書いてあるとおり、お賽銭のお金は祈願のために入れるのではなく、祈願成就のお礼のために入れるものなのだそうです。つまり、順序としては、祈願する。→祈願したこと(又はその成就)に対してのお礼のお賽銭を入れる。→次の祈願をする。ということになります。お金を投げる行為は自分の穢れを払うといった意味合いになりますので、お賽銭の金額は自分の穢れをどれだけ払って欲しいかということを表すことになるので、諸説ありますが、金額が大きい貨幣ほど多くの穢れを移し捨てることができるのだそうです。
③ 絵馬を書いて奉納するのは、願いごとを書いて奉納すると願いがかなうと言われています。もともとは本物の馬を奉納したものが、絵に描いた馬(現代では各年の干支)となったとされています。
④ その年の吉凶を占うものとしておみくじがあります。 漢字で書くと「御神籤」「御御籤」いう字になりますが、「凶みくじのみ結んで帰り、吉みくじは持ち帰る」という人と、「願いがかなう=実を結ぶように、おみくじはすべて結んで帰る」という人もいます。人それぞれでいいようです。
⑤ 初詣をして福をもらったのだから、福をこぼさないように、まっすぐに帰宅しなさい(いただいた福はすべて持ち帰れ)という人もいます。お店などが開いていない時代はこれもうなずけるのですが、今の時代では途中寄り道して美味しい食事をしたりするのも「福」のうちでしょう。
このように、初詣と言えば、お賽銭を投げたり、おみくじを引いたり、お守りを買ったり、何かと「お金」をやりとりする機会が増えます。神社やお寺仏閣ではお正月は多くのお金が入ってくる大切な行事でもあります。
(4)お賽銭やお守りの収入と法律(課税)
ところで、こういったお賽銭やお守りの利益は課税対象となるのでしょうか? 神社などの宗教法人は宗教法人法(昭和26 年施行)によって税法上の取り扱いが通常の会社法人等とは異なります。例えば、法人税は、法人の所得=利益=もうけに対して課税される税金ですが、宗教活動は、一般の企業活動と違い、公共のために行われるものであり、営利を目的に行われるものではありません。そのため、所得税・法人税の対象にはならないのです。
例えば、お賽銭は信仰心に基づいた寄付の一種であるとされ、所得にはなりません。また、お守りの代金も、宗教上の御礼やお納め金(神道では対価性の「代金」ではなく「初穂料」と呼んでいます。)としての寄付とされていて所得にはなりません。
宗教法人がこのように公共のための事業と判断される理由は、古来からの伝統や慣習を継承していくという役割があるためです。また、多くの古い神社・仏閣には国宝や重要文化財などが保管されていたり、建造物そのものが文化財である場合もあり文化財を保護していくためには多額の費用が必要になるという判断がされているためです。
このように、宗教法人は、その公益性の高さから、税の軽減、減免あるいは非課税の扱いを受けていますが、非課税の扱いになるのは収益事業以外に限られているため、宗教法人であっても収益事業を行えば所得税・法人税の課税対象となります。
例えば、宗教法人が所有する土地を駐車場にして、料金を取った場合はどうでしょうか?こちらは宗教活動とは無関係の「駐車場業」「収益事業」とみなされ、しっかり所得税が課税されるわけです。
(5)こぼれたお賽銭を拾って帰ったら犯罪?
① 賽銭箱に入ったお賽銭を盗むことは、神社の占有及び所有する金銭を盗む行為になりますので、刑法第235条の窃盗罪(懲役10年以下)になります。
② 他人の投げた賽銭が賽銭箱に入らずにこぼれたままの金銭を拾って持ち帰った場合はどうでしょうか。
神社の境内内は神社が管理支配している領域であり、そこに誰かが忘れた財布が落ちていたとしても、それを拾って持ち帰った場合には、財物としての財布や金銭は神社の占有の下にあるので、誰の占有下でもない占有離脱物横領罪(刑法第254条―懲役1年以下)の対象ではなく、窃盗罪の対象になります。それと同様に、他人の投げた賽銭が賽銭箱に入らずにこぼれたままの金銭も神社の敷地内にある以上は「神社の占有の下にある金銭」になりますので、窃盗罪になります。
③ 次に、神社境内で落ちていた5円玉を拾ったが、境内のお金には神様の神力が宿っていてそれを神様が自分の目の前に提示していただいたという考えで、その5円はもらい受けて、代わりに、自分が持っていた5円玉を神社のお賽銭に入れて、拾った5円玉を持ち帰ったという場合はどうでしょうか?
金銭窃盗の場合に、盗まれる対象は「5円の金銭という物体」なのか、5円という「金銭的価値」なのかという議論があろうかと思います。後者であれ、自分の5円を神社の賽銭箱に入れる形で返していますので、価値の窃盗罪ということにはならないことになりますが、刑法第235条の窃盗罪の条文には「他人の財物を窃取した者は・・・」と定められていることから、「5円の金銭という物体」として拾った5円そのものが神社の占有下にある「財物」になります。そうすると、拾った5円そのものを神社に届けない限り、自分の5円を神社の賽銭箱に入れる形で返していても、窃盗罪が成立することになりそうです。
問題は、宗教的な考えで「神様が自分に提供してくださったので持ち帰ってよい」と思ったという点は、犯罪成立に何か影響があるでしょうか。この点は、犯罪成立要件の一つである違法性又は責任性に影響が生じる可能性があります。本来は違法な行為なのですが、犯行時に違法であることを知らなかったという特別な事情がある場合に、違法であることは誰でも分かる場合には責任を認め、それがほとんどの人には違法であると分からない場合には、過失責任の限度で処罰する(但し、窃盗罪には過失犯の処罰規定が無いので不処罰となる)という考え方もあろうかと思います。しかし、刑法第38条3項では「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」と定めてあり、いわゆる違法性の錯誤があったとしても犯罪は成立するとされていること及び「神様が自分に提供していただいたので持ち帰ってよい」という考え方は一般的ではないでしょうから、違法であることは誰でも分かる場合として責任性は認められますので、窃盗罪が成立することになります。
しかし、刑事捜査及び刑事裁判の実務上の取扱いとしては、軽微事案で可罰的違法性の無い事案ということで窃盗罪で処罰するまでには至らないでしょう。
法解釈上は犯罪の成立と見做されるとしても、その犯罪行為とされる行為の背景や悪質性、被害の程度等を総合的に判断して、社会的に許容できる程度の行為は許されるものとして対応してもらうことも必要です。これを「刑罰適用の謙抑性」(刑罰はなるべく必要最低限に規定・執行されるべきものであるという傾向)と言います。本件の場合に、窃盗罪として処罰すべきであるという人はほとんどいないだろうと思います。
皆様、良い新年を迎えましょう。
以 上