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俳句と著作権
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(例題)
俳句が趣味であるA男は、NHK番組「NHK俳壇」に、冬井太郎氏(仮名)を選者に指定し作品Aを投稿したところ、俳句の学習雑誌である「NHK俳壇」(㈱日本放送出版協会)の入選欄に、選者の冬井太郎氏が作品Aを一部添削した作品A‘が入選作(A男作品)として登載され、㈱日本放送出版協会から雑誌「NHK俳壇」として出版及び販売された。
それに対し、A男は、選者の冬井太郎氏が勝手に俳句の改変行為をしたこと、㈱日本放送出版協会が改変後の俳句を掲載した雑誌を販売する行為は、A男の作品Aに関する著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものであるとして、選者の冬井太郎氏に対し600万円、㈱日本放送出版協会に対し200万円の慰謝料請求と、A男の入選作品が俳句作品Aであることを明示した上で謝罪広告することを要求し、裁判を訴えてきた。
さて、俳句にも著作権は認められ、選者が勝手に添削することは許されないのでしょうか?
(解説)
私の好きなテレビ番組にTBS系列MBS毎日放送「プレバト(芸能人才能査定ランキング)」という番組がありますが、その1コーナーとして、俳人夏井いつき先生が選者の「俳句才能査定ランキング」のコーナーもあります。8月の「炎帝戦」は、梅沢冨美男特別永世名人の1位で終わりましたが、その番組や他の俳句番組を観ていると、選者の俳句の先生は、人の投稿俳句を勝手に添削してもいいような、あるいは、投稿者は事前に投稿俳句が添削されたり勝手に点数を付けられることを了解して投稿していると思われたので、投稿俳句の添削は自由に行ってよいと思っておりました。 しかし、例題のような問題が裁判例になってみると、「俳句」と「著作権(著作者人格権)」とのいうものを、一度は考える必要があるように思います。
1.そもそも、著作権とか著作者人格権とは、どういう権利なのでしょうか?
(1)自分の考えや気持ちを作品として表現したものを「著作物」、著作物を創作した人を「著作者」、著作者に対して、法律によって与えられる権利のことを「著作権」と言います。著作権制度は、著作者の努力に報いることで文化が発展することを目的としています。
(2)著作権に関係するルールは、「著作権法」という法律で定められています。 まず、著作権法によると、著作物とは、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」であるとされています(著作権法第2条1項)。
また、著作権法は、著作権の内容を、大きく次の二つに分けて定めています。 その一つは、著作物を通して表現されている著作者の人格を守るための「著作者人格権」(著作権法第18条~20条)、そしてもう一つは、著作権者が著作物の利用を許可して、その使用料を受け取ることができる権利としての「著作権(財産権)」(著作権法第21条~28条)です。
特に、著作物は、その著作者の考えや気持ちを表現したものですから、著作物を通して表現された著作者の人格を守るため、「著作者人格権」が定められています。「著作者人格権」としては、①「公表権」(著作者が著作物を公表するかどうか、公表する場合どのような方法で公表するかをきめる権利―著作権法第18条)、②「氏名表示権」(著作者が自分の著作物にその氏名を表示するかどうか、表示する場合本名にするか、ペンネームにするかをきめる権利―著作権法第19条)、③「同一性保持権」(著作者が自分の著作物のタイトルや内容を、ほかの誰かに勝手に変えられない権利―著作権法第20条)が定められています。
2.俳句という短い文章作品に「著作権」が認められるのでしょうか?
ところで、俳句は「著作物」と言えるのでしょうか。
著作物とは、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」(著作権法第2条1項)に該当するでしょうか?
俳句は、5・7・5の17文字(17音)で構成される日本固有の定型詩で、季語を使って季節の情景や人情を表わす文学になります。作者として、江戸時代の松尾芭蕉、明治時代の正岡子規が有名です。俳句は、前回このコーナーでご説明している現代のキャッチフレーズと同様に、短い文章で作成されることから、通常の言葉や単語の組み合わせという側面があり、著作物として認められるか疑問はあります。しかし、俳句は、単に言葉の組み合わせではなく、季語に内蔵された季節の情景や人情を言葉で描き出す文学であり、「思想または感情を創作的に表現」する文芸であると言えます。
裁判例でも、本件事案を審理した、東京地裁平成9年8月29日(判例時報1616号148頁)、東京高裁平成10年8月4日(判例時報1667号131頁)では、俳句の添削による著作者人格権としての「同一性保持権」を審理している中で、いずれの判決においても、俳句の著作物性を否定するような判示は一切ありませんでしたし、むしろ、俳句に著作権が発生するということを前提として、裁判所は事件を判断していますので、俳句は、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」に該当する著作物として、著作権が認められるものと判断されていることになります。
3.俳句の添削は、俳句作品の「同一性保持権」を侵害することになるのでしょうか?
俳句に、著作物性が認められる場合には、俳句には著作者人格権としての「著作者が自分の著作物のタイトルや内容を、ほかの誰かに勝手に変えられない権利―著作権法第20条」としての同一性保持権も認められることになります。それに対して、俳句の添削は、文字を削除して置き換えたり、別の文字や文章を加えたりすることなので、元の俳句の同一性を変える行為になりますが、俳句の歴史的な学び方や修練方法として、俳句雑誌等での添削指導や投稿句の添削入選掲載が行われている実情については、法的にどのように考えればいいのでしょうか?
著作権法第20条2項は、同一性保持権の例外として、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」等については、著作権法第1項の適用を受けない(同一性保持権の適用が無い。)としています。また、著作権法の権利は、権利者の権利ですから、権利者が承諾している範囲では不当な権利侵害にはならないということも権利の性質上(著作権法は強行規定ではなく、任意規定と解釈されている。)認められるところです。
(1)東京地裁平成9年8月29日(判例時報1616号148頁)
・ 「本件雑誌の入選句欄においては、たとえ応募要領中にその旨が明示されていなくとも、指導者たる選者の判断において、投句者の原句を添削したうえで入選句として掲載することがあり得ることを前提として、投稿句を募集していたものと推認され、また前記2(四)※認定の被告乙山(例題では「冬井太郎氏」)の選句態度によれば、被告乙山としては選句にあたり添削し得ることを前提としており、指導上の観点から添削を行っていたものと推認される。」
※ 被告乙山は、総合俳句詩「俳壇」の「選者にきく」の欄で、主宰誌の選句では、指導を主とするので、一字か二字を改めたり、語順を替えたりなどの添削を加え、作者の個性的な発想により近づけるための添削を心がけていること、マス・メディアの選句の場合は、作者の個性よりも作品本位で選句の幅を広くしていることを述べている。
・ 「右のような俳句界における添削指導の慣行、雑誌等の投句欄の入選句選定に際して添削が一般的である実情、本件雑誌及びその入選句欄の性格、本件各俳句の選者たる被告乙山の添削の目的などを総合すると、被告乙山による本件各俳句の改変は、俳句の学習用雑誌に投稿された俳句を、指定された選者において指導上の観点から俳句界の慣行に従って添削したものであって、そもそも実質的に違法性がないものと解される。また、本件雑誌の入選句欄は、選者の判断により、必要に応じて投稿句を添削したうえ入選句として掲載することがあり得ることを前提に投稿を募集していたものであり、俳句を学習する者として、前記のような俳句の添削指導の慣行や実情を容易に知りうる立場にあった原告としては、ことさら添削を拒絶する意思を明示することなく、被告乙山を選者と指定して、本件各俳句を投稿したことにより、原告は、被告乙山による本件各俳句の添削及び被告会社による添削後の俳句の本件雑誌への掲載について、少なくとも黙示的に承諾を与えていたものと推認するのが相当である。」
・ 「そうすると、被告乙山が本件各俳句を改変した行為は同一性保持権の侵害にあたらないし、被告会社が本件入選句を原告の俳句として本件雑誌に掲載し、本件雑誌を販売した行為も、原告の本件各俳句についての著作者人格権を侵害するものではなく、右侵害を理由とする損害賠償及び名誉回復措置の請求は、いずれも理由がない。」
として、「黙示の同意があった」と認定して、選者側の冬井太郎氏(判例上の「被告乙山」)には、著作権の侵害はないとしています。
(2)東京高裁平成10年8月4日(判例時報1667号131頁)
・ 「本件各俳句の投稿当時、新聞、雑誌の投句欄に投稿された俳句の選及びその掲載に当たり、選者が必要と判断したときは添削をした上掲載することができるとのいわゆる事実たる慣習があったものと認めることができる。」
・ 「添削及び掲載についての事実たる慣習が存在したか否かは、控訴人がそのような事実たる慣習を現実に知っていたか否かとはかかわりのない客観的事実の問題である。そして、事実たる慣習が認められる場合には、当事者間において特にこれを排斥しあるいはこれに従わない旨の意思が表明されていない限り、慣習によるとの意思があったものとして法的に取り扱われることがあり得るのである(民法第92条)。また、著作権の同一性保持権を規定する著作権法第20条は、民法第92条にいう「公ノ秩序ニ関セサル規定」、すなわち任意規定であると解される。さらに、本件において控訴人が本件各俳句を投稿するに当たり、添削をした上で採用されることを拒む旨の意思を表明したとの事情はうかがわれないから、民法第92条にいう「当事者力之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムヘキトキ」に当たると認められる。」
・ 「そうすると、本件各俳句を添削し改変した行為は、右のような俳句界における事実たる慣習に従ってたものであり、許容されるところであって、違法な無断改変と評価することはできないから、本訴請求のうち、本件各俳句の無断改変による著作者人格権侵害及び名誉毀損をいう損害賠償請求は、理由がない。」
として、「明示の承諾もない」「黙示の承諾もない」けれども、俳句の添削は、選者が必要とした範囲で投稿者の承諾なく行うことができるという「事実たる慣習」により許容されているので、著作者人格権としての同一性保持権の違法な侵害にはならないとして、選者側の冬井太郎氏には著作権の違法な侵害はないとしています。
4.最後(まとめ)
東京地裁判決と東京高裁判決は結論は同じですが、理由づけが「黙示の承諾があったので著作権侵害にはならない」という点と「黙示の承諾があったとは言えないが、事実たる慣習から著作権侵害にはならない。」という点で異なります。高裁判例の言う「事実たる慣習」とは、民法92条にも慣習の効力に関する定めがあり、任意法規(当事者が異なる特約を設定することが認められる規定をいう。)と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者が、この慣習による意思を有するものと認められる場合は、慣習による意思の方が優先して適用されるとする考え方です。
いずれにしてもA男は、自分の俳句作品Aの改変を嫌っていた場合には、俳句投稿の際に、作品の添削は拒否しますという申出を行っていない限りは、俳句界の歴史的社会的慣例としての選者による添削を著作権侵害ということができないということになろうかと思います。
テレビで観る俳句の添削や評価についても、楽しむだけでなく、法律上はこのような著作権上の問題もあるんだなあと思いながら楽しんでいただければよろしいかと思います。
以 上
キャッチコピーと著作権
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.キャッチコピーって何?
キャッチコピーとは、キャッチフレーズと同じで、「広告宣伝に用いられる謳い文句」を言います。
会社の100周年記念事業として、『次の100年もあなたとともに!』という標語を作って、会社の新商品販売コマーシャルやポスターに使用したりします。「お、ねだん以上!○○○」という言葉を使って、会社名・店舗名を印象付けるコマーシャルをしている例もあります。お菓子の「やめられないとまらない♪」や、物置の「100人乗っても大丈夫!」は誰でもご存知でしょう。このような標語や謳い文句を作成することを仕事にしている人もいます(糸井重里さん等)。キャッチコピーは、人に「なるほど!」と思わせる奇抜性があり、作成した人の創造性が発揮された言葉である一面もありますが、よくよく考えると、誰でも使っているありふれた言葉に過ぎない面もあります。
2.著作権って何?
「著作権」とは、著作物に関する使用権・利用権等での財産的価値が保障され、著作物を通じた著作者の人格的価値も保護されるという権利です。簡単に言えば、自分の著作物を第三者に勝手に利用されたり、改変されたりすることを禁止する権利です。
著作権が発生するためには、そのキャッチコピーが「著作物」でなければなりません。「著作物」とは、著作権法という法律で「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(著作権法第2条1号)と規定されています。
まず、前記「やめられないとまらない♪」や、物置の「100人乗っても大丈夫!」等の標語の数々は、単に、宣伝事項や注目事項のようなものをありふれた言葉で表記しているに過ぎないので、作者の独創性のある思想や感情を表現したもの(個性のある表現)ではなく、著作物とはいえないでしょう。
そもそも、俳句や短歌など文学性の高い場合を除き、キャッチコピーや本のタイトルなどの短い表現は、一般的には、ありふれた表現になりやすいといえます。
そのため、ありふれた表現であれば、著作者の個性が現れているともいえず、創作性がないとして、やはり著作物ではないとされることが多いと思われます。なぜなら、例えば、「風の歌を聴け」という本のタイトルに著作権を認めてしまうと、他の作家さんが「風」「歌」「聴け」のような言葉を組み合わせた表現ができなくなり、後の時代の人たちの表現の選択の幅がかなり狭められてしまうでしょう。これは文芸、学術、美術又は音楽の活動にとって良いことではありません。
短い表現は、以上のような理由で、著作物として認められるためにはハードルがかなり高いわけですが、個別的に検討する中では、「思想や感情の表現」「創作的な表現」として著作物性が認められることもあり得ます。商品に関するキャッチフレーズではありませんが、交通標語「ボク安心 ママの膝より チャイルドシート」という短いフレーズについて、創作性を認めた裁判例があります(東京地判平成13年5月30日:判例時報1752号141頁―但し、「ママの胸よりチャイルドシート」という標語が、交通標語「ボク安心 ママの膝より チャイルドシート」とは同一性はなく著作権は侵害していないとの結論になっています。)
3.裁判例
商品キャッチコピーに関する実際の裁判例を見てみましょう。
(1)著作権については、被告(旧・エス株式会社)の商品である英会話教材「エブリデイイングリッシュ」のキャッチフレーズは、原告商品である英会話教材「スピードラーニング」のキャッチフレーズの著作権侵害であると原告(株式会社エスプリライン)が主張して、被告(旧・エス株式会社)に対して、差止めおよび損害賠償を求めて訴えた事件(スピードラーニング事件―東京地裁平成27年3月20日判決:判例秘書L07030164、知財高裁平成27年11月10日判決:判例秘書L07020454)があります。原告会社と被告会社のキャッチフレーズは次の内容です。ほぼ同一です。
<原告のキャッチフレーズ>
① 音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる
② ある日突然、英語が口から飛び出した!
③ ある日突然、英語が口から飛び出した
<被告のキャッチフレーズ>
① 音楽を聞くように英語を流して聞くだけ 英語がどんどん好きになる
② 音楽を聞くように英語を流して聞くことで上達 英語がどんどん好きになる
③ ある日突然、英語が口から飛び出した!
④ ある日、突然、口から英語が飛び出す!
(2)東京地裁判決は、「原告のキャッチフレーズは、17文字の第1文と12文字の第2文からなるものであるが、いずれもありふれた言葉の組合せであり、それぞれの文章を単独で見ても、2文の組合せとしてみても、平凡かつありふれた表現というほかなく、作成者の思想・感情を創作的に表現したものとは認められない」として創作性(著作物性)を否定しています。
また、その控訴審である知財高裁判決は、同じく著作物性を否定しているのですが、
①「キャッチフレーズは、特定の商品や役務の宣伝・広告において、当該商品や役務を需要者に訴えかけるために用いられる比較的短い語句であるが、当該商品や役務の名称と一緒に表示され、その内容が、当該商品や役務の構造、用途や効果に関するものである場合は、当該商品や役務の説明を記述したものとして需要者に把握され、キャッチフレーズ自体には独自の自他識別機能又は出所表示機能を生じないのが、通常である。」
②「(広告におけるキャッチフレーズのように、商品や業務等を的確に宣伝することが大前提となっているので)アイデアや事実を保護する必要性がないことからすると、他の表現の選択肢が残されているからといって、常に創作性が肯定されるべきではない。すなわち、キャッチフレーズのような宣伝広告文言の著作物性の判断においては、個性の有無を問題にするとしても、他の表現の選択肢がそれほど多くなく、個性が表れる余地が小さい場合には、創作性が否定される場合があるというべきである。」としています。
これは、あるアイデアを表現するために選択肢が多くないのであれば、そこでの選択は個性の表れとはいえないので、著作物性が否定される方向になること、すなわち、著作物性の判断要素である「創作性」というものは、表現の幅がある中で個性を発揮する必要があるという原則を述べているものと理解されます。
以 上
農地の差押えと農作物の帰趨
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
〇 農地所有者Aの農業を承継した息子(耕作者B)が、差押えした農地に稲を作付けしている場合に、差押えの効力は稲にも及ぶのでしょうか?(落札者Cの農地
所有権の及ぶ範囲について)
(1)差押え時に田植えがなされていた場合
(2)差押え後に田植えがなされていた場合
に分けで教えてください。
<回答>
1 民法上の規定 不動産である農地に対して差押の効力が及ぶ対象の範囲については、法律上の明文の規定を欠いていますが、原則として、その不動産上の抵当権の効力が及ぶ範囲と同一であるとされており、次のとおり、抵当権の効力は、目的不動産とその付加一体物、従物、従たる権利に及ぶとされています。
* 民法第370条(抵当権の効力の及ぶ範囲)
抵当権は、抵当地の上に存する建物を除き、その目的である不動産(以下「抵当不動産」という。)に
付加して一体となっている物に及ぶ。ただし、
設定行為に別段の定めがある場合及び債務者の行為について第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合は、この限りでない。
* 民法第87条(主物及び従物)
物の所有者が、その物の常用に供するため、自己の所有に属する他の物をこれに附属させたときは、その附属させた物を従物とする。
2 従物は、主物の処分に従う。
* 民法第242条(不動産の付合)
不動産の所有者は、その不動産に
従として付合した物の所有権を取得する。ただし
、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。(附合物には従物も含む)
2 息子の権限は?➡農地の使用貸借契約の効力は?
「賃貸借を目的とした農地法3条の許可及び農業経営基盤強化促進法の利用権設定等で借り受けている農地」の場合には、利用権の解除権の行使等に制限もあって、対抗力も「引き渡し」でよいとされていますが、無償の使用貸借の場合は「引き渡し」があっても第三者対抗力は有しないとされています。
しかしながら、
(1)民法第242条但し書の「権原」は、賃貸借でも使用貸借でもよいし、
対抗力を有しない土地譲受人が耕作して稲を生育させた場合でもよいとされています(大審院判例昭和17年2月24日)ので、対抗要件は不要という趣旨になろうかと思われます。ご質問の場合の耕作者Bは使用貸借権者として「権限のある者」であって、権限の無い者ではないということになります。
(2)「物を附属させた他人の権利を妨げない」とは、他人にその物の所有権を認めるという意味になりますので、田植えされた苗や稲穂は植えた人の所有物のままになります。
3 法的検討
構成物(土や草など土地と一体となる物)と従物(石灯籠や小さな農具入れ小屋など土地とは区別できるもの)の観点も含めて、以下のとおりの結論となるのが一般的な考え方になります。
(1)差押え時に稲が穂をつけるなど収穫が予定される程度になっていた場合には、稲の所有権は耕作者Bにあり、それを妨げることはできないので、公売時に無収穫状態で農地に植わったまま定着していたとしても、落札者Cは稲を取得することはできない。(民法242条但書)
(2)差押え時に稲が植え付けられたばかりの状態の場合は、稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難→稲苗の所有権は農地所有者Aに所属するので、公売時にその稲苗の状態のままであれば一緒に公売や競売できる。・・・ただし、稲苗を付合させた耕作者Bからの償金請求(不当利得返還請求)がなされる。(民法248条)
(3)差押え時に稲が植え付けられたばかりの状態の場合は、稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難であるが、公売時や競売時に収穫できる程度になっていた場合には、独立の所有権を認めることのできる「従物」に転化するので、「物を附属させた他人の権利を妨げない」ということから、耕作者Bに稲の所有権があることになり、公売時に無収穫であったとしても落札者Cは稲を取得することはできない。(民法242条但書)
(4)差押え後に耕作者Bが稲苗を植えた場合には、公売時や競売時に収穫できる程度になっていた場合には、差押えの及ばない独立の所有権を認めることのできる「従物」になるので、「物を附属させた他人の権利を妨げない」ということ以前に差押えが及んでいないので、耕作者Bに稲の所有権があることになり、公売時に無収穫であったとしても落札者Cは稲の所有権は取得できない。(民法242条但書)
(5)差押え後に耕作者Bが稲苗を植えた場合には、公売時や競売時に稲苗状態のままであった場合には、稲が植え付けられたばかりの状態では稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難→稲苗の所有権は農地所有者Aに所属するので、その稲苗の状態のままであれば一緒に競売できる。・・・ただし、稲苗の付合させた耕作者Bからの償金請求(不当利得返還請求)がなされる。(民法248条)。
↓↓
4 結論(まとめ)
農地の差押えの効力は、農地の所有権移転等の処分禁止の効力があるだけで、農地の使用権や利用権による耕作を禁止するものではないので、息子(耕作者B)に正当な農地利用権がある以上、使用権に第三者対抗力がないとしても、その利用権の結果は保護されることになり、その作物植え付け等の使用行為が差押え前であろうと差押え後であろうと、作物に関する権利や利益は耕作者Bに認めることが原則になります。
但し、公売での落札者Cに、農地の所有権以外に作物の所有権も移転できるかという作物の所有権の問題を検討するならば、差押えの時点ではなく、公売の時点で
(1)農地とは別の所有権対象となる「従物」=「実が附いた状態の稲」「収穫状態の稲」の時には、農地の公売で農作物の稲は落札者Cには所有権移転せず、農地の所有権だけが農地所有者Aから落札者Cに移転し、作物の稲は耕作者Bに残り、耕作者Bが収穫できることになります。
(2)他方、農地とは別の所有権にならない「構成物」=「種を蒔いた状態」「田植えしたばかりの状態」のときは、種や苗の所有権(農地所有者Aの所有権)の中で一緒に公売で落札者Cに移転し、耕作者Bは種や苗の所有権は消失することになるのですが、その分の償金(不当利得金)を落札者C又は農地所有者Aに請求できる権利が残されます。この場合、落札者Cは耕作者Bに償金を払うくらいなら、公売後、耕作者Bに収穫時期まで有料で賃貸し収穫物から利益をもらう方法がよいと考えるなら、耕作者Bとのそのような新たな契約をすればそのような対応でも可能であるということになります。
以 上
妊娠・出産・中絶等の生殖補助医療における自己決定の権利について~ 男性に「子どもをもうけることの自己決定権」があるの? ~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.今の日本社会では、精子や卵子の保存技術の発達により、必ずしも合意の性行為が必要なく、受精及び出産をすることが可能となったことから、男性との合意なく女性が当該男性の子どもをもうけることも事実上可能な時代になっています。
2.日本国憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めてあり、ここに定める「幸福追及に対する国民の権利」は、個人の人格的生存に不可欠な権利・自由を包括する「基幹的な人格的自立権」とされ、「幸福追求権」には、身体・精神・経済的自由のほか、(a)
人格価値そのものにまつわる権利(名誉権・プライバシー権・環境権など)、(b) (狭義の)人格的自律権(自己決定権)、(c) 適正な手続的処遇を受ける権利などが含まれ、特に、(b)の「自己決定権」に含まれるのは、①
自己の生命、身体の処分にかかわる事柄、② 家族の形成・維持にかかわる事柄、③ リプロダクション(=生殖)にかかわる事柄、④ その他の事柄(服装・身なり・外観、性的自由、喫煙、飲酒など)であるとされています。
3.今回は、自己決定権のひとつの場面である「リプロダクション(=生殖reproduction)にかかわる自己決定権」について検討してみましょう。
日本での「生殖」に関する法的制度としての妊娠中絶や出生前検査に関する法的規制をみると、刑法が堕胎罪の規定を置く一方で、母体保護法14条1項がいわゆる「経済的理由」による中絶を認めていることから、ほとんどの中絶がこの経済的理由による中絶条項にもとづいて行われており、法令による行為として刑法の堕胎罪の違法性が阻却されています。一方で、胎児の障害を理由とする妊娠中絶を認める、いわゆる「胎児条項」は存在していません。
しかしながら、中絶に関わる「自己決定権」は、先に述べたように憲法上の権利の原形(本源的権利・基幹的権利)であり、これを日本国憲法の規範体系の下に位置づけるとすれば、1人1人の人間を、個人は尊重すべきことをうたった日本国憲法第13条にその憲法上の根拠を求めることができるわけです。
かかる観点からは、日本の法制度において「生殖」に関する権利を定める制度がないとしても、そもそも自己決定権の保障の中で、「人が安全で満足のいく性生活がもてること、子供を産む可能性をもつこと、さらに産むかどうか、産むならいつ何人産むかを決める自由が認められていることになります。「リプロダクション(=生殖)にかかわる自己決定権」として、妊娠・出産・中絶等の自己決定権が保障されているわけです。
このような権利は、主に女性にとっての自由と考えられてきましたが、男性にとっても「子どもをもうけることの自己決定権」も認められた判例が現れました。<女性がその男性の子どもが欲しいと願っても、その男性の同意が必要になるか?>という問題になります。
本来は、男性及び女性の合意と性行為がなされないと子供はもうけられないのですが、精子や卵子の保存技術の発達により、必ずしも合意の性行為が必要なく、受精及び出産をすることが可能となったことから、改めて、「子どもをもうけることの自己決定権」に基づく男女の「合意」が求められることになってきています。
4.判例上、男性の「子どもをもうけることの自己決定権」が認められた判例を紹介しましょう。大阪地裁令和2年3月12日判決―(判例時報2459―3)及び大阪高裁令和2年11月27日判決―(法学セミナー2021年12月号114頁)です。
事案の内容は次のとおりです。
(1)原告Ⅹ(男性・夫)と被告Y(女性・妻)は平成22年7月に結婚し、平成25年頃からAクリニックで不妊治療をしていた。
(2)平成26年4月に原告Ⅹと被告Yは不仲となり別居生活となった。
(3)上記別居前に、Aクリニックの不妊治療のための再度の精子提供の要請に同意して、原告ⅩはAクリニックに精子提供をした。Aクリニックで、原告Ⅹの精子と被告Yの卵子の受精卵が培養され凍結保存されていた。
(4)平成27年4月、被告Yは子供をもうけたいという決心で、原告Ⅹの同意書を作成してAクリニックに提出して、Aクリニックから受精卵の移植手術を受けた。
(5)被告Yは妊娠して、子供を出産した。(子供はⅩYの推定嫡出子での届出)
(6)原告Ⅹと被告Yは、平成29年11月に正式に協議離婚した。
(7)原告Ⅹは、被告Yに対して、受精卵提供のⅩ名義の同意書を被告Yが偽造して妊娠したのは、原告Ⅹの「子をもうけることについての自己決定権」を侵害する不法行為であるとして、慰謝料2,000万円の損害賠償請求の裁判を提起した。
5.このような事案に関して、裁判所は、次のように判断しています。
「個人は、人格権の一内容を構成するものとして、子をもうけるか否か、もうけるとしてもいつ、誰との間でもうけるかを自分で決めることのできる権利、すなわち、子をもうけることについての自己決定権を有する。」
「原告Ⅹ(男性)は、本件移植が行われるまでの約1年間、Aに対し凍結保存受精卵(胚)を被告Y(女性)に移植しないように求めたことはないものの、それに関する問い合わせすらしていないのであるから、少なくとも、被告YやAに対して、当該凍結保存受精卵(胚)の移植について、積極的な同意を明示した事実があったとは認められない。」
「夫婦の間においても、子をもうけるか否か、もうけるとしてもいつもうけるかは、各人のその後の人生に関わる重大事項であるから、夫婦の別居以降、子をもうけることについて原告Ⅹが積極的な態度を示していなかった経緯を踏まえると、本件移植を受けるに先立って、改めて原告Ⅹの同意を得る必要があったことは明らかであった。ところが、被告Yは、原告Ⅹの意思を確認することなく、無断で本件同意書に本件署名をしてAに提出し、本件移植を受けたのであるから、被告Yの一連の行為は、原告Ⅹの自己決定権を侵害する不法行為に当たる。」
(判決結果)「被告Y(女性)は、原告Ⅹ(男性)に対して、慰謝料500万円とDNA鑑定費用等、合計約559万円の慰謝料等を支払え。」
以 上
民法改正による契約不適合責任について(分譲地の売買と地盤改良が必要となった場合の負担責任)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
Ⅿ町から次のような法律相談がありました。
(例)平成○年Ⅿ町分譲地の地盤調査 … 地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘された。
令和△年 9月28日 本件宅地の分譲決定を買主甲に通知
※契約書等でも地盤が軟弱である可能性がある個所の存在は指摘していない。
令和△年10月 4日 買主甲が地盤調査
令和△年10月13日 分譲宅地売買契約の締結
令和△年10月29日 譲渡代金の支払い・受領(280万円程度)、移転登記申請
※買主甲は家を建築するために地盤改良が必要となり、費用123万2,000円を負担した。➡売主Ⅿ町が負担すべきか。(賠償すべきか)
(弁護士の回答)
家を建築するために地盤改良が必要となるほどの地盤が軟弱であったことは、売買契約の目的物に、旧民法の「瑕疵」又は新民法(2020年4月施行後の民法)の「契約不適合」に該当すると考えます。以下、説明します。
1.民法改正
民法改正により、「瑕疵担保責任」は、「契約不適合責任」に変わりました。瑕疵担保責任と契約不適合責任の違いをまとめると以下の通りです。
項 目 |
瑕疵担保責任 |
契約不適合責任 |
法的性質 |
法定責任 |
契約責任 |
要 件 |
隠れたる瑕疵 |
契約の内容に合致しない場合 |
買主が請求できる権利 |
1. 契約解除 2. 損害賠償請求 |
1. 追完請求(562条) 2. 代金減額請求(563条) 3. 催告解除(541条) 4. 無催告解除(542条) 5. 損害賠償請求(415条) |
損害賠償責任 |
無過失責任 |
過失責任 |
損害の範囲 |
信頼利益 |
※履行利益(信頼利益も含みます) |
・瑕疵とは、「売買契約の目的物が通常有すべき品質・性能を欠くこと」
・隠れた瑕疵とは、買主が通常の注意を払ったにも関わらず発見できなかった瑕疵
2.契約不適合責任
契約不適合責任は、「種類、品質または数量に関して契約の内容に適合しないものがあるとき」に売主が責任を負い、買主が保護されるという制度を言いますが、宅地上に建物を建てる場合に、建物が建たない軟弱な地盤は、品質に関して不適合があることになります。
(1)売主Ⅿ町に過失がない場合
まず、改正後の新民法の契約不適合責任においては、損害賠償請求は過失のある場合のみに認められることになりました(新民法第415条1項但書 売主に過失(責めに帰すべき事由)がある場合のみに認められます。)ので、売主Ⅿ町に過失がない場合には、買主甲は売主Ⅿ町に対して損害賠償請求はできませんが、以下の請求ができます。
<1>新民法第562条 「修補請求」は、軟弱地盤の強度補強工事を行うという意味での修補になりますが、買主甲において修補されているので、次の「売主が修補しない場合」に準ずる対応をすることになります。
<2>新民法第563条 「代金減額請求権」は、追完請求の修補請求をしても売主Ⅿ町が修補しないとき、あるいは修補が不能であるときについて認められる権利であるので、買主甲は、自分で修補した分だけ代金を減額請求できます。
本件の場合の減額請求は、売主Ⅿ町が修補(地盤沈下調査及び改良工事)をした場合の費用分に相当することになりますが、買主甲の依頼した地盤改良工事代金(123万2,000円)が、相場の価格かどうか(100万円程度ではないかどうか等)を調査して判断することになるでしょう。その上で相場分の代金の一部を返還をすることになります。なお、上記<1>の修補請求を受けて売主Ⅿ町が自ら修補する場合には、地盤改良工事代金相場の価格(例えば100万円)で注文して修補するでしょうから、実際に買主甲の依頼した地盤改良工事代金(123万2,000円)を買主甲が負担したとしても、相場分(例えば100万円)に相当する代金の一部を返還をするだけになるわけです。
(2)売主Ⅿ町に過失がある場合
売主Ⅿ町が、売買契約時に「宅地の一部分に軟弱箇所がある」ことを説明し、その点を契約書に記載し、買主甲も、その旨了解していた場合には、契約上の「不適合」とはならないのですが、それを知りながら、買主甲に軟弱地盤を説明していない場合には、信義則上の説明義務違反(過失=責めに帰すべき事由)があることとなります。
この場合には、売主Ⅿ町に損害賠償責任が発生します。(新民法第415条)
新民法の契約不適合責任における損害賠償請求の範囲には信頼利益のみならず履行利益も含みますので、実際に支出した地盤改良工事代金(123万2,000円)が損害額になります。この点、代金減額請求においては、地盤改良工事代金相場の価格(例えば100万円)を基準にする場合と異なることになりますが、この点は無過失責任と過失責任の違いということになろうかと思います。
(結論)
本件相談事例では、売主Ⅿ町は地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘されながら、そのことを買主甲に何ら説明もしないで分譲売却していると思われます。なぜ、そのような分譲手続きになったのか、分譲代金は通常の取引より格安にしているのかどうか、土地改良工事代金の見積は適正か否か等の実態がよく分かりませんが、少なくとも、このような分譲の仕方では、「過失(=責めに帰すべき事由)」のある契約不適合責任を負うと判断されます。なお、売主Ⅿ町にこのような過失がある場合には、買主甲は、損害賠償請求ではなく、上記の代金減額請求による減額(一部代金返還)の方法で解決することも可能です。
しかし、買主甲は、実際の地盤改良工事代金そのものを売主Ⅿ町に出して欲しいという場合には、代金減額請求ではなく、損害賠償請求として、地盤改良工事代金全額の支払いを求めることのほうが有利になろうかと思います。
3.本件問題の予防策
(1)本件のトラブルの原因は、地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘されながら、売主Ⅿ町担当者が分譲契約書等、目的物説明においても、地盤が軟弱である可能性がある点を明言しないで分譲売却していることにあります。人に商品としての不動産を売却するには、当該商品である不動産を通常の品質で売れる状態にしてから、分譲売買するべきです。その観点からの予防策としては、
○正常な状態の契約をするために売主M町が軟弱地盤の改良を行った上で、分譲売買手続きを行う方法にする。
をまずは考えることになります。
(2)売主Ⅿ町の経済・予算事情等その他の事情により、地盤の弱いところがあっても、格安で分譲することを優先したい政策であるような場合は、いわゆる契約不適合箇所があることを前提にしながら、新民法上の契約不適合責任は負わないという特約付きで分譲売買契約を行うことができるのでしょうか?その点については、新民法上の契約不適合責任規定が強行規定なのか、任意規定なのかで結論が異なりますが、新民法572条では「担保の責任を負わない旨の特約をしたときであっても、知りながら告げなかった事実及び自ら第三者のために設定し又は第三者に譲り渡した権利については、その責任を免れることができない。」と定めていますので、地盤の弱いところがある旨の説明をした上で、買主甲の責任で調査及び改良工事を行う旨の契約をすることは許されるものと考えます。その観点からの予防策としては、
○軟弱地盤がある場合には、買主甲の責任で調査及び改良工事を行う(売主は契約不適合責任を負わない)旨を契約書に明記する。
という方法も考えることができます。
以 上
地方自治体事務での書類の送付方法について(なぜ、ハガキや普通郵便が多用されているか?)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
<問題>
地方税の督促状などの文書について、納税者からすると郵便ポストに知らないうちに郵送されており、他の郵便物と一緒に間違って破棄したりする危険性があるのですが、重要な書類を普通郵便で送付すること自体問題ではないでしょうか。
仮に、納税関係の種類だけでなく、役所からの水道料や下水道使用料などの督促状なども普通郵便で送付されることがあるのでしょうか。
≪解説≫
1.地方自治体が納税者等に普通郵便で書類を送付した場合に、普通郵便では実際に宛名人へ到達したかどうかの記録は残りませんし、把握することもできません。そういう場合には、郵便を受けたとされた本人は、問題文のように自分で誤って破棄している場合でも、「自分はそのような郵便は受け取っていないし、そのような文書は見ていない。大事な文書であれば、書留郵便か配達証明郵便で送るべきだろう!」と抗議してくると思われます。
ただ、実際には、本当に郵便が届いていない場合(郵便窃盗事故、郵便廃棄隠匿事故等)もあり得ますし、そもそも送っていないという可能性もあります。そういう争いを生じさせる書類郵送の方法はいかがなものか、と思われる一般市住民は多いだろうと思われます。
2.納税関係書類の送付が通常の取扱いによる郵便で行われた場合については、地方税法第20条第4項及び第5項の定めがあります。
[地方税法第20条]
1
地方団体の徴収金の賦課徴収又は還付に関する書類は、
郵便若しくは信書便による送達又は交付送達により、その送達を受けるべき者の住所、居所、事務所又は事業所に送達する。ただし、納税管理人があるときは、地方団体の徴収金の賦課徴収(滞納処分を除く。)又は還付に関する書類については、その住所、居所、事務所又は事業所に
送達する。
2~3(省略)
4 通常の取扱いによる郵便又は信書便により第一項に規定する書類を発送した場合には、この法律に特別の定めがある場合を除き、その郵便物又は民間事業者による信書の送達に関する法律第二条第三項に規定する信書便物(第二十条の五の三及び第二十二条の五において「信書便物」という。)は、
通常到達すべきであつた時に送達があつたものと推定する。
5 地方団体の長は、前項に規定する場合には、
その書類の名称、その送達を受けるべき者の氏名、宛先及び発送の年月日を確認するに足りる記録を作成しておかなければならない。
県税事務所の納税通知事務を例にあげて、簡単にこの条文の内容を説明しますと、
「一般の郵便で税金に関する書類を送った場合は、『通常到達すべきであった時』にその書類が届いたと推定する。ただし、この規定を使うためには、県税事務所は税金に関する書類の名称・送付先の氏名・宛先・発送年月日を確認できる記録を作っておかなくてはならない」とされています。
つまり、県税事務所が納税通知書や督促状の発送時に、送り先や発送日の記録を残しておけば、宛先である納税義務者に実際に届いているかどうかに係わらず「通常到達すべきであった時」、例えば普通郵便で発送し宛先が同じ県内なら(常識的に考えて)発送から2~3日程度後には発送先へ到着したとみなしてよく、だから、費用の安い普通郵便で送ってよい、という理解がなされています。
そして、このような定めがある以上は、納税義務者が「いや、本当に届いていないんだ」と主張するためには、納税義務者の側が引越しや郵便事故等で届かなかったことを立証しなくてはいけないのです。
このような法律の定めをした理由は、一つは、納税通知などの多数の者への通知について、行政上の手続きの軽減と費用負担軽減を図る趣旨があり、もう一つは、そもそも税を納めるのは国民・住民の義務であり、本来は通知がなくても国民のほうから納めるべきものであるという税に関する理念があるのだろうと思われます。
3.それでは、税関係書類ではなく、それ以外の公文書、公的な通知書の送付の場合にも、普通郵便やはがきによる送付で良いのでしょうか?
私が行政の法律相談等の際に個人的に認識できた範囲では、水道料金や下水道料金の支払通知書は、「はがき」で行われているようですし、公営住宅の延滞家賃の督促も「普通郵便」で行われているのではないかと思います。行政処分通知書を普通郵便で送付している例もあったかと思います。
実は、地方自治体の事務手続きとしての書類の送達については、地方自治法第231条の3第1項、第2項、第4項に次のような定めがあり、地方税の規定を準用しています。
「1
分担金、使用料、加入金、手数料及び過料その他の普通地方公共団体の歳入を納期限までに納付しない者があるときは、普通地方公共団体の長は、期限を指定してこれを督促しなければならない。」
「2 普通地方公共団体の長は、前項の歳入について同項の規定による督促をした場合には、条例で定めるところにより、
手数料及び延滞金を徴収することができる。」
「4 第一項の歳入並びに第二項の手数料及び延滞金の還付並びにこれらの徴収金の徴収又は還付に関する
書類の送達及び公示送達については、
地方税の例による。」
この規定によれば、書類の送達に関する地方税法第20条第4項、第5項の適用があるのは「
分担金、使用料、加入金、手数料、過料その他の普通地方公共団体の歳入」という「債権」の「徴収・還付」に限られるということになります。
(1)「分担金」とは、特定の事業により特定の利益を受ける受益者に経費の分担を求めるもので(地方自治法第224条)、下水道事業負担金(都市計画法第75条)などがあります。
(2)「使用料」とは、公の施設(地方自治法第244条)の利用の対価であり(地方自治法第225条)、下水道使用料(下水道法第20条)などがあります。
なお、水道使用料は、水の売買代金としての私債権であり(東京高裁平成13年5月22日判決、最高裁平成15年10月10日判決)、使用料としての公債権ではないとされ、普通財産の使用(公営住宅の使用許可)の対価も契約による賃料債権(私債権)であり(最高裁昭和59年12月13日判決)、使用料としての公債権ではないとされています。
公立病院の診療代金請求権も、同様に私債権であるということになります(最高裁平成17年11月21日判決)
(3)「加入金」とは、慣習により公有財産の使用権(入会権等)を有しており、新しく使用を許されたものに対して「特別の使用権付与の対価」として一時的に賦課するものを言います(地方自治法第226条、第238条の6第2項)。
(4)「手数料」とは、特定の者のためにする事務又は役務の提供の反対給付としての金銭であり(地方自治法第227条)、身分証明書や印鑑登録証明書の発行手数料等などがあります。
(5)「過料」とは、行政上の義務違反者に対して制裁として科せられる行政秩序維持のための制裁であり、地方自治法第14条第3項は、「普通地方公共団体は、法令に特別の定めがあるものを除くほか、その条例中に、条例に違反した者に対し、二年以下の懲役若しくは禁錮、百万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑又は五万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」と定めています。この規定は、平成11年の「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」によって加えられたものです。さらに、同法第228条は、「詐欺その他不正の行為により、分担金、使用料、加入金又は手数料の徴収を免れた者については、条例でその徴収を免れた金額の五倍に相当する金額(当該五倍に相当する金額が五万円を超えないときは、五万円とする。)以下の過料を科する規定を設けることができる」とし (第3項)、かつ、「分担金、使用料、加入金及び手数料の徴収に関しては、次項に定めるものを除くほか、条例で五万円以下の過料を科する規定を設けることができる」としています (第2項) 。(これらの規定は、いずれも過料を科すには、条例の定めを要するものとしていますが、以上のほかに、同法第15条第2項は「普通地方公共団体の長は、法令に特別の定めがあるものを除くほか、普通地方公共団体の規則中に、規則に違反した者に対し、五万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」と定めていて、規則の制定は、首長の権限に属する事務であるので(同法第15条第1項)、その点において、条例に定める過料と規則に定める過料と所管の線引きがされることになりますが、過料の徴収等の手続きには差異はありません。)
(6)「普通地方公共団体の歳入」とは、「会計年度ごとの一切の収入」を意味し、地方税、分担金、使用料、加入金、手数料、過料、地方債、地方交付税、地方譲与税、国庫支出金、財産売払収入金、他会計からの繰入金」が含まれるとされています。
この解釈として、①
普通地方公共団体の歳入となるものであれば、その債権は公法上の債権であろうが、私債権であろうが、その徴収手続には、到達推定規定(地方税法第20条第4項、第5項)の適用があるとする見解と、②
到達推定が働くのは地方自治法第231条の3の公法上の債権の例に示されるものに限定され、私債権については到達推定は認められないので、私債権の送達には配達証明を付するなどが必要であるとする見解もあるのですが、私見としては、地方公共団体が一括送付を必要とする事情は、公法上の債権であろうが、私債権であろうが変わらないことから、前者の見解(私債権でも歳入として調定されれば到達推定が働く)でいいのではないかと考えます。
しかし、歳入に全く関係しない「行政処分の通知」や「監査手続きでの監査請求人への通知」等については、その到達の有無について争いが生じた場合に、到達推定規定は全く働かないので、相手方住民に到達したということを行政側が立証しなければいけません。
従って、このような書類の送付方法としては、その到達を直接立証できる、「配達証明郵便」又は「直接の交付」(受取書受領)によって行わなければならないだろうと考えています。
4.到達推定規定の適用に関する判例
地方自治体の歳入債権の徴収文書を普通郵便で送付した場合には、規定上「到達の推定」があるだけであり、推定である以上は、納税義務者から、その推定を破る証拠が提出されると、「到達していない」と認定される場合もあるということになります。
例えば、本人への未到着以外に、近隣全体に郵便物未到着例が多く発生していたとか担当郵便局員が未配達隠匿していたというような事実が立証される場合などが考えられます。
そのような観点で、問題となった事例の判決がWeb上で二例紹介されていましたので、引用しておきます。
○東京地裁平成27年4月28日判決(判例集登載なし―(情報提供:株式会社ロータス21)
非居住者である原告が指定した納税管理人の住所に納税通知書が到達しなかったことを理由に、原告がY区に対し納税通知書の送付が前提となる督促処分の取消しを求めた事案において「自己への書籍が配達されなかったという出来事の他に、自己の住所に郵便物などの不達(誤配など)が相当数発生していたと認めるに足りる証拠はなく、地方税法第20条第4項の推定を覆すに足りないので、送達があったものと判断する。」
○東京地裁平成27年4月23日判決(判例集登載なし―情報提供:株式会社ロータス21))
納税通知書の不達で期限内納付ができず延滞税が発生したとして、原告がY市に対し延滞税の還付を請求した事案において、「地方税法第20条第4項の推定規定によれば、送達の立証義務は徴収者が負うものではなく、納税者である原告において、近年の郵便物の不配事件の発生の事情や納税通知書が送られていれば納税しない理由はないという事情は、本件納税通知書に関し郵便事故が発生したことを伺わせるほどのものとは言えないので、送達があったものと判断する。」
5.結論
<問題>への回答としては、「重要な書類を普通郵便で送付すること自体問題ではないでしょうか。」については、問題がないとは言えませんが、郵便が着いたかどうかについては、地方自治体が法的に救済される場合があります。
「仮に、納税関係の種類だけでなく、役所からの水道料や下水道使用料などの督促状なども普通郵便で送付されることがあるのでしょうか。」については、普通郵便でなされる例が多いと思います。その場合にも郵便が着いたかどうかについては、地方自治体が法的に救済される場合があります。
以 上
地方公務員の兼業禁止規定と運用例~地方公務員法第38条と太陽光発電販売について~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談事例)
○〇町の職員が、「親から相続した遊休地を利用して、太陽光発電施設を作り41kw程度の電気販売を行いたい。管理業務は親戚等に任せる。」との内容で、営利企業従事許可申請をしてきた。○○町としては、許可・不許可の判断をどのようにすればよいか。許可基準を定めた○○町の条例や規程はない。設備設置費用3,000万円は銀行融資を受ける予定とのことである。
≪回答≫
1.日本テレビ2023年1月期水曜ドラマ「リバーサルオーケストラ」という番組がありますが、その第1回放送で、~~主人公である谷岡 初音(門脇 麦)は市役所で働く地味な職員であるけれども、実は、少女時代から天才ヴァイオリニストであり、音楽の表舞台には出なくなっても、密かに自宅で音楽教室を開いて子供たちに教えながらヴァイオリン演奏や練習は続けていた。市の交響楽団のコンサートマスターに無理やりにでも迎えたい有名指揮者・常葉 朝陽(田中 圭)から、「これを受けてくれないと、あなたの地方公務員法第38条違反行為を市役所に言いますよ。いいんですか。」と言われて、谷岡 初音(門脇 麦)は「私は、音楽教室の生徒たちには無償で教えているだけですよ。」と切り返す~~という場面がありました。そこには、地方公務員法第38条の条文の字幕とセリフが出ていました。
2.地方公務員法第38条の規定は以下のとおりです。
「1 職員は、任命権者の許可を受けなければ、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下この項及び次条第1項において「営利企業」という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。ただし、非常勤職員(短時間勤務の職を占める職員及び第22条の2第1項第2号に掲げる職員を除く。)については、この限りでない。
2 人事委員会は、人事委員会規則により前項の場合における任命権者の許可の基準を定めることができる。」
この規定は、公務員の利益目的行為を業として行うこと(営利企業経営)は認めないことを原則としており、許可を受けることで例外的に認めるという内容ですが、許可の要件に該当すれば全て許可しなければならないという性質のものではありません。○○町の条例等でその許可基準がなくても、任命権者の裁量行為として許可することも許可しないことも可能ということになります。
原則は許可しない(禁止)であり、例外として許可するという制度であることから、許可しないことに一定の合理的理由がある場合又はどちらか判断が困難な場合には「許可しない」という取扱いでもよろしいかと思います。
そもそも、公務員の兼業禁止・営利目的行為の禁止の趣旨は、公務員の信用失墜行為の禁止(国家公務員法第99条、地方公務員法第33条)、守秘義務の遵守(国家公務員法第100条、地方公務員法第34条)、職務専念義務(国家公務員法第101条、地方公務員法第35条)それぞれに抵触する危険性が生じることに基づくものです。かかる観点からの危険性があるということで、許可しない方向での合理的な理由は認められやすいでしょう。
その点、そのような許可されない方向での解釈に対して、ドラマ「リバーサルオーケストラ」の谷岡 初音(門脇 麦)は、音楽教室としての事業は行っているけれども、無償で行っているので、営利目的行為でもなく報酬も得ていないので地方公務員法第38条の兼業禁止規定には違反していないと積極的に反論しているわけですね。
3.太陽光発電施設による電気販売行為について
ところで、営利が生じる兼業に関して、本件相談事例のような太陽光発電施設による電気販売行為について、国家公務員に関しては、人事院規則14-8で、営利企業の兼業規定により、10kw以上の太陽光発電販売は営利事業従事の許可を要するとしており(他に、賃貸業に関しても独立家屋5棟以上、アパート10室以上、賃貸料収入が年額500万円以上といった基準で営利事業としている)、更に、許可(承認)基準としては、職務との利害関係が生ずるおそれがないこと、電気販売の管理業務を事業者等に委ねて職員の職務遂行に支障が生じないことが明らかであること等が定められています。
地方公務員の場合には、かかる基準を直接定める通達は見受けられませんが、令和2年1月10日付け総務省自治行政局公務員部公務員課長通知の中で、平成31年(2019年)4月26日付「『職員の兼業の許可について』に定める許可基準に関する事項について」(内閣官房内閣人事局参事官通知)等の既存の通知や国家公務員法、人事院規則等を踏まえ、各地方公共団体において詳細かつ具体的な許可基準を設定すべきである」としていますので、定めていない場合においては、国家公務員に準じて許可・不許可の判断をすればよいだろうと思われます。なお、上記通知によれば、都道府県及び市町村の約4割程度で兼業許可に関する基準を定めているという調査結果が示されています。
本件相談事例の申請者職員は、管理業務は親戚等に任せると言っているようですが、親戚による事実上の管理では、一事業者としての管理を徹底してくれる必然性もなく、当該管理者に当該職員が全権一任するということにもならない可能性があり、申請者職員がかかる事業管理に関わっている間は公務遂行はできないわけなので、「職務遂行に支障が生じないことが明らかである」とまでは言えないのではないか、と判断できるのではないでしょうか。
また、既に所有している遊休不動産を単に賃貸して賃料収入を得ている公務員や実家の農業を承継して農業所得を得ている公務員などが散見される実情があるとは思います。このように、既にある所有物を利用したり、既にある収益行為を引き継いだりする収益事業とは異なり、本件相談事例のように新たな設備を買い入れて電気販売を行うという形態の場合、その事業性及び営利性は高くなり、「公務に精励せずに金儲けばかりに奔走しているのではないか」という批判を浴び兼ねず、公務員の信用失墜の可能性も高くなるため、兼業禁止の原則にそぐわないだろうと思われますので、原則的には「不許可」とするのが妥当ではないかと思います。
4.公務員の兼業禁止を緩やかに(運用例と今後の方向性)
本件と関連して、地方公務員の兼業禁止の運用に関しては、故安倍晋三氏の第3次・第4次安倍内閣で平成29年から施行された「働き方改革」の下で、労働貢献の範囲を拡大するメリットに注目して、兼業を幅広く認めていく運用が求められてきています。
まず、国において平成29年3月の「働き方改革実行計画」を踏まえて、平成30年1月に「副業・兼業の促進に関するガイドライン」が策定され、副業・兼業の普及促進が図られ、同年6月に内閣府の日本経済再生本部から出された「未来投資戦略2018」では、国家公務員の兼業に関し、円滑な制度運用を図るための環境整備を進めると示されたことにより、平成31年(2019年)3月28日付「『職員の兼業の許可について』に定める許可基準に関する事項について」(内閣官房内閣人事局参事官通知)により、国家公務員の兼業の許可基準が明確にされ、兼業が認められる方向性が示されつつあります。
また、厚生労働省の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」の解釈例として、① 労務提供上の支障がある場合、② 企業秘密が漏洩する場合、③ 会社の名誉や信用を損なう行為や、信頼関係を破壊する行為がある場合、④ 競業により、企業の利益を害する場合に該当しない場合には、民間企業従業員においては、株式・FX・仮想通貨などの投資は、自己資産形成の手段として行うものであるため、許可が必要な副業にはあたらないとする見解もあります。
ただし、公務員の場合においては、「地方公務員として信用を失わない活動」又は「本業に支障をきたさない活動」という観点等から、投資関係に関わる時間や取引金額等を勘案して、条件付で許可が必要な場合があると思われます。
地方自治体においては、神戸市は職員の副業解禁の先進事例自治体であり、職員の副業解禁を平成29年4月から実施しています。「地域貢献制度」と呼ばれ”営利企業への従事等のうち社会的・公益性の高い継続的な地域貢献活動に、報酬を得て従事する場合の取扱いを定めており、同様の制度を平成29年8月奈良県生駒市、平成30年10月宮崎県新富町などが定めています。宮崎県新富町の「地域貢献活動を行う職員の営利企業等の従事制限の運用について」の基本的基準としては、人口減少で深刻化している人手不足解消の対策として、在職6か月以上の一般職員(会計年度任用職員を除く)において、勤務時間外で地域に貢献する活動という基準を満たせば副収入を得ることを認めています。農家での就労、スポーツやお祭りなど地域行事の支援を想定しているようです(全国町村会平成31年1月14日付町村スポット記事があります)。それぞれに共通する要件としては「地域に貢献する活動であること」「公務勤務時間外の活動であること」「適正な報酬であること」があれば地方公務員の兼業としての副収入を認めていく方向の取り扱いをするものです。
各業界の労働力不足が懸念されていく少子高齢化社会において、「地域貢献」「労働力活用」をキーワードに、地方公務員の兼業禁止規定も例外運用が拡大されていくのかもしれません。
以 上
学校の先生は私生活上の不祥事を起こすと、厳しい処分を受けちゃうのですか?~学校教職員の不祥事とその責任の重さについて~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(問 題)
学校の音楽の先生Xは音楽作成ソフトウエアを無断複製してインターネット上で販売したことから、警察が学校や自宅を捜索する事態となり、刑事問題になりました。
先生Xは、先生を辞めなくてはいけなくなるのでしょうか?
(事案の概要)
①Y公立中学校の音楽教諭X(管理職ではない)が、
②生活費の不足を補うために、
③著作権法違反であることを認識しながら、市販の音楽作成ソフトウエアを無断で複製し、インタ―ネットオークションで複製品60本を販売し30万円の利益を得た。(本件非違行為)
↓↓
④その結果、警察によるX教諭宅、学校のX使用パソコン等の捜索が行われた。(この点は報道されていない)
⑤Xは著作権会社に謝罪し被害弁償の申出をした結果、示談金170万円(推定損害348万円)で和解した。
⑥著作権会社は、上記示談により、Xを宥恕する旨の上申書を検察庁に提出し、検察庁は著作権侵害罪につき、不起訴処分にした。(担当検事は不起訴処分とした際、Xに対して教員を続けることができるように勇気づける言葉を贈った)
⑦処分行政庁は、本件非違行為につき、Xを懲戒免職処分にし、処分行政庁によりXの懲戒免職処分が公表されたことで報道機関により報道された。
理由
a 教職員は髙倫理と廉潔性が求められる。重大な非違行為である。
b 本件非違行為は他人の財産権を侵害する金銭窃盗と罪責が近似しているので、窃盗犯罪に準じて厳しい処分となる。
*窃盗罪法定刑「10年以下の懲役又は50万円以下の罰金」(刑法第235条)
*著作権法違反「10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金又は併科」(著作権法第119条第1項)
⑧XはY人事委員会へ不服申立をし、Yの知事に対する審査請求を経て、懲戒免職処分取消訴訟を提起した。
(参照判例:札幌高裁判決平成28年11月18日-判例時報2332号-90頁、判例地方自治418号50頁)
○著作権法に違反するソフトウエアの無断複製及び販売行為を反復継続した公立学校教員に対する懲戒免職処分及び退職手当等の全部を支給しないこととする処分について、当該非違行為は極めて重大であるとまではいえず、その動機をもって極めて悪質であるともいえない等として、社会観念上著しく妥当性を欠き、処分行政庁がその裁量権の範囲を逸脱した違法なものとされた事例。
(解 説)
1.公務員の場合の解雇(免職)と労働契約法
公務員も憲法上の労働者であるのですが、公務員の勤務関係(労働関係)は、「契約」ではなく「任用」関係であり、労働契約に関する労働契約法は適用されません(労働契約法第22条第1項)。
2.懲戒処分の位置づけ
(1)民間労働者に関しては、労働契約上の付随義務である企業秩序遵守義務があり、その違反になる労働者の行為等については、使用者は就業規則の定めるところにより、制裁としての懲戒処分をすることができるとされています。ただし、その懲戒処分も使用者が自由に行えるものではなく、懲戒処分が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」には、懲戒権を濫用しているものとして懲戒処分は無効となります(労働契約法第15条)。
(2)公務員の場合は、地方公務員法の定めがあり「公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために課される制裁」として任命権者に懲戒権限が認められています(地方公務員法第29条、最高裁判例昭和52年12月20日)。ただし、その懲戒処分も任命権者が自由に行える(自由裁量)ものではなく、懲戒権の行使が「社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合」に限り違法となるとされています。
判例上、公務員に対する懲戒処分の適否については、「公務員の場合には,懲戒処分として戒告,減給,停職又は免職の処分をすることができるところ,職員が懲戒事由に該当する場合に,懲戒をするか否かの判断及び懲戒をするときはどのような処分を選択するかの判断は,内部の事情に精通し,平素から職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に委ねられていると解するのが相当であって,懲戒権者は,懲戒をするか否か及び懲戒をするときはどのような処分を選択するかを,懲戒事由に該当する行為の原因,動機,性質,態様,結果,影響等のほか,当該職員の上記行為の前後の態度,懲戒処分等の処分歴,選択する処分が他の職員ないし社会に与える影響等の諸般の事情を総合的に考慮し,その裁量的判断によって決定することができるというべきである。したがって,懲戒権者がその裁量権を行使してした懲戒処分としての免職の処分の適否を裁判所が審査する場合,裁判所は、懲戒権者と同一の立場に立って,懲戒をすべきであったか否か及び懲戒をすべきであったときはどのような処分を選択すべきであったかについて判断した上,その結果と免職の処分とを比較して,その適否を論ずべきではないのであって,懲戒権者がその裁量権を行使してした免職の処分は,それが社会観念上著しく妥当を欠き,懲戒権者が,その裁量権の範囲を逸脱し,又はそれを濫用してしたものであると認められる場合に限り,違法となるというべきである(最高裁判所昭和52年12月20日第三小法廷判決・民集31巻7号1225頁、最高裁判所平成2年1月18日第一小法廷判決・民集44巻1号1頁参照)。」としています。
3.私生活上の非行を理由とする懲戒処分の可否について
本件は,Xの職務外の私生活上の非行(音楽教育を離れて,私生活上の生活費不足を補うためにソフトウエアの違法複製を自宅パソコンを介してインターネットオークションで販売していた)が懲戒処分対象行為であるが、職務上の行為とは言えないことから、そもそも職務上で要求される義務違反(懲戒処分対象行為)になるのかどうかが問題となります。(なお、販売行為の違法性については、公務員においては、営利目的事業の兼業禁止の地方公務員法第38条違反も考えられますが、著作権侵害罪としての刑事処罰性に準じた違反のほうが強いので、後者のみの非行を問題にしているようです。)
(1)民間労働者の場合には、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような従業員の行為については、それが職務遂行とは直接関係のない私生活上で行なわれるものであった場合でも、これに対して会社の規制及び懲戒権を及ぼすことができます。ただし、その行為により「会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合」でなければならないとされています。
(2)公務員の場合には「公務の円滑な運営の確保と並んでその廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されていることから,一般企業(民間企業)の従業員と比較して,より広くかつより厳しい規制が課されている」(最高裁判決昭和49年2月28日:国鉄中部支社事件判決)として、職務と関係のない純然たる私生活上の行為についても厳格な規制(懲戒処分対象性)が及ぶこととなっています。少なくとも、非違行為と職務や地位との関連性が強い事例では懲戒免職処分の有効性は認められる場合が多く、関連性が少ない事例の場合には、懲戒処分の程度は低くなるという関連性において、総合判断されるという立場になろうかと思われます。
4.本件判決の分析(札幌高裁判決平成28年11月18日-判例時報2332号-90頁)
まず、本件一審の判決(札幌地裁平成28年6月14日判決)は、「本件免職処分及び本件退職手当支給制限処分は、いずれも処分行政庁がその裁量権の範囲を逸脱し又はそれを濫用してした違法なものではなく、適法な処分である。」としていますが、本件高裁判決(札幌高裁平成28年11月18日判決判例時報2332号-90頁)は、結論としては、「懲戒処分の裁量権の範囲を逸脱しており、懲戒免職処分は違法である」としています。その理由は次のとおりです。(なお、本高裁判決の上告審(最高裁判決平成29年6月13日)は上告を棄却しており、本高裁判決の結論が確定していますので。高裁判例を引用しておきます。)
(1)指針基準の尊重と公平性の観点
懲戒処分として、戒告、減給、停職又は免職の処分のうち、免職を選択したことが、その裁量権を逸脱し、又はそれを濫用したものであるかについて検討するが、
その判断は、処分行政庁が自ら定めている原判決別紙の懲戒処分の指針によることが、平等取扱いの原則(地方公務員法第13条)及び公正の原則(同法第27条第1項)に照らして相当である。
(2)著作権法違反(無断複製販売)と窃盗との対比(指針基準の準用の適否)
懲戒処分の「指針」は、金銭事故(公金又は学校徴収金の横領・窃取)及び他人の財物の窃取の量定について免職を基本としているところ、処分行政庁は、本件非違行為が他人の財産権の侵害である金銭事故や窃盗に近似するとの評価のもとに、刑法等での量刑(*窃盗罪法定刑「10年以下の懲役又は50万円以下の罰金」(刑法第235条)、*著作権法違反「10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金又は併科」)と比較するなどした上で、本件免職処分をしたものであり,適法である旨主張している。
しかしながら、本件非違行為についての処分行政庁の上記評価は誤ったものである。
窃盗は、行為の反道義性、反社会性が国民一般に認識されている最も典型的、古典的な自然犯であるのに対し、本件非違行為は、産業政策的な目的で保護されているソフトウエアに対する侵害行為であることからすると、その性質は大きく異なっている。(すなわち、ソフトウエア(プログラム)についての著作権法違反の罪は、いわゆる法定犯として、著作権法において、産業政策的な目的から、保護すべき著作権の内容や範囲及び著作権侵害となる行為が規定されており、著作権法の保護の対象となったのも昭和60年の改正法によってであり、その内容は今後も変更されることが予想されるものである。背景にはデジタル技術の発展による複製の容易化とインターネットの普及があるが、後者にはネットにおける自由を求める運動もある。また、ソフトウエアの使用は、通常、複製作業を伴うものであり、複製物の所有者は同法第47条の3の定める範囲で適法に複製することもできる。違法コピーの存在は、かねてからの社会問題であるが、ソフトウエアの提供者において、市場占有率の確保などのためにコピーを許容している場合もある。このような性質の違いから、一般に、行為者にとって、ソフトウエアの違法コピーは、窃盗とは罪悪感に質的相違があると考えられ、また、社会的非難の質と程度にも大きな相違がある。)
そして、侵害に対する救済も民事的救済が中心であり(同法第112条以下)、刑罰は親告罪とされており(同法第123条第1項、第119条)、刑事裁判における著作権法違反の罪に対する実際の量刑も、窃盗のそれよりも相当軽いのであり、これは両者の罪質の違いに起因するものなのである。
以上によれば、
著作権法違反に該当する本件非違行為をした控訴人の懲戒処分をするにあたって、懲戒処分の指針における金銭事故及び窃盗の量定が免職処分を基本としていることを参考にするのは相当でないというべきである。
(3)本件行為の性質及び態様
本件非違行為は、控訴人が適法に購入した本件ソフトウエアを自宅のパソコンで複製して販売したというものであって、その手口は稚拙なものであるということができる。また、本件非違行為は、被害者と直接相対せず、自宅で簡便に行うことができるものであることから、罪の意識が低くなりがちな性質を有するといえる。
また、本件行為は、興味本位で、インターネットのオークションサイトに本件ソフトウエアを出品したところ、売買取引が成立したことから、本件非違行為を開始し、その後は、生活費の不足分等を稼ぐという目的から、本件非違行為を継続したものであり、営業目的や遊興費を稼ぐ目的等と比べると、その利欲目的は強固なものとはいえず、本件非違行為の動機をもって極めて悪質であるということはできない。従って、重大な非違行為であるとはいえるものの、極めて重大な非違行為であるとまではいえない。
(4)本件行為の結果ないし影響
① 著作権法違反の被害者であるB社との間で、B社に示談金として170万円を支払う旨の示談を成立させてこれを全て支払い、B社が明確に宥恕の意思を表明し、告訴しないことを明らかにした結果、犯罪として起訴されるには至らなかったことからすると、
本件非違行為の結果を重大であるとまでいうことはできない。
② 教職員である控訴人が本件非違行為をしたことによって、被控訴人の地方教育行政に対する社会の信頼が低下したことは否定できない。
しかしながら、
控訴人は管理職ではない一般教員であり、本件非違行為については職務外の行為であり、控訴人は逮捕されておらず、処分行政庁が、本件免職処分をした後に、本件免職処分とその理由となった本件非違行為を公表したことを受け、北海道新聞ほかの新聞各紙が本件免職処分とその理由となった本件非違行為について報道するまでの間、報道機関によって報道されることはなく、広く一般に知られることはなかった。そして、本件免職処分後になされた報道も、処分行政庁が同時期にした他の懲戒処分と併せて報道するものであり、本件免職処分についての記載は簡略なものであった。また、控訴人は、本件免職処分がなされるまでの間、児童生徒に対する指導を継続したが、上記中学校で混乱が起きることはなく、その指導に特段の支障は生じなかった。
したがって、
中学校の教員である控訴人が本件非違行為をしたことによって、被控訴人の教育公務員が遂行する地方教育行政に係る職務に対し、児童生徒やその保護者、地域社会を初めとする社会全体が有する信頼が著しく低下したと認められない。したがって、本件非違行為の社会的影響が重大であるということはできない。
(5)結論
以上の事情を併せ考慮すると、本件免職処分は、社会観念上著しく妥当性を欠き、処分行政庁がその裁量権の範囲を逸脱したものというべきである。
したがって、
本件免職処分は、違法であり、取り消すべきである。
5.まとめ
一般的に、公務員の私生活上の犯罪行為は、民間会社の社員の場合よりも厳しく懲戒される場合がありますが、この判例のとおり、懲戒免職や懲戒解雇処分のように労働契約を一方的に終了させるような厳しい懲戒の場合には、犯罪行為の悪性の実態や社会への影響力等の具体的な事情を詳細に検討することが求められており、「私生活上の不祥事でも、学校の先生だから厳しく処分されて当然だ。」というように、単に公務員であるということをもって厳罰に処するという考え方は改める必要があると思われます。
以 上
<お正月と法律>年末年始挨拶回りについて
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
官公庁や会社では、年末の御用納め(仕事納め)や新年の御用始め(仕事始め)に際し、挨拶回りをする恒例行事があります。盛装をして関係機関や取引先などに挨拶をして回るというものですが、私が大学を卒業して就職した昭和の時代には、御用納め日も御用始め日も「半日勤務体制」になっており、挨拶回りを終えた後に、昼食時から宴会的な雰囲気の中で更に年末年始の挨拶を受けた経験をしております。
その後半世紀の時を経て、年末年始の挨拶回りについては、官公庁でも会社でも、お祝いの宴会気分の催しとして過ごすこともなく、通常の「平日勤務体制」が定着した様子が見受けられます。ある調査結果によると、昨今「働き方改革」が叫ばれる中、業務の効率性を重んじる傾向も高まっており、年末年始の挨拶回りを必要だと考えている人は全体の約22%にとどまっており、反対に不要だと考えている人は全体の約20%、あまり必要ではないと考える人も含めると約43%の人が必要性を感じていないという結果が出ているようです。
1.年末年始挨拶回りは「業務」か?
年末年始の挨拶回りについて法律的に検討してみますと、それはそもそも業務なのか、業務を免除された個人的な行為なのか?業務ではないとしたら、年末年始の挨拶回りをすることは職務専念義務に反しないか?という問題があります。
業務性の有無は、公務災害の対象になるかどうかという問題に影響します。また、職務専念義務違反としての懲戒対象になるかという問題も生じます。公務災害の点で、仮に、「年末年始の挨拶回り」を本来の公務と全く関係のない他業務に従事するために職務専念義務免除がなされていると考える場合は、年末年始の挨拶回りの際に当該公務員が事故に遭っても公務災害の対象にならないのではないかという疑問が生じます。
「年末年始挨拶回り」をする場合には有休休暇を取るように指導していたような職場で、個人的に「年末年始挨拶回り」をしていた場合は、業務ではないという解釈になるでしょうが、「年末年始挨拶回り」が従来から恒例行事として行われている職場においては、「業務」(「業務としての外出行為」又は「業務に付随する行為」も含む)として黙認されているものと考えるべきだと思います。
その意味では、「年末年始挨拶回り」を黙認している職場においては、「年末年始挨拶回り」は「業務」であり職務専念義務違反ではなく、もし職務専念義務違反免除であったとしても「業務に付随する行為」であるため、年末年始挨拶回りの際に事故に遭った場合は公務災害の対象になると考えます。
2.年末年始挨拶回りの公用車又は社用車運転手の待機時間は休憩時間になるか?
上司が年末年始挨拶回りに公用車又は社用車を使用する場合、その車の運転手は、上司が挨拶回りを順次行っている間、1時間程度待機する場合もあるでしょうし、各訪問先で数10分程度ずつ待機する場合もあるでしょう。そのような場合の待機時間は、運転業務そのものを行っていないので、労働法上は、「休憩時間」ということになるのでしょうか、という問題もあります。
(1) 労働時間とは
労働基準法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間のことを指し(最高裁第1小法廷判決 平成12年3月9日)、例えば、待機時間(手待ち時間)のように、使用者の指示があれば直ちに作業に従事しなければならず、そのような作業場の指揮監督下に置かれた時間は労働時間となります。
(2)待機時間は、労働時間か?
労働時間として必要な「指揮命令下にあるか否か」は、主に「場所的な拘束性の有無」、「職務内容による拘束性の有無」で判断されますが、場所的な拘束性の点でみると、一定の駐車場内で1時間以上も待機している場合には、上司の挨拶回りの場所との拘束性もあまりなく、自動車に鍵をかけて自動車から離れて過ごすことも可能なことから、場所的拘束性はあまりないと判断されるでしょう。一方、挨拶回りの場所へ移動して待機する場合には、路上に駐車させて車の中にとどまっていなければならないという意味で場所的拘束性はあるということになるでしょうし、職務的拘束性の点からすれば、挨拶回りをしている上司の指示や乗車指示に応じて運転する態勢でいることが要求されていれば、職務内容による拘束性が認められることになるでしょう。
(3)類似判例―大分地裁判決 平成23年11月30日 労判1043号54頁
この判例は、タクシー運転手がタクシーに乗車して客待ち待機をしている時間を労働時間と認定した判例です。上司の年末年始挨拶回りに公用車又は社用車を使用して運転手が上司の指示で挨拶回り先へ移動し待機している場合と同様の待機態勢と評価できる判例です。この判例は次のとおり判示しています。
(判旨)「労基法上の労働時間とは,労働者が使用者の明示または黙示の指揮命令ないし指揮監督の下に置かれている時間をいい,原告X1ら(運転手)がタクシーに乗車して客待ち待機をしている時間は,これが30分を超えるものであっても,その時間は客待ち待機をしている時間であることに変わりはなく,被告Y社(タクシー会社)の具体的指揮命令があれば,直ちにX1らはその命令に従わなければならず,また,X1らは労働の提供ができる状態にあったのであるから,30分を超える客待ち待機をしている時間が,Y社の明示または黙示の指揮命令ないし指揮監督の下に置かれている時間であることは明らかであり,仮に,Y社が30分を超えるY社の指定場所以外での客待ち待機をしないように命令していたとしても,その命令に反した場合に,労基法上の労働時間でなくなるということはできない。」
3.最後に
この拙稿を読んでいただく頃には、皆さんは年末年始の挨拶も終わられていることでしょう。新年を迎え、挨拶回りを終え、また新しい気分で仕事に邁進していきましょう。
ちなみに我が事務所では、私が昭和時代の御用納め等を経験した関係上、仕事納め日は午前中の半日勤務として、昼食会終了後の帰宅は自由としており、正月1週間程度のお休みをいただいた上で、新年の仕事始め日は昼食会でスタートするという昭和の方式を採っております。
以 上
(論考)国際連合とロシア連邦のウクライナ軍事侵略について
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
12月を迎え、1年を終えようとしていますが、今年はコロナ禍の年であったという他、2月のロシア連邦のウクライナ(共和制国)軍事侵略を契機に、ウクライナ支援とプーチン大統領非難の1年になったように思います。
今年の10月14日に講演をする機会があり、講演の冒頭の“掴み”として、「10月14日は何の日か知っていますか?」という問いから始め、次のような話をしました。
「一般的には“鉄道の日”とも言われていて、今年は鉄道開通150周年ですかね。ウィキペディアで、「10月14日 何の日」で調べてみたら、こんな記載がありました。~~「10月14日は、グレゴリオ暦で年始から287日目(閏年では288日目)にあたり、年末まであと78日ある。」・・・・確かにそうですよね。正しすぎて何とも言えない気分になりました。
その他に、1つ気になる記載がありました。~~「ソビエト連邦でフルシチョフが追放された日」なんだそうです。1964年(昭和39年)10月14日に、ニキータ・フルシチョフが、ソビエト連邦中央委員会第一書記を事実上追放されて失脚し、ブレジネフ、コスイギン体制になった日のようです。アメリカのケネディ大統領との間で核戦争のキューバ危機を生じさせたフルシチョフが追放され失脚した日なので、それと同じ日の今日、ウクライナ侵略での核戦争の危険を生じさせたウラジミール・プーチンが追放され、失脚するといいなあと個人的に考えたりしましたが、現段階ではそのようなニュースは残念ながら無いようですね。
最近少しずつ寒くなってきていますが、寒くなるとスーツを着る時期がきているなあと思うわけで本日私もスーツを着ています。スーツの“裏地(うらじ)”をみると、なぜか、いつもわがままプーチン大統領のことを想像しちゃうんですよね。・・・裏地見る・・・ウラジミール・プーチンだから・・・。あ、ここも私なりのプーチン批判に同調してもらって、笑ってもらうところでした。」
私の真意はプーチン大統領批判なので、笑おうにも笑えないような“掴みの話”になってしまいましたが、講演聴講者からは、かすかな笑い声をもらうことができました。
そこで、批判をする以上は自分自身でも調べておこうと考え、プーチン大統領批判と同時に、国際連合の安全保障理事会常任理事国5か国の一つであるロシア連邦の軍事侵略を国際連合がなぜ防ぐことができなかったのかという点を調べてみました。
1 国際連合の結成の経緯
連合国(the United Nations)は、第二次世界大戦からの米英を盟主とした戦勝国クラブ(会員制の集まり)であり、1945年(昭和20年)4月25日から6月26日にかけて、日本又はドイツ(ドイツは会議中の5月7日に降伏したが、日本は降伏前である。)に宣戦している連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開き、1945年(昭和20年)6月26日、50か国が国際連合憲章に署名して会議は終結しました。この50か国には、既に降伏したイタリアやドイツ、降伏前の日本は含まれていません。
その後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国及びその他の署名国の過半数が批准した1945年10月24日に、国際連合(United Nations、第二次大戦の連合国(米英仏ソ中)が安全保障理事会の拒否権を有する常任理事国を構成する。)が正式に発足しました。
従って、国際連合は、英語名が「United Nations」とされ、連合国の英語名「the United Nations」と全く同じ表記であることから分かるように、第二次世界大戦の連合国の団体であることを特徴としており、連合国による平和秩序維持を目的としている国際団体であることが分かります。
2.国際連合の敵国条項(Enemy Clauses)の問題点
(1)国連憲章第53条第1項前段では地域安全保障機構の強制行動・武力制裁に対し国際連合安全保障理事会(安保理)の許可を取り付けることが必要であるとしています。
しかし、第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)は、「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項を無効に、又は排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できないとしています。
(2)この国連憲章第53条を形式的に解釈すると、現在、日本と中国との間には尖閣諸島をめぐる領土問題がありますが、仮に、日本の尖閣諸島の「実効支配」が「旧敵国による侵略政策の再現」とみなされるようなことになったら、中国は、国連の「敵国条項」(第53条1項後段)のもと、平和的解決も話し合いもせずに日本に対して軍事的制裁を下すことができるという条項になります。つまり「敵国条項」がある限り、尖閣諸島がどちらの領土なのかという議論も話し合いもせずに、日本に対して問答無用で武力攻撃できてしまう危険性をはらんでいるのです。
(3)日本政府の見解では、「敵国」は、第二次世界大戦中に国連憲章の署名国のいずれかの敵であった国(=第二次世界大戦で「連合国」と対峙した「枢軸国」とも呼ばれています。)とされており、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当すると例示しています。1995年(平成7年)の第50回国連総会にて、憲章特別委員会による「敵国条項」の改正削除が賛成155、反対0、棄権3で採択され、同条項の削除が正式に約束されましたが、未だに「敵国条項」は削除されていません。但し、「敵国」に該当する全ての国がその後国際連合に加盟しており、国連憲章制定時と状況が大きく変化したため、国連憲章第53条と第107条は事実上死文化した条項と考えられています。
(4)なお、「敵国条項」を実際に国連憲章から削除するには、「敵国」であるとされている7か国(日本・ドイツ・イタリア・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・フィンランド)以外の加盟国のうち3分の2の国が、国内で煩雑な手続きを進め、議会の承認を得る必要がありますが、該当7か国以外の国からすると、「すでに事実上死文化している条文を変更・削除したからといって何も変わらないだろう」という認識に過ぎず、削除しなくても国連活動には支障はないからという考え方で、それぞれの国で国内議会の議決手続きを積極的に取り上げていないため後回しになっている、というのが実情のようです。
(5)今回のロシアによるウクライナ侵略では、プーチン大統領から「ネオ・ナチズム勢力の排除」という言葉が出てきたりしています。これは、旧ドイツのヒトラーのナチズムに通じるということで、かかる勢力は、この「敵国条項」に該当するという解釈で、安保理の許可がなくとも、「ネオ・ナチズム」国(ウクライナ)に対して軍事的制裁を課すことが容認されこの行為は制止できない、と解釈しているのではないかと思ったりしています。しかし、戦後のウクライナ国がネオ・ナチズムの国家であるというような評価は、世界のどの国も世界の誰もがしていないことは明らかですので、プーチン大統領がこのような解釈をしているとすれば悪意の曲解と非難せざるを得ません。
3.安保理常任理事国5か国一致の原則と理事国排除の可否
今回のロシア・プーチン大統領のウクライナ軍事侵略は、国連憲章第53条第1項前段違反の行為になります。地域安全保障機構の強制行動・武力制裁に対しては安保理の許可を取り付けることが必要であるとされているにも関わらず、安保理の許可を得ないままで行っているからです。
このような国連憲章違反国に対する国連憲章上の排除措置というものがあるのでしょうか。この点については、ロシアが連合国の5大国として、拒否権を持つ安保理常任理事国であることから大きな制約があります。
(1)拒否権を持つ常任理事国に関する定めは、次のとおりの定めになっています。
記
〇憲章 第5章 安全保障理事会 第23条
「1 安全保障理事会は、15の国際連合加盟国で構成する。
中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は、安全保障理事会の常任理事国となる。総会は、第一に国際の平和及び安全の維持とこの機構のその他の目的とに対する国際連合加盟国の貢献に、更に衡平な地理的分配に特に妥当な考慮を払って、安全保障理事会の非常任理事国となる他の10の国際連合加盟国を選挙する。」
〇憲章 第27条
「1 安全保障理事会の各理事国は、1個の投票権を有する。
2 手続事項に関する安全保障理事会の決定は、9理事国の賛成投票によって行われる。
3 その他のすべての事項に関する
安全保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。但し、第6章及び第52条3に基く決定については、紛争当事国は、投票を棄権しなければならない。」
〇憲章 第108条
「この憲章の改正は、
総会の構成国の3分の2の多数で採択され、且つ、
安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された時に、すべての国際連合加盟国に対して効力を生ずる。」
〇憲章 第109条
「1 この憲章を再審議するための国際連合加盟国の全体会議は、総会の構成国の3分の2の多数及び安全保障理事会の9理事国の投票によって決定される日及び場所で開催することができる。各国際連合加盟国は、この会議において1個の投票権を有する。
2 全体会議の3分の2の多数によって勧告されるこの憲章の変更は、
安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された時に効力を生ずる。」
(2)拒否権を持つ安保理常任理事国の排除の限界(不可能)
国連憲章第27条により、安保理常任理事国は手続事項を除く全ての事項に関する安保理の議案への拒否権を持ち、安保理常任理事国のうち1か国でも反対すれば、議案は成立しない仕組みになっています。また、国連憲章第108条により、安保理常任理事国は国連憲章の改正に対しても拒否権を持ちます。
今回のロシアに対して、アメリカ、イギリスを中心とした自由主義陣営国家は、令和4年3月2日に「ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議」を国連総会で賛成多数(賛成141か国。反対はベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、ロシア、シリアの5か国、棄権は中国やインドなど35か国)で採択しました。3月24日に「ロシア軍のウクライナからの即時完全無条件撤退を求める決議」を国連総会で賛成多数(賛成140、反対5、棄権38、無投票1)で採択していますが、総会決議に法的拘束力はないため、ロシアは何ら従っていません。
そこで、国際連合としては、安全保障理事会においてロシアに対する軍事手続等の決議を行うことも検討しますが、肝心なロシアが拒否権を行使できる仕組みのため功を奏しないことは明らかですし、安保理常任理事国を定める国連憲章からロシアを除く(除名又は権限停止等も含む)とする憲章改正や、拒否権を認める国連憲章を拒否権なしの制度にする改正を国連総会で3分の2の多数で採択しても、各国の批准手続きでは3分の2の多数国の中に安保理常任理事国を含む必要があり、ロシアが批准しなければその憲章改正総会決議は法的効果が生じません。そのため、国連多数国は個々の国の経済制裁的対応以外には具体的方策が取れず、ロシアのプーチン大統領の野蛮な軍事侵略を事実上許してしまっている状態になっています。
4.最後に
このような、野蛮かつ横暴な軍事侵略を阻止できないような安保理常任理事国が拒否権を持つ仕組みは廃止されるべきではないか?という意見があります。
しかし、この拒否権制度は、ある大国が世界各国から批判されている場合に、旧国際連盟のときのように当該大国が国際連合を脱退して戦争状態になることの反省から、常任理事国に拒否権を与えることで国際的協議機関でもある国際連合を脱退せずに、拒否の態度を示しながらも協議を続けてくれるという平和的解決状況を作ることができるという役割も果たしている面があります。
国際法という法の世界は、そもそも法的強制力をもっておらず、多数国による政治的圧力・制裁以外には「戦争」という武力行使でしか解決できない限界があるなかでは、根気強く協議を続け説得をすることを最終解決とする手法であることは強く理解しておく必要があると思います。
以 上
「現金支払い」と「電子マネー(又はクレジットカード)による支払い」
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
テレビコマーシャルで、オダギリジョーさんの八百屋さんが外国人客から「カード支払いOK?」と聞かれて、「NO、NO!(うちは現金のみだ)」と対応したところ、外国人客が「じゃあ~いいですう~~~。」と言って去っていくという、モバイル決済サービス「エアペイ(Air PAY)」のCMがありました。このCMの意味は、「そもそも、現金払いのみだけの店でも問題はないのだろうけど、これからの世の中は、キャッシュレス支払いが増大して、現金支払いだけだとお客は離れて行って、経営的には損をしますよ。モバイル決済サービス「エアペイ(Air PAY)」を取り入れましょうね。」ということを示しています。
それでは、逆に、現金支払いは人手を経ていてコロナ禍の時代には感染防止の観点から望ましくないし、売上金を店舗内で保管する状態は店舗強盗等に対しての防備策も必要になるなどの理由で「店が『現金不可(電子マネーのみ)』という支払い条件を店頭に表示」して、現金支払いを拒否する方法を取った場合には、法律上何か問題があるでしょうか?
1.キャッシュレス支払いの急激な増大
近年、世界のIT化の促進もあって、日本でも現金を使わないキャッシュレス化が進んでいます。キャッシュレス支払いは、店にとっては、釣り銭を準備する必要がなく、レジ打ち作業を省力化でき、売上額とレジ内の現金を照合する「レジ締め」も不要になることで、客へのサービスに専念できるという利点があり、顧客にとっては、クレジットカードでの支払いでポイント付与等のサービスがあるということで、多くの人たちが利用するようになってきています。
また、2020東京オリンピックで来訪した外国人客への対応のため、政府が事業者店舗等へのキャッシュレスのレジ機器の導入を補助したことで、キャッシュレス支払いが可能な店舗が増え、更に、令和2年にパンデミックとなったコロナ禍対応策と相まって、人手を経た貨幣・金銭の授受による感染防止策としても有効な方策であるとされたことから、急激に増大してきています。
「飲食代金は、現金払い」「持っている現金以上は飲まない。食べない」を鉄則としている齢70歳近くの私でさえ、最近は、電子マネーカードを1枚所持している状況です。
2.「完全キャッシュレス」店舗の出現
貨幣が使えない機器が日本社会に出現した例としては、NTTから「テレホンカード専用」の公衆電話機器(MC-5APN公衆電話機、MC-5BPHN公衆電話機)が出現してきたときに「あれ?現金が駄目なの?」と思ったことがありました。最近では、京都大学吉田キャンパス(左京区)前に、令和3年6月にオープンした「PIZZA(ピッツァ)百万遍」(まき窯で焼き上げるナポリピザのテイクアウト専門店)で、「現金のお取り扱いはございません」と表示され、「完全キャッシュレス」として決済はクレジットカードのほか、JR西日本のICカード乗車券「ICOCA(イコカ)」、スマートフォン決済サービス「PayPay(ペイペイ)」など30種類が使用できるとの案内をしているニュースがありました。
3.「現金支払い拒否」の法的問題点
「現金支払い拒否」の店舗については、キャッシュレスカードを持たない高齢者や、親の了解を得ないとキャッシュレスカードを作れない未成年者は、全く利用できないという事態が生じます。実際に、先のピザ専門店においても今まで時々利用していた高齢者や未成年者が利用できなくなったという意見が出たそうです。
ところで、「現金のお取り扱いはございません」との表示を見て、それを承知の上で商品を購入した人に関しては、双方の合意の下で現金以外のキャッシュレスの方法で支払いをするとの契約をしたということで問題は生じないと思いますが、表示が不明瞭又は小さい表示で気づきにくい場合には、法的な問題が生じるのではないかと思います。
ピザ専門店ではなく、食料品、医薬品などの生活必需品の取扱店が、「現金のお取り扱いはございません」との表示をした場合を想定してみてください。
「現金のお取り扱いはございません」とのお店の表示について問題を分析してみます。
4.「現金支払い拒否」の法的問題点の分析
(1) 現金通貨の強制通用力について
日本銀行法第46条では、日本銀行券が法貨として無制限に強制通用力を有することが定められ、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条では、貨幣については「額面価格の二十倍まで」に限り、法貨として強制通用力を有することが定められています。紙幣の場合には、千円札だけで何十万円もの買い物をして支払いができるのですが、貨幣の場合には、1種類の貨幣は20枚までしか受け取ってもらえないことがあるということです。この定めを「法貨(現金通貨)の強制通用力」と言います。
強制通用力というのは、「金銭債務について債務を消滅させる効力(債務免責力)」と「債権者に受領させる効力(受領強制力)」を意味します。
キャシュレス決済というのは、この現金通貨ではなく、預金通貨(口座振替、クレジットカード、ネットバンキング等により預金金額で支払うもの)と電子通貨(プリペイカード等による電子マネー金額で支払うもの)で行う支払いを言いますが、この預金通貨や電子マネーの支払いは、「貨幣」ではなく、「貨幣単位」を移転することによって一定額の給付を実現する履行手段にすぎず、強制通用力を認められている「法貨(現金通貨)」ではありませんので、双方で支払方法としての特約を結ぶか、又は最低限、債権者の同意を得る必要があります。
預金通貨や電子マネーは、円で表示される金銭債務について「債務免責力」を有する点では現金通貨(法貨)と同じなのですが、「受領強制力」を有していない点で法貨である現金通貨とは異なり「自由通貨」の範疇に属するものなのです。
(2) アメリカ合衆国内での動き
キャッシュレス払いが先行しているアメリカ合衆国において、2020年1月23日、「ニューヨーク市議会が、市内のレストランや小売店が現金での支払いを拒否し、クレジットカード払いなどに限ることを禁止する法案を、賛成43反対3の圧倒的賛成多数で可決した」というニュースがあります。ニューヨーク市の発表によると、全体の11%の世帯が銀行口座を持たず、21.8%の世帯は口座を持っていても小切手による支払いや銀行以外の金融サービスを利用しているとの統計結果から、全ての人に現金支払いの利便性を維持する必要があるということのようです。既にサンフランシスコ市とフィラデルフィア市が同様の法律を定めているようです。
(3) 日本の場合の現時点での結論
日本では、法定通貨の現金を支払いの最終手段として常に通用するように国家が国民に強制できる「強制通用力」が法律で規定されているのですが、他方、アメリカ合衆国内の例のように「現金支払い拒否」を禁止する法律を定めているわけでもありません。
そこで、「現金支払い拒否」に関する法的論点として整理すると、「強制通用力を有する現金通貨の支払いを債権者・債務者の双方の合意のもとで排除することは、契約自由の原則から許容されるものかどうか」という問題点に集約できるのではないかと思います。
この点、契約自由の原則は、法律の強行法規に反しない限度で認められるにすぎませんので、現金通貨の強制通用力が法律で規定されている点を踏まえると、店舗が現金での代金受け取りを拒否することは違法であり、新たにキャッシュレス禁止法を成立させる必要はないようにも思えます。
しかし、現金での代金受け取りを拒否するかどうかという問題は、契約当事者の債権者と債務者との双方が本来契約で自由に定めることのできる決済方法に関することにすぎないので、「契約締結の自由」が、現金の強制通用力に優先するとみなされるのではなかろうかと考えます。
日本の民法第402条第1項で「債権の目的物が金銭であるときは、債務者は、その選択に従い、各種の通貨で弁済をすることができる。ただし、特定の種類の通貨の給付を債権の目的としたときは、この限りでない。」と定めており、支払いに関する現金通貨を選択できる約定が許されていることからすると、受領強制力を有する日本の現金通貨の使用を全面的に排除して預金貨幣や電子マネーを使用する特約も有効とされていることになるので、「店舗が「現金お断り」という貼り紙を店頭に掲げて、「現金支払い拒否」の意思表示をすること自体は何ら違法ではないということになります。
ただし、そのことを前提にしても、契約自由の原則として「現金お断り」「現金支払い拒否」が相手方との合意があれば可能であるというだけですので、そのような表示を了解した上で顧客が商品を購入したり飲食したりすることが必要であり、当初述べたように、店舗の表示が不明瞭で又は小さい表示で気づきにくい場合には、表示に気づかなかった顧客が現金で支払いたいという申出に対しては現金支払いの強制通用力が適用され、店舗側は受取拒否ができないという結果になるという点だけは、留意しておくべきでしょう。
以 上
相続財産についての情報と個人情報保護
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
○ 田舎で長寿を全うした甲爺さんには、2人の子供(娘乙、息子丙)がいました。娘乙は甲爺さんの近くに住み甲爺さんの老後の面倒を看ていましたので、甲爺さんの年金預金(A銀行通帳)も甲爺さんの依頼で出し入れを手伝っていました。甲爺さんは自筆遺言証書で「預金の4分の3を娘乙が相続する。4分の1を息子丙が相続する。」と遺言していましたが、都会に住む息子丙は、遺言書は娘乙が偽造したものではないかと疑い、遺言書の印鑑とA銀行届出印鑑を比較しようと考え、甲爺さんの相続人として、A銀行に対して、甲爺さんの銀行取引印鑑届出書の情報開示請求をしたところ、A銀行は「死者の情報であり、請求者の相続人丙の個人情報ではないので開示できない。」と拒否しました。A銀行の取扱いは正しいのでしょうか。
○ 解 説
1.甲爺さんの遺言書の意味(なぜ、娘乙に預金を全部あげなかったの?)
銀行預金だけが相続財産で、相続人が乙・丙の2人の場合には、法定相続は乙が2分の1、丙が2分の1となります。ところが、遺言書では乙が4分の3、丙が4分の1になっています。
仮に「乙が預金を全部相続する」という遺言だったらどうなるでしょう?
この場合、乙が預金全額を相続することは難しくなります。息子丙も相続人ですので、遺留分として一定の権利が認められています(改正民法第1042条)。息子丙は遺留分4分の1(法定相続分の2分の1)が認められますので、息子丙が娘乙に対して、遺言内容を知ったときから1年の間に遺留分侵害額を請求できることになっており(改正民法第1047条、第1048条)、結局は娘乙が4分の3、息子丙が4分の1を取得することになります。
甲爺さんの自筆遺言は、息子丙の遺留分は保証してあげようという法的に公平な遺言なのだろうと思われます。
2.甲爺さんの銀行の印鑑届書は、死者の個人情報?相続人が相続で引き継いだ個人情報?
(1)情報公開法(情報公開条例)と個人情報保護法という法律があります。情報公開法(平成13年4月1日施行)又は条例は、国や地方自治体等の行政機関が保有する情報を開示する手続きを定める法律であり、個人情報保護法(平成17年4月1日全面施行)は、国・地方自治体以外の民間企業においても、その保有する個人情報は適式に取得・管理・利用されなければならないとする法律です。(但し、令和4年4月に国の行政機関の保有する個人情報保護法と一元化され、国の行政機関での個人情報についても規定されており、令和5年5月には地方自治体の個人情報保護条例とも一元化されることになっています。)
この情報公開法と個人情報保護法の二つの法律では、「個人情報」は、行政機関においては公開・開示しなくても良いとされ(情報公開法第5条第1項第1号)、当該個人においては、自分の個人情報については開示請求権を持ち、管理している取扱事業者は個人情報開示義務を負うとされています(旧個人情報保護法第28条第1項、第2項)
(2)死者の個人情報について
甲爺さんの銀行への印鑑届書は、甲爺さんが銀行預金取扱いに使う印鑑の印影や住所・氏名が載っている文書です。「個人情報」の定義としては、「氏名、性別、生年月日等個人を識別する情報に限られず、個人の身体、財産、職種、肩書等の属性に関して、事実、判断、評価を表すすべての情報であり、評価情報、公刊物等によって公にされている情報や、映像、音声による情報も含まれ、暗号化等によって秘匿化されているかどうかを問わない。」(個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン(PDF) p2)とされていますので、「甲爺さんの個人情報」であることは間違いありません。
問題は、旧個人情報保護法第2条に「この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。」と「生存する個人に関する情報」に限定されている趣旨です。「死者の個人情報」については、個人情報保護法は適用されず、死者の遺族を含めて誰も開示請求できないということが前提になっている点です。
他方、民法で相続制度を定めており、民法896条では「相続人は相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。」としていますので、相続人は被相続人である死者の権利義務の一切を承継するのであるから、本来被相続人(甲爺さん)が有していた「自分(甲爺さん)の個人情報開示請求権」という権利も相続人(娘乙や息子丙)が承継しているということになるのではないかという疑問も生じます。
この点は、民法第896条但書「ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。」と定めている点の適用の有無(甲爺さんの個人情報開示請求権は一身専属の権利なのかどうか)が検討される余地があります。
3.判例を紹介しましょう
この事案に関する判決としては、第1審判決は、「甲の印鑑届書の情報は、請求者息子丙の個人情報ではない。」としてA銀行の勝訴、しかし、第2審判決は、「死者(甲)に関する情報と他の情報(丙の他の個人情報)を容易に照合することにより特定の丙個人として識別することができる場合には、当該情報は、当該個人(相続人丙)に関する情報ということができる」としてA銀行は敗訴しました。
第1審判決と第2審判決が異なる中で、上告審の最高裁判決は「(息子丙が)相続人等として本件預金口座に係る預金契約上の地位を取得したからといって、(甲の)印影は、相続人丙とA銀行との銀行取引において使用されることとなるものではない。また、本件印鑑届書にあるその余の記載も、相続人丙とA銀行との銀行取引に関するものとはいえない。甲の印鑑届書の情報は、請求者息子丙の個人情報ではない。」として第1審の結論を支持しました。
各判例の詳細は以下のとおりです(第一法規判例データベース利用)
(1)岡山地方裁判所平成28年10月26日判決―金融法務事情2123号67頁
① 本件印鑑届書記載の情報は、本来、既に死亡したB(設例での甲爺さん)に関する情報であるところ、死者に関する情報であっても、それが同時に生存する個人に関する情報でもあると認められる場合には、法2条1項の「生存する個人に関する情報」に当たるといえる。そこで、どのような場合に死者に関する情報が同時に生存する個人に関する情報でもあるといえるかが問題となるところ、原告は、この点に関し、死者の財産に関する情報であれば、当該財産を相続した相続人の情報にも該当する旨主張する。
しかし、法は、個人情報取扱事業者が個人情報を取扱うことによる本人の権利利益の侵害の危険性や本人の不安等を取り除くことをその目的にしており、法の目的に照らせば、法が保護しようとする個人の権利利益とは本人の人格権的権利に由来するものと解され、本人の財産権行使等の便宜を図ることはその本来の目的ではないと解するのが相当である。
したがって、生存する個人が、現に自己に帰属する財産権の行使のために必要ないし有用な情報であれば、それが本来は死者である被相続人に由来する情報であっても、直ちに生存する個人(相続人)に関する情報に当たると解するのは相当でない。そして、法の目的からすれば、生存する個人に関する情報といえるためには、当該情報の取扱いによって個人の権利利益を侵害する可能性がある情報、すなわち、当該情報によって生存する個人それ自体を識別することができる情報である必要があると解すべきである。
② 本件印鑑届書には、Bの住所、氏名、生年月日、連絡先電話番号、開設日の年月日及びBの印鑑が表示されているところ、これらの情報からBを識別することはできるものの、これはB個人にかかる情報であって、これから原告を識別することはおよそ不可能であるといえる。原告は、戸籍等の資料を合わせれば、本件印鑑届書記載の情報をもって、原告を識別することが可能である旨主張するが、戸籍等の資料を合わせても、本件印鑑届書が原告の相続した預金債権に係るものであることが認識できるにすぎず、本件印鑑届書記載の情報それ自体から、直ちに原告個人(設例の息子丙)が識別できるとはいえない。
したがって、本件印鑑届書記載の情報は、法2条1項に定める「生存する個人に関する情報」に当たらないというべきである。
③ 以上によれば、本件印鑑届書記載の情報は、個人データ、ひいては保有個人データに当たらず、原告(設例の息子丙)の法25条1項に基づく開示請求(本件印鑑届書の写しの交付請求)は理由がない。
(2)広島高等裁判所岡山支部平成29年8月17日判決―金融法務事情2123号65
① 死者に関する情報であっても、当該情報が、死者が死亡時に有していた財産に関する情報である場合には、当該財産が相続人や受遺者に移転することにより、当該情報も相続人や受遺者に帰属することになり、これを相続人や受遺者に関する情報ということを妨げる理由はない。また、当該情報に死者の氏名等が明示されていることにより、その氏名等と夫婦や親子という身分関係に関する情報や遺言に含まれる相続人や受遺者の情報とは容易に照合することができるから、それにより特定の相続人や受遺者を識別することができることも明らかである。のみならず、前記のような死者に関する情報が不適切に管理されて、無用の情報が流出すること、又は、必要な情報が提供されないことは、死者に関する情報と他の情報を容易に照合することにより識別することができる特定の生存する個人の権利利益が適正に保護されないことを招き、このような結果は、法の目的に反するものといわなければならない。
そうすると、死者に関する情報は、同時に、当該死者に関する情報から識別することができる特定の生存する個人にとって、法にいう個人情報として、法による保護の対象となるべき情報であると解するべきである。
このように解することは、平成15年5月21日の参議院の個人情報の保護に関する特別委員会での附帯決議6項(死者に関する個人情報の保護の在り方等について交わされた論議等これまでの国会における論議を踏まえ、全面施行後3年を目途として、本法の施行状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること)の趣旨にも適うものである。
以上のとおりであって、法の文理解釈からしても、また、死者が死亡時に有していた財産に関する情報が、相続人や受遺者にとって適正に管理されるべき情報であって、法による保護の対象になるべき情報であると解するべき目的解釈からしても、当該情報は、法にいう個人情報(生存する個人である相続人や受遺者に関する情報であって、当該情報に含まれる被相続人の氏名等と他の情報と容易に照合することができ、それにより相続人や受遺者を識別することができることとなるもの)と認められる。これは、当該情報が相続人や受遺者において具体的に有用か否かによって左右されるものではない。
② 被控訴人は、死者に関する情報が、生存する個人に関する情報に当たるのは、当該情報によって当該相続人を識別することができる場合に限ると主張する。
しかし、既に説示したとおり、法のいう個人情報は、他の情報と容易に照合することにより特定の個人を識別することができることとなるものを含むのであるから、死者に関する情報に相続人や受遺者の氏名等が明示されている場合のみのならず、死者に関する情報と他の情報を容易に照合することにより識別することができる特定の個人がある場合には、当該情報は、当該個人に関する情報ということができる上、当該死者に関する情報は当該生存する個人にとっても適正に管理されるべき情報といえるのであるから、法の文理解釈からしても、目的解釈からしても、法のいう個人情報の「個人」を、当該情報に氏名等が示された個人に限定する理由はないというべきである。
したがって、被控訴人の主張は採用できない。
③ 前記①のとおり、死者の財産に関する情報は、生存する相続人や受遺者に関する情報でもある。よって、本件印鑑届出書に記載されている情報は、死亡したBの本件預金口座に関する情報であり、控訴人はその受遺者であるから、控訴人に関する情報として、法2条1項の「生存する個人に関する情報」に当たると認められる。
以上のとおり、控訴人の請求は理由があるから認容すべきところ、これと異なり、控訴人の請求を棄却した原判決は失当であり、本件控訴は理由がある。よって、原判決を取り消して、控訴人の請求を認容することとして、主文のとおり判決する。
(3)最高裁判所平成31年3月18日第一小法廷判決―判例時報2422-31
① 法は、個人情報の利用が著しく拡大していることに鑑み、個人情報の適正な取扱いに関し、個人情報取扱事業者の遵守すべき義務等を定めること等により、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とするものである。法が、保有個人データの開示、訂正及び利用停止等を個人情報取扱事業者に対して請求することができる旨を定めているのも、個人情報取扱事業者による個人情報の適正な取扱いを確保し、上記目的を達成しようとした趣旨と解される。このような法の趣旨目的に照らせば、ある情報が特定の個人に関するものとして法2条1項にいう「個人に関する情報」に当たるか否かは、当該情報の内容と当該個人との関係を個別に検討して判断すべきものである。
したがって、相続財産についての情報が被相続人(死者)に関するものとしてその生前に法2条1項にいう「個人に関する情報」に当たるものであったとしても、そのことから直ちに、当該情報が当該相続財産を取得した相続人(生存者)等に関するものとして上記「個人に関する情報」に当たるということはできない。
② 本件印鑑届書にある銀行印の印影は、亡母が上告人との銀行取引において使用するものとして届け出られたものであって、被上告人が亡母の相続人等として本件預金口座に係 る預金契約上の地位を取得したからといって、上記印影は、被上告人と上告人との銀行取引において使用されることとなるものではない。また、本件印鑑届書にあるその余の記載も、被上告人と上告人との銀行取引に関するものとはいえない。その他、本件印鑑届書の情報の内容が被上告人に関するものであるというべき事情はうかがわれないから、上記情報が被上告人に関するものとして法2条1項にいう「個人に関する情報」に当たるということはできない。
③ 以上と異なる原審(第2審:広島高裁岡山支部)の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、被上告人の請求は理由がなく、これを棄却した第1審判決は結論において正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。
4.私の見解をまとめてみますね
それでは、以上の判例の見解を参考にして、預金等の財産について相続が発生した場合に、被相続人である死者の個人情報が、相続人から開示請求できるか?という点をまとめてみましょう。
(1)まず、旧個人情報保護法第2条第1項で個人情報を「生存する個人に関する情報」と限定しているので、死者に関する情報は個人情報として遺族を含め誰にも開示請求されないことが想定されています。(例外として、地方公共団体で定められてきている個人情報保護条例では、「死者に関する情報」も個人情報保護の対象にする例もありますが、改正個人情報保護法第167 条第1項で「地方公共団体の長は、この法律の規定に基づき個人情報の保護に関する条例を定めたときは、遅滞なく、個人情報保護委員会規則で定めるところにより、その旨及びその内容を委員会に届け出なければならない。」と定められており、法律と異なる定めが許されるかという点から、条例の定めが制限される可能性があります。)
(2)次に、法律の立場からの解釈に立った場合、死者の個人情報であっても、相続等によって死者の財産上の権利義務一切を取得した相続人の個人情報でもある場合には、相続人が自己の個人情報として開示請求できると考えます。
個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン(PDF) p2において、行政解釈として、「死者に関する情報が、同時に、遺族等の生存する個人に関する情報でもある場合には、当該生存する個人に関する情報となる。相続人本人として情報開示できる。」との解釈が示されています。
(3)問題は、死者の個人情報であっても、相続等によって死者の財産上の権利義務一切を取得したことの一事をもって「相続人の個人情報」になるということにはならないという点です。そもそも相続の対象は、相続開始時に被相続人(甲爺さん)に属した一切の権利義務であって(民法第896条)、個人情報あるいは個人情報開示請求権そのものが相続されるわけではないと考えられるからです。死者の個人情報は、生存中においても法定相続人からすれば他人の個人情報であってアクセスできなかった性質のものでから、民法第896条但書で「被相続人の一身に専属したもの」として、相続対象にはならないと解すべきでしょう。
(4)それでは、どのような場合が死者に関する情報が生存する相続人個人の個人情報に当たると考えることになるのでしょうか。
最高裁判例では「当該情報の内容と当該個人との関係を個別に検討して判断すべきものである。」としています。その具体的判断基準として「当該相続人自身の自己情報コントロール権の行使の必要があると認められる場合」あるいは「相続財産に“関する”情報と言える場合」という基準が示されています。(京都大学大学院法学研究科教授 曾我部真裕氏の意見書)
問題の相続財産である「預金債権」について検討すると、預金番号、預金種類、口座番号、預金額、預金の契約上の地位を示す契約書類、取引記録は「相続財産に“関する”情報」と言えると思いますが、それ以外に、銀行において専ら銀行口座を管理し、預金契約に基づく取引を効率的かつ安全確実に行うために作成する印鑑届書や住所変更届書類などのいわゆる口座管理書類は、相続人自身の個人情報になるものではないと思われます。
なぜなら、銀行実務において、印鑑届は、預金払戻請求等が出された場合に、書類に押印されている印影と印鑑届書の届出印の印影を照合し本人確認をするために利用するものであり、本人死亡後には届けられた印章が銀行との関係で使用されることはなく、相続が生じたとしても、相続人の印章の使用がなされるだけで、相続人が相続した預金債権の行使に使用されることは一切なくなります。
従って、被相続人の印鑑届は、専ら生前の本人との関係で使用される典型的な口座管理書類であって、相続人自身の相続した預金債権に“関する”情報とは言えないし、相続人自身の個人情報になるとも言えないと判断されることになります。
以 上
情報公開条例による開示請求と権利濫用不開示(却下)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
地方自治体においては、その保有する文書等を開示することで情報を公開できるとする情報公開条例を定めています。これらの条例においては、住民等に情報開示請求をする権利を認めているものの、情報開示請求が権利濫用された場合の定めについては、総務省の平成21年調査では、都道府県レベルでは10都道府県で定めがあり、他の府県では定めはないと報告されています。権利濫用審査基準として「行政機関の事務を混乱又は停滞させることを目的とする開示請求」について例示している例が多いようです。
また、権利濫用禁止の条項を定めていなくても、ほとんどの都道府県の条例では、「開示請求者による適正な開示請求」「開示請求者による情報の適正な使用」の規定を定めたり、情報公開条例に関する解釈及び運用の基準において、開示請求権の濫用と認められる場合についての具体例を例示していたりして、適正でない開示請求に対しては、何らかの対応ができるとする趣旨が盛り込まれています。
1.権利濫用の法理
情報公開法においては、開示請求が権利の濫用と認められる場合についての明文化された規定はないので、権利の濫用と認められる場合かどうかについては、一般法理により判断することになります。情報公開条例で権利濫用禁止の条項を定めていない場合でも同様です。
なお、総務省で定める「行政機関の保有する情報の公開に関する法律に基づく処分に係る審査基準」(総務省訓令第 126 号)においては、開示請求が権利の濫用に当たる場合には、開示しない旨の決定をすることとされています。
この中で、権利の濫用に当たるか否かの判断は、「開示請求の態様、 開示請求に応じた場合の行政機関の業務への支障及び国民一般の被る不利益等を勘案し、社会通念上妥当と認められる範囲を超えるものであるか否かを個別に判断して行う」こととされ、「行政機関の事務を混乱又は停滞させることを目的とする等開示請求権の本来の目的を著しく逸脱する 開示請求は、権利の濫用に当たる」としています。
他方、地方自治体では情報公開条例を定めており、その中で「何人も、実施機関に対し、当該実施機関の保有する行政文書の開示を請求することができる。」とした上で、更に「何人も、この条例に基づく行政文書の開示を請求する権利を濫用してはならない。」と定めている例もあり、権利の濫用に当たる請求があったときは、当該請求を拒否する(不開示決定又は却下)ことができますし、総務省が定めるように、条例で明確な権利濫用禁止の定めがない場合でも、一般法理として「権利濫用法理」により開示請求を認めない旨の決定(非開示決定又は却下決定)をすることは可能とされています。
そもそも開示請求は、条例に基づき住民の知る権利を尊重し、行政文書の開示を請求する権利を保障するとともに、自治体の説明責任を果たし、住民と協働することにより、公正で開かれた政治の推進を図るためのものです。
一方、開示請求者には、条例の目的に即した請求を行う権利の適正な行使及び得た情報の適正な使用が求められます。
実施機関は、条例に基づく開示請求の趣旨に反するような請求については、権利の濫用として開示請求を拒否することができるとされている場合でも、その適用に当たっては慎重な運用が求められます。
2.権利の濫用の適用について
そもそも現行の情報公開請求制度は、基本的に国民ないし市民が情報公開請求を適切に行う局面を念頭に置いており、情報公開請求権が濫用された場合についての対処はもとより、そもそも情報公開請求権が濫用されること自体を想定していないものと考えざるを得ないでしょう。この点は情報公開制度自体の欠陥であると言え、一般法理から補う必要があります。
一般法理としての権利の濫用の適用に当たっては、開示請求の回数、対象文書の量、請求者の言動、請求の内容・方法など、当該開示請求による実施機関の業務遂行の停滞その他様々な事情を総合的に勘案し、開示請求者の被る不利益等考慮すべき要素等に照らして慎重に判断することが求められます。
判例は、単に大量の文書資料の開示請求であることだけで権利の濫用は認めていませんので、いやがらせを意図とする大量開示請求だとして安易に不開示の決定をするような運用は慎まなくてはいけません。
3.権利の濫用が疑われる場合の事務処理の流れ
情報公開請求制度は、それに関する多くの論稿や論評も含めて、基本的に国民ないし市民が情報公開請求を適切に行う局面を念頭に置いて定めていることから、一般法理から情報開示制度の例外として開示請求が権利の濫用だと疑われる場合には、厳格に対処する必要があり、且つ、例外ゆえに開示請求が権利の濫用だと疑われる場合でも、不開示決定が安易に行われないように適正且つ慎重な判断手続きがなされるべきであることは当然要求されるものであり、以下の手順例で判断されるのが正当であろうと考えられます。
①開示請求を受理し、濫用の疑いがある場合、まずは主管課において不開示指針等に沿って判断する。
②主管課において濫用にあたると判断した場合、総務課と協議する。
③総務課において濫用にあたると判断した場合、その判断に従って主管課が不開示決定書を申請者に送る。
4.権利の濫用の適用に当たって考慮すべき要素
(1)裁判例:東京地裁平成 15 年 10 月 31 日判決―判例秘書 L05834552
情報公開法に基づく自動車検査証の記載事項(検査登録事務所で行われ、車体の形状が『教習車』で登録された時の車両に関する申請書類の一切等)に係る開示請求をしたのに対して、行政庁が、「本件開示請求に対応するためには、仮に職員1名を専従作業員とし、1日8時間全く休憩なしで、同じ作業効率で作業を進めたとしても、9か月以上かかることとなり、業務に著しい支障を来すのみならず、他の情報公開請求に対応する余裕がなくなり、かえって法の立法趣旨が没却されることから、本件開示請求は権利の濫用と認められるべきであり、不開示処分とすることが適当であると主張したのですが、裁判所は次のように判断して、権利濫用による不開示決定は取り消されました。
<裁判所の判断>
1 「情報公開法においては、著しく大量の文書の開示請求であっても、そのことのみを理由として、不開示とする旨の規定を置いておらず、また、開示期限の延長を行うことで、通常業務と並行的に順次開示手続きを進行させていくことが想定されている。
したがって、開示請求文書の開示に相当な時間を要することが明らかである場合であっても、そのことのみを理由として、開示請求権の濫用として、開示請求を拒むことは原則としてできない。 開示請求に係る行政文書が著しく大量である場合又は対象文書の検索に相当な手数を要する場合に、これを権利濫用として不開示とすることができるのは、請求を受けた行政機関が、平素から適正な文書管理に意を用いていて、その分類、保存、管理に問題がないにもかかわらず、その開示に至るまで相当な手数を要し、その処理を行うことにより当該機関の通常業務に著しい支障を生じさせる場合であって、開示請求者が、専らそのような支障を生じさせることを目的として開示請求をするときや、より迅速・合理的な開示請求の方法があるにもかかわらず、そのような請求方法によることを拒否し、あえて迂遠な請求を行うことにより、当該行政機関に著しい負担を生じさせるようなごく例外的なときに限定される。」
2 「本件では本件開示請求を濫用したと認めるに足りる事情は認められない。行政機関においては、開示請求者に対して、差し当たり開示請求文書を半年分や一年度分に限定することや、まずその程度の開示を行ってそれ以外の分はその後に順次開示すること等の了解を得ることも可能であったと解される。」
(2)このように、具体的に権利の濫用にあたるかどうかの判断基準としては、単に大量文書の開示請求であるというだけでは足りず(平成19年8月31日高松高裁判決―判例秘書L066220712、平成19年10月31日さいたま地裁判決―判例秘書L06250518も同旨)、例えば以下のような事情が加わる必要がありますし、以下のような事情がある場合には、大量文書の開示でなくとも権利の濫用とされます。
● 実施機関の業務遂行の停滞を目的としていると認められるとき
(例) 正当な理由がないにもかかわらず、過去に開示請求を行った同一の行政文書について、開示請求を繰り返すとき
●開示請求を行い、決定されたにもかかわらず、正当な理由がなく閲覧等を行わないことを繰り返し、開示を受ける意思がないと認められるとき
(例) 複数回の閲覧期日の通知をしても、閲覧日に来訪しない事を繰り返しているとき
●特定の部、課、係等への集中又は連続した大量の開示請求であって、言動等により実施機関の特定の部署又は特定の職員への威圧、攻撃などを目的としている又は業務遂行を停滞させる害意が認められるとき
(例) 開示請求者において特定の職員を誹謗、中傷又は威圧するなどの言動があるとき
●特定の職員が関与する行政文書についての集中又は連続した開示請求であって、言動等により威圧などの害意が認められるとき又は他に業務遂行を停滞させる害意が認められるとき
●大量請求
(例) 「○○課の全ての文書」など大量の請求であり、開示請求の内容が具体的でなく、補正を求めても応じないとき
なお、開示請求に対して権利濫用を認めた判例として次の判例がありますので、ご紹介しておきます。
・名古屋地裁平成25年3月28日判決―判例秘書 L06851154
(開示請求書提出数は、平成17年度が7件、平成18年度が22件、平成19年度が217件、平成20年度が88件、平成21年度が413件、平成22年度が575件と全体開示請求件数の10%から82%を占める多数及び大量の開示請求を行った上、文書特定の補正拒否と開示前の取り下げ又は開示閲覧しない等の繰り返し、職員に対し写真撮影に応じるよう求めたり、自分を委員に選任せよとの不当要求を繰り返し、応じなければ大量の文書開示請求をするという形態であった。)
以 上
地方自治体作成の「初盆名簿」と個人情報保護(政教分離の検討も含めて)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
○N町においては、死亡届受付の際に「初盆名簿」登載用に故人・喪主・公民館名・小組名を記載してもらって、毎年8月初旬に「初盆名簿」冊子を町内全体で回覧しているが、個人情報保護の観点から何か問題になるでしょうか?
「初盆名簿」を不要とする町民の意見では、個人情報保護の観点以外に、政教分離の観点から問題があるとする意見も出ているのですが、かかる観点から「初盆名簿」の作成回覧は、違法となるのでしょうか?
1.個人情報の取得について
個人情報を取得する場合には、「取得前」に利用目的を本人に明示する必要があります。個人情報を取得した場合、あらかじめ本人に告げた利用目的の達成に必要な範囲でしか利用できません。
従って、「初盆名簿登載用」と使用目的を明示した取得であれば(提出用紙に「初盆名簿に登載させていただきます。」と使用目的が記載してあれば)、個人情報保護上の問題は生じません。
しかしながら、かかる取得手続きを経ないで、公務員が死亡届出から「初盆名簿登載用」として故人・喪主・公民館名・小組名を名簿用紙に転記する方法の場合には、死亡届出の使用目的(戸籍住民票上の処理目的)を逸脱する取得となるか、目的外使用となるので、個人情報保護条例に違反する取得又は使用になる可能性があります。
2.個人情報の配布(初盆名簿の作成及び配布)について
(1)上記のとおり、個人情報取得時に「初盆名簿登載用と使用目的を明示した取得」であれば、初盆名簿の作成及び配布は、個人情報保護条例違反とはなりません。
(2)取得時にかかる使用目的を明示していない場合には、初盆名簿回覧(配布)は個人情報保護条例違反となる可能性があります。
3.初盆名簿の作成及び配布と政教分離について
(1)「政教分離の原則」とは、国家と宗教は切り離して考えるべきであるとする原則のことをいいます。政治と宗教が結びついた場合、国が特定の宗教に有利となるよう国政を行うことになるため、特定の宗教以外の宗教は、排除されていくおそれがあることから、信教の自由を保障するためにこの原則があります。
国家の行為が政教分離違反であるか否かを判断する際に採用される基準として、目的と効果の2つに着目し政教分離に反するか否かを判断します。これを「目的効果基準」と言い、①その行為の目的が宗教的意義を持ち、かつ、②その行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であるかどうかで判断することになります。そもそも、宗教的意義を有さない行事は「習俗」とされ「宗教儀式」ではないとされます。
(2)「習俗」といえば、一般に節分、七五三、雛(ひな)祭り、端午(たんご)の節句、各種の村祭り、死者の葬りの際の北枕とか副葬品、そして正月の門松などがそれに該当するでしょう。
日本の「初盆」は、日本国内においては、仏教行事なのでしょうか、神道行事なのでしょうか、儒教行事なのでしょうか、それとも習俗にすぎないのでしょうか?
初盆は、先祖の供養であり、供養の方式が仏教上も神道上も宗教的儀式で執り行われる限りでは、供養儀式自体は「①その行為の目的が宗教的意義を持つ」ということになり、単なる「習俗」とはならないでしょう。しかし、お盆の行事全体そのものが宗教行為かと言えば、その点は「習俗」という面が強く表れているのではないかとも考えられます。そこで、問題は「②その行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であるかどうか」ですが、初盆や先祖供養は本来の釈迦仏教の考えではなく、日本の古来の先祖霊崇拝の文化土壌に日本仏教や神道や儒教の考えが融合したものと評される面もあり、特定の宗教としての行事ではないことから、日本人一般の社会的通念からすれば、初盆の行事自体が「その行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」ではないと解釈される余地があります。
そもそも、N町における初盆名簿の作成及び配布は、その効果としては、宗教的行事を促す契機になるという意味で、宗教的行事に間接的に資する側面があるとしても、それ自体は「①宗教的儀式」そのものでもなく、かつ「②一定の宗教を援助、助長をする」効果についても、宗教とは無関係な広報としての行政サービスとしての目的による間接的かつ付随的なものにとどまっており、これが「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなものである」とは到底認められないものであり、政教分離の原則に反するものではないと考えます。
(3)類似事案の判例として、東京地裁令和3年2月18日判決(判例地方自治No483-43)があります。
これは、警察署長が宗教法人のお寺が主催する節分会に参加して護摩祈祷と豆まきをした上、警察署警察官複数が雑踏警備に配置されていたという事案で、市民から、それらの参加行為や警備協力は政教分離の原則に違反する行為であるとして、その時間相当分の警察署長及び配置警察官への給与支出と出張交通費等の支払いが違法な財務会計上の行為であるので不当利得返還をすべきであるとして住民訴訟を提起された事案です。
裁判所の判断は、
「本件の警察署長等の護摩祈祷と豆まき参加行為は、宗教との関わり合いの程度が我が国の社会的文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度根本的目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものでない。雑踏警備の実施について、結果として本件宗教儀式の実施に資する面があったとしても、その効果は、宗教とは無関係な市民の安全という目的の実現に伴う間接的付随的なものにとどまっており、特定の宗教を援助、助長、促進し又は圧迫、干渉等を加えるようなものとは認められないというべきであるから、信教の自由の確保という制度根本的目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法第20条3項の宗教活動にあたるとは言えず、憲法第89条の政教分離原則に違反するものとは言えない。」としています。
(4)このような判例からみても、N町における初盆名簿の作成及び配布は、宗教行為そのものでもありませんので、信教の自由の確保という制度根本的目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法第20条第3項の宗教活動にあたるとは言えず、憲法第89条の政教分離原則に違反するものではないと考えられます。
以 上
民事訴訟におけるDNA情報(DNA鑑定書)の取扱い
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
前回、刑事捜査手続き上の「DNA情報」の取扱いを説明しましたので、それに続き、民事訴訟上での「DNA情報」の取扱いについて基本的な点をお話しておこうと思います。
1.DNAとは?
DNA(デオキシリボ核酸)は、生物の細胞の核内に存在し、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の部品でできていて、終生不変であり、私たちの「体を作る設計図」とも言われています。すべての人は指紋のように個々の特異的なDNA領域を持っているため、その特異的な領域を分析すること(鑑定)で個人の識別が可能になるとされています。
2.民事訴訟とDNA鑑定について
民事訴訟においては、DNA鑑定が問題となる典型的なものとしては、親子関係の存否がほとんどのようですが、不法行為訴訟や保険金請求訴訟などで加害者や被害者を特定するためにDNA鑑定が用いられている例もあるようです。DNA鑑定が民事訴訟の場に用いられる方法としては、多くは当事者が依頼した専門家の鑑定意見書(書証)として提出される場合(民事訴訟法第219条以下)ですが、裁判所において証拠調べとしての鑑定(民事訴訟法第212条以下)手続きで鑑定人が行った鑑定書が作成される場合もあります。前者の場合を私的鑑定(書)、後者の場合を公的鑑定(書)と呼ぶ例もあります。
3.DNA鑑定の留意点
DNA鑑定の検体としては、「毛髪」「口腔内の細胞」が一般的ですが、吸い殻 / 歯ブラシ / ヒゲ剃り / ガム / コップ・ペットボトル・缶 / ストロー / おしゃぶり / 血痕・血液 / 精液・体液・尿 / 毛髪・爪 / 生理用品 / 病理試料 / 血清 / 臓器・骨・歯 / 臍帯・胎盤 などでも可能とされています。私的鑑定、公的鑑定いずれの場合でも、鑑定実施の前提として、鑑定対象物(鑑定資料又は検体と呼ばれています。)が、DNA鑑定の対象となる特定人から適切に採取されたものであることが最も重要になります。
鑑定の結果としては、鑑定対象から採取された検体であることまで保証できるものではありませんので、民事訴訟において、DNA鑑定を証拠として採用して真否の判断に用いる場合には、鑑定結果とは別に、「鑑定された検体が、鑑定の対象となる特定人から適切に採取され、且つ採取時又はその後に汚染されないようにされたものであること」を証拠付ける必要があります。採取時の方法を画像撮影するか、第三者の立ち合いを求めた形で行うかという対応を取っておく必要があります。
4.DNA鑑定の拒否とそれに対する訴訟的対応について
民事訴訟でDNA鑑定が必要と判断されたが、当事者の一方がDNA鑑定の検体提供を拒否した場合は、どのような取扱いになるのでしょうか。
刑事訴訟においては、強制処分としての一定の令状に基づいて強制的に検体を獲得する方法が定められています。具体的には、被疑者からの鑑定資料の採取は、任意処分の場合は、口腔内粘膜等の任意提出(刑事訴訟法第221条)によりますが、強制処分の場合は、鑑定処分許可状と身体検査令状の併用(刑事訴訟法第218条、第225条)により被疑者の身体に対して直接強制力をもって行われています。
しかしながら、民事訴訟においては、そのような直接的な強制処分としての規定はありません。
民事訴訟法上の手続き規定を見てみますと、裁判所において当事者に対し証拠提出を求める方法としては、同法第223条で文書提出命令の定めがあり、第234条では、当事者が文書提出命令に従わないとき(他の証拠での立証が著しく困難となる場合も含む)は、裁判所は、当該文書の記載に関する「相手方の主張を真実と認めることができる」と定められており、検証手続きを定める第232条第1項で「第219条、第223条、第224条、第226条及び第227条の規定は、検証の目的の提示又は送付について準用する。」と規定しています。
これらの規定により、裁判所はDNA鑑定のために血液等の採取・提供を命ずることができ、当事者は、検証協力義務としての検証受忍義務(血液採取受忍義務)及び検証物提示義務(血液提供義務)があり、正当な理由のないかぎりこれを拒否できないという一般的な義務があることになります。
それでも、一方当事者が検証協力義務としての検証受忍義務(血液採取受忍義務)及び検証物提示義務(血液提供義務)に従わない場合には、間接的な強制方法として「不利益認定」として、他方当事者の主張する事実を真実と認められてしまうようになっています。例えば、不法行為訴訟で原告から「加害者は被告である」と主張されたのに対し「加害者は自分ではない」と主張して争っている被告が必要な加害者のDNA鑑定手続きとして被告自身のDNA検体を提出を正当な理由なく拒否してDNA鑑定ができなかった場合には、原告の「加害者は被告である」との主張を認めることができる(民事訴訟法第224条第3項)という結果になってしまうわけです。
これは、いわば「証明妨害」として捉えて制裁する方法になりますが、証拠に基づく真実発見よりも、民事訴訟上の信義則としての手続的正義を重視するという立場になります。
5.DNA鑑定の拒否と人事訴訟について(親子関係の存否に関する裁判等の場合)
民事訴訟の特別法として人事訴訟法があります。人事訴訟法の審理対象は「人事訴訟」(=離婚の訴え、嫡出否認等その他の身分関係の形成又は存否の確認を目的とする訴え)になります(第2条)。
この人事訴訟法第19条第1項は、民事訴訟法第224条等の規定(不利益認定規定)や自白規定の適用を明文で除外しています。このことにより、親子関係存否確認等の人事訴訟においては、親子間のDNA鑑定を拒否した場合には、拒否した当事者に必ずしも不利益に判断されるということにはなっていません。これは親子関係という身分に関する事項については、証拠に基づいて客観的に真実かどうかを見極めることを重視し、手続上の信義則違反に基づいて簡単に真実とすることはできないというものになりますので、一般的な民事訴訟としての判断方法は取らないということになります。このことはDNA鑑定の拒否に対しての民事訴訟と人事訴訟との大きな違いであることが認識されておくべきです。
但し、人事訴訟であっても、DNA鑑定を拒否したことに何ら合理性がない場合には、そのことを親子関係の存在を推認させる間接証拠として他の関連証拠と合わせて考慮すれば、親子関係の存在を認めることができるという認定をすることは実務上の事実認定方法としては許されているようです(東京地裁平成29年2月15日判決参照)ので、総合的判断をする裁判所においては、不当な結論になることはないようです。
以 上
警察取り調べでの「被疑者DNA型記録」等の採取の法的根拠を学ぼう!!
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
〇Aは、痴漢行為の迷惑防止条例違反と強制わいせつ嫌疑で現行犯逮捕され、処分保留となったが、逮捕された際の警察の捜査上で、Aの被疑者DNA記録(口内唾液の任意提出、指紋掌紋記録、写真記録(以下「3記録」という。)が作成されていた。
これは、憲法第13条で保障されているプライバシーの権利及び「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」又は「個人に関する情報をみだりに整理保管及び内部利用されない自由」を侵害するものだから、Aの人格権及び人格的利益に基づく妨害排除請求としての各記録(国に対して3記録、地方公共団体に対して指紋掌紋記録のみ)の抹消を求めたいが、抹消できるでしょうか。
1.DNAとは?
DNAは、デオキシリボ核酸の通称ですが、ヒトの細胞では核の中の染色体にあり、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の部品でできています。DNAは、はしごをひねったような形をしていて、核の中の染色体の中に折りたたまれて入っており、私たちの「体を作る設計図」とも言われています。すべての人は指紋のように個々の特異的なDNA領域を持っているため、個人の識別が可能になるとされています。裁判上は、家庭裁判所での親子関係の判断や刑事裁判等での犯罪者の特定に利用されています。犯罪の被疑者として逮捕された際には、警察の捜査上で、写真記録や指紋記録以外にも、被疑者として「口内唾液の任意提出」がなされるなどしてDNA記録が作成されています。
2.ところで、法令上は末尾に示す3つの規則で定められていますが、「3記録」の抹消事由は、「本人が死亡したとき」、「記録を保管する必要がなくなったとき」とだけ定めてあり(DNA型記録取扱規則第7条、指掌紋取扱規則第5条、被疑者写真の管理及び運用に関する規則第5条)、相談事例では、Aは、被疑事件が処分保留となったとしても、無罪又は処分なしとはなっていないことから、「記録を保管する必要がなくなったとき」に該当しません。
また、「記録を保管する必要がなくなったとき」とは、「被疑事件捜査・司法手続上の必要性」ではなく、「記録を保管する必要性」であるので、「捜査が終わったから必要がなくなった」ということにはならず、捜査終了後も「将来の捜査」のために記録として保管し続ける必要性がある場合には、「記録を保管する必要性がある」ということになります。
従って、現在の法令や規則からすると、各記録のAの個人情報の抹消請求をしても認められないことになります。
3.現在の検察での被疑者取り調べでは、「3記録」が採取されているようです。警察は、十分な説明もしないまま、「任意捜査」として、「被疑者から承諾を得た」として写真撮影をし、指紋やDNAを採取していますが、「DNA採取月間」というのがあるようで、ノルマ達成のために、軽微な事件においてDNAを採取されている可能性があります。
このような、被疑者証拠の採取の実態と現在の法令や規則からすると、結局、一度警察から嫌疑を受けて「3記録」を採取されると、その証拠は「本人が死亡」するまで警察庁で管理されることになってしまいます。
4.そこで、そもそもそのような「3記録」の警察採取制度は、憲法第13条で保障されているプライバシーの権利及び「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」又は「個人に関する情報をみだりに整理保管及び内部利用されない自由」を侵害するものであるから、Aの人格権及び人格的利益に基づく妨害排除請求としての各記録(Aの個人情報)の抹消請求により抹消されるべきであるという考え方が出てくるわけです。
個人を特定する科学的証拠に基づいて個人が罪を犯した場合の犯罪捜査と刑事司法判断を容易にする必要性はあるものの、個人を特定する科学的証拠は、犯罪に関係しない日常生活の場においても国家が国民を監視するという「監視社会」を作り出す危険があります。少なくとも、被疑者特定証拠(3記録)は、「記録を保管する必要性」ではなく、「被疑事件捜査・司法手続上の必要性」が消滅した場合には、個人情報の抹消請求により抹消されるべきであるという規定が定められるべきではないかと考える余地が出てきます。しかし、判例は、次に述べるように現制度の規則規定のままでの運用を肯定しています。
5.この事例に関しては、東京地方裁判所平成31年2月28日判決(判例地方自治464-96頁)で「被疑者DNA型記録については、犯罪捜査に資するためという目的外での収集や利用が制限され、その漏えい、滅失又は毀損を防止するために必要な措置を講じるものとされ、更に濫用的利用等については刑罰が科されることとされており、警察において、被疑者DNA型記録が目的外に使用されたり、第三者に漏えい等されたりするなどといった具体的な危険が生じているとも認めることはできない。」とされており、指紋や顔写真についても同様に制度上濫用や漏えいについては罰則等があり得ること等から、「3記録」の抹消請求を否定しています。
<参照条文>
刑事訴訟法第218条 警察法第5条 第38条 第81条
警察法施行令第13条 警察庁組織令
DNA型記録取扱規則
指掌紋取扱規則
被疑者写真の管理及び運用に関する規則(写真規則)
〇 法的根拠条文
刑事訴訟法
第218条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押え、記録命令付差押え、捜索又は検証をすることができる。この場合において、身体の検査は、身体検査令状によらなければならない。
2 差し押さえるべき物が電子計算機であるときは、当該電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であって、当該電子計算機で作成若しくは変更をした電磁的記録又は当該電子計算機で変更若しくは消去をすることができることとされている電磁的記録を保管するために使用されていると認めるに足りる状況にあるものから、その電磁的記録を当該電子計算機又は他の記録媒体に複写した上、当該電子計算機又は当該他の記録媒体を差し押さえることができる。
3 身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取し、身長若しくは体重を測定し、又は写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り、第一項の令状によることを要しない。
警察法
(任務と及び所掌事務)
第5条 国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行うことにより、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。
2、3 略
4 国家公安委員会は、第一項の任務を達成するため、次に掲げる事務について、警察庁を管理する。
一 警察に関する制度の企画及び立案に関すること。
二から二十五 略
二十六 前各号に掲げるもののほか、他の法律(これに基づく命令を含む。)の規定に基づき警察庁の権限に属させられた事務
5 前項に定めるもののほか、国家公安委員会は、第一項の任務を達成するため、法律(法律に基づく命令を含む。)の規定に基づきその権限に属させられた事務をつかさどる。
6、7 略
(組織及び権限)
第38条
1~3 略
4 第五条第五項の規定は、都道府県公安委員会の事務について準用する。
5 都道府県公安委員会は、その権限に属する事務に関し、法令又は条例の特別の委任に基いて、都道府県公安委員会規則を制定することができる。
6 略
(政令への委任)
第81条 この法律に特別の定がある場合を除く外、この法律の実施のため必要な事項は、政令で定める。
警察法施行令
(国家公安委員会規則等への委任)
第13条 国家公安委員会が法第五条第四項の規定による管理に係る事務又は同条第五項若しくは第六項の事務を行うために必要な手続その他の事項については、国家公安委員会規則で定める。
2 都道府県公安委員会が法第三十八条第三項の規定による管理に係る事務又は同条第四項において準用する法第五条第五項の事務を行うために必要な手続その他の事項については、都道府県公安委員会規則で定める。
警察庁組織令
(刑事企画課)
第22条 刑事企画課においては、次の事務をつかさどる。
一~四 略
五 刑事資料の調査、収集及び管理に関すること。
六 略
警察法施行規則
(刑事指導室)
第23条 刑事局刑事企画課に、刑事指導室を置く。
2 刑事指導室においては、令第二十二条第二号及び第四号に掲げる事務並びにこれらの事務に関し必要な刑事資料の調査、収集及び管理に関する事務並びに同条第六号に掲げる事務のうち日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第二十五条の規定による合同委員会との連絡に関する事務をつかさどる。
3、4 略
DNA型記録取扱規則
(作成等)
第3条 警察庁刑事局犯罪鑑識官(以下「犯罪鑑識官」という。)は、警視庁、道府県警察本部若しくは方面本部の犯罪捜査を担当する課(課に準ずるものを含む。)の長又は警察署長(以下「警察署長等」という。)から嘱託を受けて被疑者資料のDNA型鑑定を行い、その特定DNA型が判明したときは、当該被疑者資料の特定DNA型その他の警察庁長官が定める事項の記録を作成しなければならない。
2 略
(整理保管)
第6条 犯罪鑑識官は、第三条第一項の規定により被疑者DNA型記録を作成したとき又は同条第二項若しくは第三項(第四条第二項の規定により準用する場合を含む。)の規定による被疑者DNA型記録、遺留DNA型記録若しくは変死者等DNA型記録の送信を受けたときは、これを整理保管しなければならない。
2 犯罪鑑識官は、被疑者DNA型記録、遺留DNA型記録及び変死者等DNA型記録の保管に当たっては、これらに記録された情報の漏えい、滅失又はき損の防止を図るため必要かつ適切な措置を講じなければならない。
(抹消)
第7条 犯罪鑑識官は、その保管する被疑者DNA型記録が次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、当該被疑者DNA型記録を抹消しなければならない。
一 被疑者DNA型記録に係る者が死亡したとき。
二 前号に掲げるもののほか、被疑者DNA型記録を保管する必要がなくなったとき。
2、3 略
指掌紋規則(指掌紋取扱規則)
(指掌紋記録等の作成)
第3条 警視庁、道府県警察本部若しくは方面本部の犯罪捜査を担当する課(隊その他課に準ずるものを含む。)の長又は警察署長(以下「警察署長等」という。)は、所属の警察官が被疑者を逮捕したとき又は被疑者の引渡しを受けたときは、指紋記録等及び掌紋記録等(以下「指掌紋記録等」という。)を作成しなければならない。
2 警察署長等は、身体の拘束を受けていない被疑者について必要があると認めるときは、その承諾を得て指掌紋記録等を作成するものとする。
(処分結果記録の作成等)
第5条 警察署長等は、第三条の規定により指掌紋記録等を作成した場合において、警察庁長官が定める事由に該当するに至ったときは、速やかに処分結果記録を作成し、これを警察庁犯罪鑑識官及び府県鑑識課長に電磁的方法により送らなければならない。
2 警察庁犯罪鑑識官又は府県鑑識課長は、前項の処分結果記録の送信を受けたときは、当該処分結果記録を整理保管し、又は当該処分結果記録に係る処分結果資料を作成し、これを整理保管しなければならない。
3 警察庁犯罪鑑識官又は府県鑑識課長は、その保管する指掌紋記録等が次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、当該指掌紋記録等及び当該指掌紋記録等に係る処分結果記録又は処分結果資料を抹消し、又は廃棄しなければならない。
一 指掌紋記録等に係る者が死亡したとき。
二 前号に掲げるもののほか、指掌紋記録等を保管する必要がなくなったとき。
写真規則(被疑者写真の管理及び運用に関する規則)
(被疑者写真記録の作成)
第2条 警視庁、道府県警察本部若しくは方面本部の犯罪捜査を担当する課(これに準ずるものを含む。)の長又は警察署長(以下「警察署長等」という。)は、所属の警察官が被疑者を逮捕し、又はその引渡しを受けたときは、画像を電磁的方法により記録することにより当該被疑者の写真(以下「被疑者写真」という。)を撮影し、当該被疑者写真及び当該被疑者の氏名、生年月日その他当該被疑者を識別するために必要な事項を電磁的方法により記録したもの(以下「被疑者写真記録」という。)を作成しなければならない。ただし、当該被疑者を他の警察署長等に引き渡す場合には、被疑者写真記録の作成を省略することができる。
2 警察署長等は、身体の拘束を受けていない被疑者について必要があると認めるときは、その承諾を得て被疑者写真を撮影し、被疑者写真記録を作成するものとする。
(被疑者写真記録の抹消)
第5条 警察庁犯罪鑑識官は、その保管する被疑者写真記録が次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、当該被疑者写真記録を抹消しなければならない。
一 被疑者写真記録に係る者が死亡したとき。
二 前号に掲げるもののほか、被疑者写真記録を保管する必要がなくなったとき。
(被疑者写真の閲覧)
第7条 警察署長等は、被疑者の特定その他犯罪捜査のため特に必要があると認めるときは、必要な限度において、被害者その他必要と認める者に対して被疑者写真を閲覧させることができる。
以 上
騙された公務員も損害賠償責任があるの?~印鑑登録の変更(廃止と申請)手続きに際して~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
<質問> ○○市の市民課に勤めている地方公務員Yです。Aという人物が、市民Xさんの運転免許証を偽造(氏名はXさんで写真はAに変造)した免許証を示して、Xと称して、従来のXさんの印鑑登録の廃止届と新たな印鑑登録申請をしてきました。免許証の氏名と住所確認をして写真とAの顔を確認したので、印鑑登録の手続きを進めたのですが、まず、運転免許証を免許証識別装置(EXC-2500ZR2は約3秒で真贋判定を行う事ができる)に挿入したら「不可」の判定が出ました。免許証の裏に色々とシールなどが貼ってあり、厚さが異なっているので「不可」の反応が出たのだろうと考え、Aに対して「免許証に加工などはしていませんよね。」と聞いたところ、Aが「何もしていない。」と答えたので、手続きを進めました。印鑑登録申請書の「住所」の一部が運転免許証に書いてある住所と異なっていましたが、申請書の住所の方が書き間違いだと思って、その部分を私のほうで事実上訂正して手続を完了し、新たなX名義の印鑑登録証明書をXさんだと信じていたAに交付してしまいました。
その結果、悪人Aは、司法書士と通じてXさんの不動産(時価1億円)を売却してその代金をだまし取って逃げたようです。市民Xさんは、弁護士に依頼して、不動産登記の取戻裁判をして不動産を取り戻せたようですが、裁判にかかった弁護士費用500万円と慰謝料200万円を私に請求してきました。
一番悪いのはAであり、Aに騙されただけの安月給の一公務員である私が、このような損害賠償を払う責任があるのでしょうか。
<回答>
1.このような悪い奴が仕組んだ犯罪の場合には、一番悪いA(悪人A)が全部の責任を負わなくてはならないはずです。この場合、「被害者」は市民Xさんであり、土地を買ったのに取り戻された売買相手の方や売買登記に関与した司法書士、そして騙されて印鑑証明書を作らされ交付したYさんでしょう。
しかし、悪人Aが逃げてしまっている場合には、その被害者間で損害賠償請求が起こってしまいます。悪意がなくても誰かに過失があれば、その人が「不法行為責任」を負うという解決の仕方が民法などの法律に規定されているからです。
公務員の場合には、国家賠償法第1条第1項に「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」との定めがありますので、公務員Yさんに過失があれば、薄給のYさんではなく、Yさんが勤めている地方公共団体である○○市が賠償責任を負わされることになります。Yさん個人は原則として賠償責任を負いませんので安心してください。
でも、公務員はミスしても個人で賠償しなくていいなどと安易には考えないでください。同法第1条第2項に「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」との定めがあります。ひどいミスの時は、この規定により○○市から賠償分を個人で負担せよという取り扱いがなされますので、日頃からの慎重な事務処理を心がけてください。
2.それでは、本件の場合、Yさんの印鑑登録業務の処理について国家賠償法第1条第1項の「故意又は過失によって違法」であったのでしょうか。悪人Aに騙されたことが「過失で違法」なのでしょうか。Yさんが悪かったのでしょうか。それを検討しましょう。
まず、過失責任とは、本来注意しながら仕事をすべき立場にある人が、相手方に不当な損害等の結果が生じることが気を配れば分かったのに、そのような注意や気配りをしなかったから、不当な結果が生じたという場合の法的責任を言いますので、その人に「注意義務」があり、「不当な結果の予見ができたこと又は予見可能性があったこと」が過失責任の要件になります。公務員は本来市民に対して法律に従って適正な処理をする立場にありますので、ご相談の事例の場合には、Yさんにおいて、市民課窓口に来ている悪人Aが市民Xでなく、運転免許証は偽造されているのではないかと気づく機会があったかどうか(不当な結果又は不当な結果の回避について予見又は予見可能性があったかどうか)がYさんの「過失責任」の有無の大前提になります。
(1)この点、運転免許証識別装置で「不可」と出たことは「予見可能性」があったことを意味します。仮に、運転免許証の裏にシールなどを貼った場合等に本物でも「不可」と出る経験をしていたとしても、特に真正なものであることの積極的な理由がないかぎり、「不可」の検査結果を「真正」と判断するのには合理性は無いように思います。
(2)次に、免許証の住所と印鑑登録申請書の住所の一部が違っていた点です。A本人が正確な住所を書けなかったということですから、窓口に来ている人物が市民Xでないかと疑うことが可能になります。
(3)Yさんとしては、以上の点を疑った結果、Aに対して「免許証に加工などはしていませんよね。」と聞いて、Aが「何もしてない。」と答えただけで手続きを進めていますが、運転免許証の確認や本人確認としては、生年月日、干支、家族構成などを尋ねてみることも容易であるし、家族への連絡をしてみるという方法もあり得ますので、確認方法としては不十分だった(すなわち、注意義務を十分に果たしていない)と言われる可能性があります。
(4)このような事例が問題となった、さいたま地裁平成30年9月28日判決(判例時報2410-63)は、次のように判断しています。
(判旨)
「本件についてみると、原告を名乗る申請者Aは、本人確認書類として原告名義の運転免許証(本件免許証)を提示したこと、本件免許証には申請者である原告の住所として「Y市I区L(以下略)」と記載されていたこと、埼玉県公安委員会が発行する運転免許証の住所表示は「Y市L町○丁目○番○号」と記載されること、原告を名乗る申請者Aが作成した申請書には「Y市I区N(以下略)」と記載されていたこと、上記のとおり本件免許証には町名が「L」と記載され、照合による情報においても町名は「L」であったこと、本件識別装置に本件免許証を挿入したところ「不可」と表示されたこと、Y市の担当職員はAを窓口に呼んで運転免許証を加工しているかを尋ねたところ、加工していないと回答したこと、担当職員は運転免許証の厚さによっては「不可」と表示されるため、今回も偽造によるものではないと判断したこと、そして、申請書の「N」を「L」と訂正し、申請者Aが原告本人であると判断して、所定の印鑑登録手続をしたことは上記認定のとおりである。
印鑑登録申請を担当した部署において、埼玉県公安委員会の発行する運転免許証の住所表示が「○丁目○番○号」であり、申請者により提示された運転免許証が上記表示となっているかを審査して運転免許証の偽造の有無を確認することが規定されているのでなければ、担当職員がその知識や経験のみで運転免許証の住所表示から偽造の有無を審査して判断することは容易でないといえる。
しかしながら、これに加えて本件では、申請書に記載された住所と運転免許証に記載された住所、照合した登録票の住所が異なっており、原告の年齢を考慮しても、住所の町名の記載を誤ることは多くないと考えられ、担当職員は申請者Aが原告本人であるかを疑う機会があったというべきである。しかも、運転免許証の偽造を検知する本件識別装置では本件免許証が不可と判定されており、本件免許証が偽造された可能性があることを疑うことができる状況にあった。
ところが担当職員は、申請者が住所の記載を誤ることがあるとの理由で申請書の住所を誤記として訂正してしまった。申請者が住所の記載を誤ることがあるにしても、本人が誤ったと判断する根拠があるのでなければ、申請書に住所を記載させて本人の同一性を確認する意味はなくなってしまうものというほかない。
また、担当職員の質問に対して申請者Aが加工していないと回答し、運転免許証の厚さによっては本件識別装置が不可と表示することがあったとしても、本件免許証が偽造されたものでないと判断できるだけの十分な根拠があったものではない。
そして、申請者Aが原告本人であるか、提示された運転免許証が偽造されたものではないかという疑問が生じたときは、担当職員としてさらに本人であるかどうかの審査をすることができた。例えば、担当職員は、生年月日、干支を質問したり、住民票を確認できるのであれば、家族構成、転居日等を質問したりすることができる。このような質問でも疑義が解消されないときは、申請者の了解を得て、家族に連絡を取るなどの方法もあり得るところである。本件の申請者Aは、申請書の住所の記載を誤っており、申請書の記載事項以外の質問をすることによって申請者Aが原告本人でないことが判明した可能性が高いといえる。
以上のとおり、Y市の担当職員は、印鑑登録の申請者Aが原告本人であるかどうかを確認する職務上の義務を負っていたところ、申請書記載の住所が本件免許証および照合した情報の住所と異なり、運転免許証の偽造の有無を判定する本件識別装置でも不可と表示され、申請者Aが原告本人ではないと疑うに足りる状況にありながら、運転免許証に加工していないかと質問したほかに本人であるかどうかの審査をせず、本人であれば容易に回答することができる質問によっても申請者Aが原告本人でないことが判明した可能性が高いといえるのであるから、Y市の担当職員は職務上の注意義務を尽くしたものとはいえず、本人と判断して所定の印鑑登録をした手続は違法なものと解することが相当である。」
この判例の結果は、公務員Yさんにおいては、「私は騙された被害者なのに、なぜ法的責任を負わされるのか?」という思いになるでしょう。
そこで、被害者の立場になる者同士の損害賠償の問題のときには、最終的な被害者である市民Xさんにも何らかの過失があったのではないかという「過失相殺」(民法第722条第2項)の処理がなされて損害賠償額が減額される場合が多々あります。相談事例では市民Xさんに、免許証を悪人Aに改ざんされるような免許証の保管が不十分であったとか、その他Xさんにおいて悪人Aの行為を予見できた事情等がある場合には、被害者Xさんの過失責任も当然に考慮されることになりますので、被害者相互間においても公平的な解決が図られる制度にはなっています。
以 上
住民基本台帳事務処理とDV被害者の支援措置②~DV加害者の代理人弁護士からの戸籍附票写しの交付申請があった場合の対応~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(前号から続く)
1.具体的事案におけるY市長の処理
DV加害者(A男)の代理人弁護士Xが、和解離婚後のDV被害者(B女)の仏壇や衣類・タンス等の引渡し協議のために、B女の戸籍附票(住所が記載されている)の写しの交付申請をしたという前回の具体的事案において、申請を受けたY市長はどのように対応したでしょうか。
Y市長は、既にB女に対するDV被害者支援措置を開始していたこと、申請者弁護士Xからは申出書に記載された「離婚訴訟代理業務」「離婚裁判の後処理のためにB女と連絡を取る必要があるがB女が所在不明となった」という内容以外にはXからの詳細な説明はなく、またXに対して説明を求めることもなく、XがA男の離婚訴訟事件の代理人として本件交付申請を行っていることから、戸籍附票の写しを交付した場合、A男に対してB女の住所を伝えるおそれが大きい者による申請である(加害者からの申請があった場合と同様である)と判断して、住民基本台帳法第20条第4項で規定されている「当該申出を相当と認めるとき」に該当しないとして戸籍附票の写しを交付しないとする処分(交付拒否処分)をしました。
なお、この際、Y市長はXに対して、B女につきDV被害者支援措置が開始されているという事実は説明しないままでの交付拒否処分をしていました。
弁護士Xは、Y市を相手に、本件交付拒否処分は裁量権の逸脱・濫用であり違法であるとして、交付拒否処分の取り消しを求める行政訴訟を提起しました。
2.結論の分かれた判例
さて、Y市長がDV加害者(A男)の代理人弁護士Xの戸籍附票の写しの交付申請を、A男の交付申請と同じであるとして、住民基本台帳事務処理要領の定める取り扱いに基づき交付拒否したことは、違法なのでしょうか。自治体の現場としては、戸籍附票の写しについて権利行使や義務履行のために弁護士が職務上請求をしてきた場合の有用利用の趣旨とDV被害者の安全の保護の趣旨との対立している状況において、その交付の可否についての判断は難しいものがあると思います。
この事案では、裁判所の結論も分かれています。一審地裁判決は、「交付拒否処分は違法であり、交付すべきであった」としていますが、二審高裁判決は、「交付拒否処分は適法であり、交付しない取扱いでよい」としています。あなたは、どちらの見解を支持されますか?
(1) 和歌山地裁平成29年6月30日(判例時報2375・2376号189頁)
一審地裁判決の要旨は次のとおりです。
①(違法判断基準)市町村長は、DV加害者からDV被害者の戸籍附票写し交付申出がされた場合でも、戸籍附票の写しを交付する必要性が高く、かつ被害者の保護の見地を含む諸事情を総合考慮した上で交付することに相当性が認められる場合に、支援措置を講ずることとした者(被害者)に係る戸籍の附票の写しの交付申出に対し、利用目的を適切に審査することなく、加害者による申出(又は依頼者が加害者である申出)であることのみを理由に戸籍の附票の写しの交付を安易に拒絶することは、住民基本台帳法の解釈として許される裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用するものとして違法となる。
②(比較考量事情)A男は、離婚和解条項で定められた仏壇・タンス等の引取りが実現する前に、B女が代理人弁護士との委任関係を終了したことからB女への連絡手段を失っており、代理人弁護士Xが戸籍の附票の写しを取得することによりB女の住所を知る以外にB女と仏壇等の引渡しの協議をし又は提訴する方法はないことから、Xが戸籍の附票の写しを取得する必要性は高い。
他方、B女は、離婚和解において仏壇等の授受についてA男と協議する旨合意しているから、A男又はその代理人と協議できる状況を整える信義則上の義務があるのに、自分の代理人弁護士を解任して以降、A男側と連絡を絶って、協議することを拒絶している。(B女の保護性は弱いと判断している?)
従って、A男は住民基本台帳法第20条第3項第1号の「自己の義務を履行するために戸籍の附票の記載事項を確認する必要がある者」に該当し、その代理人であるXにおいて戸籍の附票の写しの交付を受ける必要性が高く、交付することに相当性が認められる。
③(行政裁量行為での調査不足)Xは弁護士であり、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする法律専門職であることからすれば、加害者の親族等などの弁護士以外の代理人からの場合と異なり、Y市長は、Xに対して、B女が支援措置の対象者であることを伝えた上で、B女の戸籍の附票の写しをA男に交付しないという方法やB女の住所をA男に伝えないように誓約してもらう等の方法により、被害者の保護に支障が生じないようにして戸籍の附票の写しの交付申出の目的を達することも可能であったにもかかわらず、Xに有用使用の目的等につき何ら質問や調査もせずに、本件処分(交付拒否)をしているのであるから、その裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用するものとして違法というほかない。
なお、本件では、申出書に「離婚訴訟代理業務」「離婚裁判の後処理のためにB女と連絡を取る必要があるがB女が所在不明となった」と記載されているのであるから、事務処理要領第6の10コ(イ)の「申出に特別の必要が認められる場合」にあたる事情が存する可能性について容易に予測できたのであるから事実確認をする必要性が高かったと言える。
(2) 大阪高裁平成30年1月26日(判例時報2375・2376号182頁)
一審地裁判決に対して、住民基本台帳事務処理要領による取扱いを重視し、DV加害者の代理人弁護士による戸籍附票の写しの交付申請もDV加害者本人による申請に準じて取り扱うという解釈をして、DV被害者としての支援対象者に支援措置の必要性があるので、交付拒否は適法であるとしています。二審高裁判決の要旨は次のとおりです。
①(事務取扱要領の法的拘束性)住民基本台帳法第3条では「市町村長は、常に、住民基本台帳を整備し、住民に関する正確な記録が行われるように努めるとともに、住民に関する記録の管理が適正に行われるように必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」と定められており、住民に関する記録の適正な管理を図り、住民のプライバシー保護に配慮することは、市町村長の基本的な責務であり、市町村長はその責務を果たすため必要な措置を講ずるように努めなければならないのであり、他方、同法第31条第1項で「国は都道府県及び市町村に対し、都道府県は市町村に対し、この法律の目的を達成するため、この法律の規定により都道府県又は市町村が処理する事務について、必要な指導を行うものとする。」と定められていることから、DV被害者等への支援措置の運用に関しては、国より事務処理要領が定められているのであるから、各市町村長は、その定めが明らかに法令の解釈を誤っているなどの特段の事情がない限り、これにより事務処理を行うことが法律上求められているといえる。
事務処理要領第6の10によれば、市町村長はDV被害者等の保護を目的として、住民基本台帳法第20条第4項等に基づき支援措置を講ずるものとされ、加害者とされている者からの戸籍附票の写しの交付申出については、原則として同条第3項各号に掲げる者に該当しないとして同法に基づきこれを拒むとするものであり(平成16年5月31日総行市第218号質疑応答)、これは、住民のプライバシー保護に配慮する住基法の目的に合致すると共に、DV被害者の適切な保護を図る責務を果たすという配偶者暴力防止法第2条、第9条の観点からも合理性を有するものであるから、事務処理要領第6の10は住基法の解釈を誤ったものということはできない。従って、市町村長はDV被害者等に係る戸籍の附票の写しの交付については、事務処理要領第6の10に従って運用し、裁量権を行使すべきこととなる。
②(裁量判断~比較考量~)加害者から依頼を受けたことが明らかな代理人弁護士からの戸籍の附票の写しの交付申出は、加害者本人からの申出がなされた場合に準じて扱われるべきであり、支援措置としての戸籍附票の写しの交付誓約は、支援対象者(被害者)について支援措置の必要性がある場合に、戸籍の附票の写しの記載が加害者に知られることにより、支援対象者の生命又は身体に危険が及ぶ可能性をできる限り排除しようとするためのものであり、目的達成の手段として不相応な制約ということはできない。
本件申出書に記載された利用目的は、訴訟事件の事後処理のためにB女と連絡を取る必要がある(仏壇等の引取りの協議をするための連絡)というにすぎず、本件申出以後の確認では、B女はA男の代理人弁護士Xから連絡を受けることすら拒否しており、その結果、代理人弁護士に対して戸籍の附票の写しを交付することは相当でないとして、交付拒否した本件処分は、Y市長の裁量権を逸脱し、濫用したものということはできない。
③(結論)原判決は相当でないから、本件控訴に基づき原判決を取消し、A男代理人弁護士Xの請求を棄却する。
3.地方自治体担当者の苦悩と基本的な対応について
地方自治体の業務には、市民の紛争当事者の一方と他方から挟み撃ちの状態になる業務が多くあります。本件のように、事後的に判断できる裁判においてさえ、考え方や結論が異なる事案を、地方自治体の担当者は的確に判断して戸籍付票の写しの交付をするか拒否をするかを決める立場に立ちます。判断に困る場合には、基本的には立ち止まる形での処理(本件では拒否しておく)でいいのではないかと思います。
そのことで、後に裁判で拒否したことが違法であると判断されたとしても、それは担当者個人の責任ではないと考えられます。その判断は法的にも難しい場合には、仮に拒否処分が違法だと判断されたとしても、判例上は、当該公務員には不法行為としての故意又は過失がないという認定がなされ、結局国家賠償法による賠償請求は認められないことが多くあるからです。
以 上
住民基本台帳事務処理とDV被害者の支援措置①~DV加害者の代理人弁護士からの戸籍附票写しの交付申請があった場合の対応~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.住民基本台帳法による戸籍附票交付請求制度
戸籍附票には、戸籍記載者の住所履歴や現在の住所が記載されていますが、誰でも自由に戸籍附票の写しの交付を受けられるわけではありません。住民基本台帳法第20条では、「戸籍の附票に記録されている者又はその配偶者、直系尊属若しくは直系卑属」(同条第1項)の他、「戸籍の附票の記載事項を利用する正当な理由がある者」(同条第3項第3号)、「特定事務受任者(弁護士・弁護士法人・司法書士等)から、受任している事件又は事務の依頼者が前項各号に掲げる者に該当することを理由として、戸籍の附票の写しが必要である旨の申出があり、かつ、当該申出を相当と認めるときは、当該特定事務受任者に当該戸籍の附票の写しを交付することができる。」(同条第4項、第12条の3第3項)とあり、弁護士も依頼者から具体的事件の受任している場合で必要性がある場合には、市町村長に対して、第三者の戸籍附票の写しの交付申請をして、第三者の居住先等を知ることができる仕組みになっています。
2.具体的事案
次のような場合には、市町村長は、代理人弁護士による戸籍附票写しの交付請求に応じることができるのでしょうか。それとも交付拒否をすべきでしょうか。
(1)A男とB女は夫婦であり、A男のB女に対する暴力による夫婦不和により、B女の避難別居(居所を明らかにしない)状態での離婚訴訟の末、離婚和解が成立した。
(2)和解条項で「A男は和解成立後、A男宅にあるB女先祖の仏壇や衣類・タンス等をB女が引き取ることを認め、引取り日時・場所等は別途協議して定める」とあったので、B女との協議を試みたが、和解離婚時のB女の代理人弁護士から「訴訟終了によりB女との委任関係はなくなるので、今後はB女と直接連絡して協議して欲しい」と言われていたことから、B女の弁護士を通じて協議ができなくなり、B女の住所を調査する必要があった。
(3)A男は、離婚訴訟の代理人であったX弁護士に、B女の住所調査を依頼し、X弁護士は、請求者をXとする交付請求書(「離婚訴訟代理業務)依頼者A男)によりB女にかかる戸籍附票の写しの交付請求をした。
(4)B女は、離婚訴訟前からY市に対しDV被害者としての支援措置の実施を求める申出をし、Y市長は警察署等の第三者機関から意見を聴取し、B女に対しDV被害者としての支援措置を開始していた。B女は訴訟後も支援措置ないしその延長を受けたい旨を申し出ると共に、A男の代理人弁護士からの連絡を受けることも拒否する旨の連絡をしている。また、B女は裁判所の離婚和解時において、仏壇等の引取り協議はしないままでよいとの意向を示している。
3.DV被害者に対する支援措置とは?
配偶者でなくなった者の戸籍附票の写し交付申請要件の「正当な理由」や職務上の請求要件の「相当と認めるとき」の解釈に影響を与えるものとして、平成16年5月31日「住民基本台帳事務処理要領の一部改正について(通知)」(法務省民一第1581号)による「ドメスティック・バイオレンス及びストーカー行為等の被害者を保護するための支援措置」制度があります(いわゆる「DV被害者等支援措置」)。
これは、配偶者等から暴力等を受けて、警察等の第三者機関により警告や保護命令等が実施されている被害者に支援措置申出があった場合に、市町村長が住民票や戸籍附票写し等の本人以外からの交付申請に対して、市町村長が、その使用目的等の厳格な審査を行って交付するか否かを検討し交付拒否する場合があるという制度です。その結果、DV等の被害防止のために、DV加害者等に対しては交付申請要件の「正当な理由」や職務上の請求要件の「相当と認めるとき」に該当しないとして、戸籍附票の写しの交付を拒否し、被害者の現在の住所・居所等を知らせないという運用がなされることになります。
4.問題点
このような「支援措置」を行っているB女に対して、DV加害者であるA男の代理人弁護士(Ⅹ)から、B女がどこに住んでいるかの判明する戸籍附票の写しの交付申請があった場合、市町村の担当者は、どう対応すべきなのでしょう。
住民基本台帳事務処理要領の第六の10にその支援措置に関する以下のような規定があります。
支援措置
(ア) 住民基本台帳の一部の写しの閲覧の申出に係る支援措置
A 市町村長は、支援対象者に係る住民基本台帳の一部の写しの閲覧について、以下のように取り扱う。
(A) 加害者が判明しており、加害者から申出がなされる場合(閲覧者、閲覧事項取扱者の中に、加害者が含まれている場合を含む。)
法第11条の2第1項各号に掲げる活動に該当しないとして申出を拒否する。
(B) 支援対象者本人から申出がなされた場合
支援対象者本人からの閲覧の申出については、対象となる住民が氏名等により特定されているものであるため、閲覧制度ではなく、住民票の写しの交付制度により対応することが適当である。
(C) その他の第三者から申出がなされた場合
加害者が第三者になりすまして行う申出に対し閲覧させることがないよう、十分留意して厳格に本人確認を行うことが適当である。
また、加害者の依頼を受けた第三者からの閲覧に対し閲覧させることがないよう、利用の目的等について十分留意して厳格な審査を行うことが適当である。
なお、加害者が国又は地方公共団体の機関の職員になりすまして閲覧を請求することも考えられるため、法第11条に基づく請求であっても、閲覧者については、十分留意して厳格に本人確認を行うことが適当である。
B 市町村長は、その判断により、閲覧申出において特別の申出がない場合には、支援対象者を除く申出であるとみなし、支援対象者に係る部分を除外又は抹消した住民基本台帳の一部の写しを閲覧に供することとして差し支えない。なお、この場合、市町村長は、閲覧申出用紙に明記する等により、あらかじめその旨を申出者に明らかにする。
ただし、このような取扱いをする場合にでも、国又は地方公共団体の機関による請求の場合及びその他の者による支援対象者に係る閲覧を求める特別の申出の場合には、Aの例により取り扱う。
(イ) 住民票の写し等及び戸籍の附票の写しの交付又は申出に係る支援措置
市町村長は、支援対象者に係る住民票(世帯を単位とする住民票を作成している場合にあっては、支援対象者に係る部分。また、消除された住民票及び改製前の住民票を含む)の写し等及び戸籍の附票(支援対象者に係る部分。また、消除された戸籍の附票及び改製前の戸籍の附票を含む )の写しの交付について、以下のように取り扱う。
(A) 加害者が判明しており、加害者から請求又は申出がなされた場合
不当な目的があるものとして請求を拒否し、又は法第12条の3第1項各号に掲げる者に該当しないとして申出を拒否する。
ただし、(ア)-A-(C)に準じて請求事由又は利用目的をより厳格に審査した結果、請求又は申出に特別の必要があると認められる場合には、交付する必要がある機関等から交付請求を受ける、加害者の了解を得て交付する必要がある機関等に市町村長が交付する、又は支援対象者から交付請求を受けるなどの方法により、加害者に交付せず目的を達成することが望ましい。
(B) 支援対象者本人から請求がなされた場合
加害者が支援対象者本人になりすまして行う請求に対する交付を防ぐため、代理人若しくは使者又は郵便等による請求を認めないこととする。ただし、特別の必要がある場合には、あらかじめ代理人又は使者を支援対象者と取り決める、支援対象者に確認をとるなどの措置を講じた上で、請求を認めることとする。
また、第2-4-(1)-①-ア-(イ)に準じて本人確認をより厳格に行う。
ただし、市町村長が当該措置を不要と認める者については、この限りでない。
(C) その他の第三者から申出がなされた場合
加害者が第三者になりすまして行う請求に対する交付を防ぐため、第2-4-(1)-①-ア-(イ)に準じて本人確認をより厳格に行う。また、加害者の依頼を受けた第三者からの請求に対する交付を防ぐため 、(ア)―A―(C)に準じて利用目的についてもより厳格な審査を行う。
ただし、市町村長がこれらの措置を不要と認める者については、この限りでない。
5.この事務処理要領によれば、本件具体的事案の場合には、A男や弁護士Xにおいては提出先のある事案ではないので、(イ)-(A)のただし書きの「請求事由をより厳格に審査した結果、請求に特別の必要があると認められる場合でも、加害者に交付せず目的を達成することが望ましい。」との原則からすれば、加害者代理人弁護士(X)にも交付しないか、または、代理人弁護士(X)のみの範囲で使用し、加害者A男には知らせないという制限付きで交付するということを検討することになるでしょう。
次回、実際の裁判ではどういう結論になったかを論じていきます(次号に続く)
以 上