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人を勝手に撮影すると処罰されるのですか?~無断撮影行為と刑事責任~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
これについての受け取り方は、写す側の人の意識と写される側の人の意識では大きく違うように思いますが、写される側の被害意識は尊重される時代になってきています。「公共の場や私的な場所で、他人の姿を無断で撮影する行為」について、法的にどのような責任を負わなければならないかという問題は、肖像権侵害やプライバシ―侵害という「損害賠償等の民事責任」を負う場合があることはよく問題になるところですが、撮影行為自体が「刑罰法令に触れた刑事罰の責任」を負うことになるかどうかが問題になることはあまりないのではないでしょうか。
刑事上の処罰を考えた場合、刑法上の重罰ではなくとも、軽犯罪法か何かの罪になって処罰されるのではないかと考えたりするのが一般的な考え方だと思いますが、刑罰法令の適用に関しては、実は、「罪刑法定主義の大原則」があり、法令に明確に「そのような行為は刑罰に処する」という定めがないと処罰できないことになっています。
そのことから、どのような刑罰法令があるかどうかという観点から、他人の姿を無断で撮影する行為を処罰する法令があるのかどうかを まずは調べることになります。
わいせつ目的の写真撮影には処罰する法律があるだろうと予測できますが、通常の町通りでの写真撮影には処罰する法律はないのではないかと想像している方が多いと思います。
まず、具体例をあげて、検討してみましょう。
<具体例(被告人甲の本件行為)>
(1)令和2年5月29日午後3時54分頃、被告人甲(男性、東京都町田市在住)は、アニメグッズや書籍等を販売している本件店舗(東京都町田市内)を訪れ、店内を歩き回った。その際、被告人甲は、動画を撮影する機能と撮影された動画がSDカードに記録される機能を有する小型カメラを持参していた。 その小型カメラは、手の平程度の大きさで、本体のボタンを押すと録画が開始され、もう一度そのボタンを押すと録画が停止されるというものであり、白色の本体の大部分が被告人の貼った黒色ビニールテープで覆われたものであった。
(2)午後3時57分頃、女性A(26歳)は本件店舗のグッズコーナーで陳列棚に向かって商品を見ていた。A女は、身長約164センチメートルの女性で、マスクを着け、首回りが鎖骨に沿う程度にやや横長に開いた透けていない素材の白色のブラウスと、膝頭が見える程度の膝上丈でフレア型のギンガムチェック柄のスカートを着用し、靴下と8センチヒールの靴を履いていた。
その頃、被告人甲は、本件店舗内でA女を見掛けると、A女の左後方から近付いて約1分間にわたってA女の左横付近に立ち、その間に、A女や周囲を見ながら、右手に握った小型カメラでA女の左横から動画を撮影した。それにより、①画面の大部分に被告人自身の身体が写り、画面の下端にA女の膝辺りから靴までが写っている約1秒間の動画(以下「動画①」という。)と、②A女のマスクを着けた顎付近から靴までの範囲の左半身が写っている約5秒間の動画(以下「動画②」という。)が撮影された。動画②が撮影された際、A女は前かがみの姿勢をとっていたが、左脇に日傘を抱え、左肘を曲げて胸の位置まで上げた左手の平にスマートフォンを握っていたため、動画②の映像上は、ブラウスの胸部付近が日傘と左前腕で隠され、A女の胸部の体形はほとんど分からないものとなっていた。
(3)午後3時58分頃、被告人甲はA女の近くから離れ、本件店舗から退店した。
(4)午後4時4分頃、被告人甲は本件店舗に再度入店した。
同じく午後4時4分頃、A女は本件店舗のグッズコーナーを離れ、店内を歩き回り、その後書籍コーナーに移動した。
午後4時6分頃まで、被告人甲も本件店舗内を歩き回っていたが、その後書籍コーナーに移動した(なお、本件店舗の書籍コーナーを写す防犯カメラ映像は存在しない。)。
(5)午後4時7分頃、被告人甲は、書籍コーナーでA女の背後付近に立ち、左手に持った小型カメラで動画を撮影した。それにより、③約23秒間の動画が撮影され、そこには陳列棚に対面した状態で両足を地面に付けて立っているA女の後ろ姿が約5秒間にわたって写り、同様の姿勢で立っているA女の左横からの姿が約3秒間にわたって写っていた(以下「動画③」という。)。
(6)その後、A女は被告人甲に声を掛け、A女から逃れて本件店舗の入り口に向かって歩く被告人甲の服をつかむなどして、入り口前の路上で被告人甲を引き止めた。そこに本件店舗の従業員が駆け付け、被告人甲は確保された。
1.法令の検索 被告人甲の上記行為に関連する刑罰法令を検討しますと、女性に対する性的いやがらせや痴漢行為を対象とする刑罰法令を検索することになりますが、ほぼ次の刑罰法令を適示することになります。
(1)刑法第176条(強制わいせつ罪) 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(2)軽犯罪法第一条(拘留又は科料に処する)
五 公共の会堂、劇場、飲食店、ダンスホールその他公共の娯楽場において、入場者に対して、又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、飛行機その他公共の乗物の中で乗客に対して著しく粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
二十八 他人の進路に立ちふさがって、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとった者
(3)東京都迷惑防止条例(公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例)
五条 何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって、次に掲げるものをしてはならない。(八条:六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金)
一 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること。
二 次のいずれかに掲げる場所又は乗物における人の通常衣服で隠されている下着又は身体を、写真機その他の機器を用いて撮影し、又は撮影する目的で写真機その他の機器を差し向け、若しくは設置すること。
イ 住居、便所、浴場、更衣室その他人が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいるような場所
ロ 公共の場所、公共の乗物、学校、事務所、タクシーその他不特定又は多数の者が利用し、又は出入りする場所又は乗物(イに該当するものを除く。)
三 前二号に掲げるもののほか、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、卑わいな言動をすること。
2.「被告人甲の本件行為」の分析
被告人甲の本件行為は、13歳以上の被害者に対する場合の「暴行又は脅迫を用いて」という点がありませんので、刑法第176条強制わいせつ罪に問われることもありませんし、軽犯罪法の五号「著しく粗野又は乱暴な言動」もないし、第二十三号「人が通常衣服をつけないでいるような場所」でもない、また、第二十八号「他人の進路に立ちふさがって」という面も窺えないので、軽犯罪に問われることもないことになりますが、国の定める法律ではなく、地方自治体が定める迷惑防止条例では、他人の写真撮影行為を前提とした刑罰を定めている条例がありますので、裁判上では、地方自治体が定める迷惑防止条例の適用がなされており、その適用及び刑罰規定への該当性が問題とされています。
東京都迷惑防止条例の適用としては、判例上は、第5条の「何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であって」、第3号の「公共の場所において、卑わいな言動をすること」への該当性が問題とされています。
本件では、被告人甲が撮影した写真画像には、いわゆる猥褻画像・卑猥画像と評価される「通常衣服で隠されている下着又は身体」は写っていなかったことから、被告人甲の撮影行為が、「卑わいな言動」に該当するかという点が問題となっています。
3.裁判所の判断は分かれた!
具体例(被告人甲の本件行為)への東京都迷惑防止条例での刑罰適用については、裁判所の判断は、無罪の判断と有罪の判断と判断が分かれた結果になっています。
(1) 東京地裁立川支部令和3年1月15日判決-判例時報2537号65頁
○ 「被告人が至近距離からAを被写体として動画撮影したことは、社会通念上、相当な行為とはいえない。」
○ 「被告人が撮影した動画①については、Aの足元が約1秒間写っているにすぎず、性的な意味合いのある部位を狙ったものとはいえない。動画②については、Aのマスクを着けた顎付近から靴までの左半身が写っており、胸元や胸部のみが強調されている映像とはいえず、Aが前かがみの姿勢をとっていたことを考慮しても、客観的にみて胸元や胸部という特定部位を狙って撮影された動画とまでは認められないし、ブラウスの形状や素材に加えてブラウスの胸部付近が日傘と左前腕で隠されていることによって、動画からはAの胸部の形状はほとんど分からないものといえる。そして、動画③については、Aの後ろ姿と左横からの姿が写っているものであるが、Aのスカートの形は臀部の体形が分かるものではない上、スカート丈は特に短いものではなく、Aは陳列棚に対面した状態で両足を地面に付けて立っていて、後ろ側のスカート丈が上がってしまっている様子も認められないから、客観的にみて臀部や太もも等の特定部位を狙って、それらの部位を強調して撮影された動画とは認められない。
さらに、被告人がAの動画を撮影したのは、動画①ないし③の3回で、Aが写っているのはそれぞれ数秒以内にとどまり、動画①・②と③との間には8分間程度の時間が空いており、その間に被告人は一旦本件店舗から退店していて、Aの後も付けていないのであって、被告人は動画撮影のためにAを付け狙うなどの執ような行為はしていないものといえる。
以上によれば、前記認定の被告人の一連の行為は、前記(1)の相当ではない点をも併せて総合的に検討しても、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな「卑わいな言動」で「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為」に当たるということはできない。」として、無罪判決を出しています。
(2) 東京高裁令和4年1月12日判決-判例時報2537号60頁
○「本件禁止行為に当たるか否かの判断に当たっては、対象となる行為そのものが、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな言動であって、被害者を著しく羞恥させ、又は不安を覚えさせるものといえるか否かの観点からの評価が重要である。原判決が認定する被告人の行為が本件禁止行為に当たるか否かの判断に当たっても、この観点からの評価が重要であることには変わりがない。原判決は、結果として性的意味合いのある身体の部位が撮影されたか否かなど動画の内容を重視しているが、撮影された動画について、人の通常衣服で隠されている下着又は身体が実際に写っていたり、強調されていたりした際に、そのことが卑わいな言動の認定根拠になり得ることは当然としても、逆に、実際にそのような部位が写っていなかったからといって、そのことだけで、本件禁止行為に当たらないということはできない。このことは、上記のとおり、本件条例5条1項2号ロが、実際に人の通常衣服で隠されている下着又は身体の撮影に至らなくても、そのような下着又は身体を撮影する目的で写真機等を差し向け、又は設置する行為を禁止していることに照らしても、明らかというべきである。
そして、上記の趣旨に照らすと、衣服を着用した身体を撮影し、又は衣服を着用した身体に対して写真機等を構える行為であっても、その意図、態様、被害者の服装、姿勢、行動の状況や、写真機等と被害者との位置関係等を考慮し、被害者や周囲の人から見て、衣服で隠されている下着又は身体を撮影しようとしているのではないかと判断されるものについては、本件条例5条1項3号が規定する「人を著しく羞恥させ、又は不安を覚えさせるような行為であって、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、卑わいな言動をする」行為(本件禁止行為)に当たると解するのが相当である。」として、有罪判決を出しています。
(3) 最高裁判所第1小法廷令和4年12月5日決定
○「原判決の認定によれば、被告人は、東京都内の開店中の店舗において、小型カメラを手に持ち、膝上丈のスカートを着用した女性客(以下「A」という。)の左後方の至近距離に近づき、前かがみになったAのスカートの裾と同程度の高さで、その下半身に向けて同カメラを構えるなどしたというのである。このような被告人の行為は、Aの立場にある人を著しく羞恥させ、かつ、その人に不安を覚えさせるような行為であって、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな動作といえるから、公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(昭和37年東京都条例第103号)5条1項3号にいう「人を著しく羞恥させ、人に不安を覚えさせるような卑わいな言動」に当たるというべきである。したがって、同条例8条1項2号、5条1項3号違反の罪の成立を認めた原判断は是認できる。」として有罪判決を維持しています。
4.各裁判例の位置づけの検討
(1) 本件の法律的な論点としては、軽犯罪法の適用の無い「衣服で隠されていない(見えている)身体的部位を撮影し、又はそれに向けてカメラを構える行為(カメラの差向け行為又は盗撮未遂行為)であっても、迷惑防止条例で定める「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑猥ない言動」に該当するかという問題になります。
(2) そもそも、本条例の保護法益(処罰することで守ろうとしている利益のこと)が何かということについては、個人の意思や行動の自由などの個人的権利を保護法益とする考え方と住民の生活の平穏、迷惑行為を防止する社会的利益を保護法益とする考え方があります。また、双方の保護法益のために条例刑罰規定を定めているという考え方もあります。
その観点から、判例を検討しますと、第1審の東京地裁(立川支部)判決は、実際に動画で何が撮影されたかを重視して、性的意味合いのある動画をされないという個人的利益の侵害を基本にして、実際に撮影された動画の内容を検討し、当該動画が撮影されなかった以上は「卑猥性は認められない」としていますので、個人の意思や行動の自由などの個人的権利を保護法益とする考え方をしているものと解されます。
他方、第2審の東京高裁判決は、撮影された動画の内容を過大に評価しすぎてはいけないと戒めた上で、衣服で隠されていない(見えている)身体的部位を撮影しようとしていることは、住民の生活の平穏の社会的利益の観点から、その外形的な意味合いがどうみられるかという観点、すなわち、被害者や周囲の人から見て卑わいと判断できる場合(「らしさ論」と言われています。)には、卑わい性は認められるとしています。これは、住民の生活の平穏、迷惑行為を防止する社会的利益を保護法益とする考え方を採用しているものと思われます。
最後の第3審である最高裁判決では、「被告人の行為は、Aの立場にある人を著しく羞恥させ、かつ、その人に不安を覚えさせるような行為であって、社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな動作といえる」と述べていることから、高裁判例と同様に社会的保護法益説の考え方をしていると思われますが、「Aの立場にある人を」と言及した点を捉えると、被害者個人の保護法益を加味しているようにも解釈できます。この点は、最高裁判例としては不明瞭ですが、被害者や周囲の人から見て卑わいと判断できる場合(「らしさ論」。)には、卑わい性は認められるとしている点は最高裁判例として確定されたものとなります。
このような判例の結論を見ると、公衆の中で、他人にカメラを向ける行為は、撮影の仕方やその目的を明確にするなどの特段の配慮をしないと「らしさ論」によってわいせつ目的として疑われ刑罰問題になる危険性がありますので、気をつける必要があります。
5. 法律の制定(令和5年7月13日~) 公衆の中で特定の他人を無断で撮影する行為については、各都道府県の迷惑防止条例での「人を著しく羞恥させ、人に不安を覚えさせるような卑わいな言動」として、「6月以下の懲役又は50万円以下の罰金」の処罰ができるかどうかというレベルでの対処しかできませんでしたが、法律の大原則である罪刑法定主義の観点から、令和5年に刑法等刑罰法令の改正があり、新たに「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律(略称:性的姿態撮影等処罰法)」が制定・施行されました。
6. 新しい法律の内容(刑法改正)
(1) 2023(令和5年)年6月23日、性犯罪に関する規定全般を見直す刑法等の改正案が成立し、同年7月13日より施行されました。今回の改正では、盗撮行為に対する新たな法令である撮影罪を含む性的姿態撮影等処罰法が新設されたことが注目されています。「性的姿態等撮影罪」は、刑法から独立した「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律」(略称:性的姿態撮影等処罰法)で規定されています。
以下のいずれかの行為をした場合、性的姿態等撮影罪(法第2条)が成立します。
① | 正当な理由がないのに、ひそかに、性的姿態等を撮影すること |
② | 不同意性交罪等に規定する行為又は事由により、同意しない意思を形成、表明又は全うすることが困難な状態にさせ、又は相手がそのような状態にあることに乗じて、性的姿態等を撮影すること |
③ | 性的な行為ではないと誤信させたり、特定の者以外はその画像を見ないと誤信させて、又は相手がそのような誤信をしていることに乗じて、性的姿態等を撮影すること |
④ | 正当な理由がないのに、16歳未満の子ども(※)の性的姿態等を撮影すること(相手が13歳以上16歳未満の子どもである時は、行為者が5歳以上年長である場合。) |
× 電車内やエスカレーター等で女性のスカートの中などを盗撮する行為
× 女子トイレに侵入し個室内にいる女性を盗撮する行為
× 更衣室や公衆浴場の脱衣場に小型カメラを設置し着替え中の人物を盗撮する行為
× 泥酔した人物の下着姿を盗撮する行為
× 性行為中に相手に無断で録画する行為
× 16歳未満の男子の合意を得て性的な部位を撮影する行為
(3) 本設例の東京高裁判例のように、「衣服を着用した身体を撮影し、又は衣服を着用した身体に対して写真機等を構える行為であっても、その意図、態様、被害者の服装、姿勢、行動の状況や、写真機等と被害者との位置関係等を考慮し、被害者や周囲の人から見て、衣服で隠されている下着又は身体を撮影しようとしているのではないかと判断されるもの」については、この「性的姿態等撮影罪」の未遂罪となる可能性が出てきますので、公衆の中で、特定の他人にカメラを向ける行為は、事前に許可を得て行なうほうが無難であるということになります。
(4) 最後に
この新しい性的姿態撮影等処罰法は、撮影行為だけでなく、ア 「性的影像記録)を第三者に提供した場合(提供罪)、イ 第三者への提供や公然陳列を目的として、性的映像記録を保管すること(保管罪)、ウ 不特定・多数の者に、撮影罪に該当する行為と同じ方法で性的姿態等の影像を送信すること(送信罪)、エ 送信罪に該当する行為により影像送信された性的姿態等を、その事情を知りながら記録すること(記録罪)も処罰する規定が定められていますので、そもそも、性的姿態等の写真には関与しない意識が必要になります。
以 上
多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(後編)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(犯罪事例)
解離性同一性障害(多重人格障害)という精神疾患をもっていた被告人Aは、自宅において、実妹Bに対し、殺意をもってその首にタオル様のものを巻いて締め付け、さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場において、同人を窒息により死亡させて殺害した上で、更に、死体を損壊したというものである。
検察側は、殺人罪及び死体損壊罪で起訴した。
弁護人は、被告人Aは、犯行時、解離性同一性障害により心神喪失状態にあったのであるから、無罪である旨主張した。
被告人Aを有罪にすることはできるでしょうか?
1.刑事犯罪を有罪にするための要件について(前編)
2.精神疾患と刑事責任能力について(前編)
3.多重人格者による犯罪と責任能力に関する判例の検討(医学鑑定)
前回の説明に引き続き、今回は、東京地裁平成20年5月27日判決―判例時報2023号158頁での刑事裁判事案(以下「犯罪事例」又は「本件事案」と表示します。)を検討していきたいと思います。
まず、刑事裁判において、被告人Aの精神疾患による責任能力の有無が問題となった場合には、精神疾患に関する専門的知識は裁判官にはありませんので、刑事訴訟法第165条「裁判所は学識経験のある者に鑑定を命ずることができる。」及び同法第167条「被告人の心神又は身体に関する鑑定をさせるについて必要があるときは、裁判所は期間を定め病院その他の相当な場所に被告人を留置することができる。」との定めに基づいて、精神科医に鑑定をさせた上で医学的知見を得て法的判断を行います。
本件の犯罪事例においての裁判所は、弁護人からの鑑定請求を採用し、公判廷において、「犯行時及び現在の被告人の精神状態、犯行時及び犯行前後における被告人の心理態」を鑑定事項として鑑定を実施しています。鑑定医は、本件各犯行時の被告人の精神疾患とその病態について、
(1)被告人は、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害にり患し、本件各犯行に至った。
(注:解離性同一症又は解離性同一性障害とは、かつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、子ども時代に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験(児童虐待の場合が多い)による心的外傷(トラウマ)などによって、一人の人間の中に全く別の人格(自我同一性)が複数存在するようになることをさします。解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態で、この解離は、非常に大きな苦痛に見舞われたときに起ることがあり、苦痛によって精神が壊れてしまわないように防御するために、痛みの知覚や記憶を自我から切り離すことを無意識に行っていると考えられており、解離性同一性症は、この解離が継続して起こることによると考えられています。)
(2)被告人は、アスペルガー障害を基盤にして、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有の人格構造(怒りを認識しない人格と怒りの人格の二重性)を形成しており、怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとする人格傾向が強く、激しい怒りが突出して行動しても、それを感じたと認識する過程を持っていない。
(3)被告人は、アスペルガー障害によって、このような攻撃性等の衝動を抑制する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた。
とする鑑定結果(以下「U鑑定」とする)を報告しています。
4.第1審の判断(東京地裁平成20年5月27日判決,判例時報2023号158頁)
(1)1審の東京地裁は、U鑑定の信用性を肯定した上で、各関係証拠により、被告人が犯罪事実記載のとおり被害者を殺害した上で、更に、死体を損壊したとの事実(以下「本件各犯行」という)につき、殺害時には被告人には完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できないとして、死体損壊罪は刑事無能力状態として無罪とし、殺人罪のみを有罪として懲役7年(求刑は懲役17年)を言い渡しています。
(2)死体損壊罪の無罪の理由としては、死体損壊時の責任能力に関して「本件死体損壊時において、被告人は解離性同一性障害により本来の人格(自己認識できる人格)とは別の人格状態(怒りの人格で自己認識できない人格)にあった可能性があるところ、被告人の公判供述によれば、被告人には、死体損壊時の記憶がほとんどなく、本来の人格とは別の人格状態(怒りの人格)の存在について認識していないことが認められる。そうすると、本来の人格はこの別の人格状態とかかわりを持っていなかったと認められ、このことからしても、鑑定において指摘されているように、被告人は,その人格状態に支配されて自己の行為を制御する能力を欠き、心神喪失の状態にあった」と認定して被告人の責任能力を否定したものです。
(3)この判決の殺人罪については責任能力有り、死体損壊罪には責任能力無しという分断的な判断に対しては、検察官からも控訴があり、弁護人からも控訴がなされています。特に、弁護人からは、弁護人も被告人については、別の人格状態の出現時期を特定することができず、殺人の行為時に既に別の人格状態が出現していた可能性を否定することができないから、殺人の行為時においても心神喪失の状態であったとするべきであり、仮に殺人の行為時に別の人格状態が出現していなくとも、生来的にアスペルガー障害にり患することによりバランスの悪い二重構造を持った人格であった上、本件各犯行時には、意識の変容を来たし、抑圧力、抑制力を失い、あるいは、弱体化した状態にあったため、限定責任能力しかなかったのに、原判示の事実について完全責任能力を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があると主張して控訴されています。
5.東京高裁平成21年4月28日判決(公刊集未登載―明治学院大学法学研究・緒方あゆみ論文から判例引用)
2審の東京高裁は、U鑑定の信用性について、「被告人が生来的にアスペルガー障害にり患し、中学生のころから強迫性障害が加わっているという点については合理的であるといえるが、犯行時に解離性障害ないし解離性同一性障害にあったとする点については、その前提を誤っており、首肯し得ないと言わざるを得ない」とU鑑定の信用性を否定し、更に、「アスペルガー障害の程度は、犯行当時においても、軽かったと認められる。また、犯行当時の記憶はかなり具体的に保たれている上、被害者の殺害に至った行動及びその動機は、被害者が身勝手な行動を続けて家庭をかき乱していたという状況の下で、被害者からされた発言やその態度等に照らすと、犯行動機及び犯行は了解可能なものである。」として、被告人Aの犯行当時の多重人格障害の疾病そのものを否定し、被告人は、殺人の行為時のみならず、死体損壊の行為時においても、完全責任能力を有していたと認められるとして、懲役12年の実刑判決を言い渡しました。
6.学説と問題点の分析
多重人格障害と刑事責任能力との関係について、学説は、主に、(1)多重人格障害であれば、常に責任無能力であるとする見解、(2)主人格が別人格の行為を感知・統制できない場合には責任無能力であるとする見解、(3)犯行時に行為を支配していた人格が弁識能力および制御能力を有していない場合のみ、責任無能力であるとする見解の3説が主張されているようです。
(1)の常時無能力説の立場によると、多重人格障害と診断されれば常に責任無能力となるので、主人格・別人格のどちらが行為をしたかを問うことなく被告人は無罪となるという結論になるのですが、しかし、責任能力判断にあたっては、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を踏まえ、生物学的要素を確定した上で、精神の障害が行為の弁識能力・制御能力にいかに影響を及ぼしたかという心理学的要素を判断すべきであるとされていますので、この見解はあまりにも形式的すぎます。
(2)の主人格基準説では、ヒトは全体として一人(=一個体)であるから、行為時の責任能力を判断する際の基準となる人格は主人格であるとして、主人格が行為時に当該行為についての認識があり、当該行為をした人格を制御する能力を有していたといえる場合にのみ責任能力を肯定する。言い換えれば、別人格が出現したことにより、通常行為を支配し、裁判主体及び受刑主体となるところの主人格の支配が当該行為に及んでいない状態だった場合には、責任能力を否定するという結論(無罪になるという結論)になり、(3)の別人格基準説では、犯行時の人格が主人格であれば主人格の責任能力を判断し、犯行時の人格が別人格であれば別人格の責任能力を判断すればよいという考えなので、主人格・別人格がそれぞれ事実の認知能力・弁識能力及び制御能力を有していれば無罪にはならないという結論になります。
7.私的見解
本件事例では、東京高裁平成21年4月28日判決では、二重人格(解離性同一性障害)そのものを認めていないので、二重人格における刑事責任能力については判断しておらず、第1審の東京地裁平成20年5月27日判決において、死体損壊罪を無罪としている場合に二重人格における刑事責任能力については、刑事責任能力は無いと判断していることになります。その意味では、上記学説の(2)主人格基準説又は(3)別人格基準説が判例実務で検討されてきているという段階になっているようです。
私の個人的見解としては、そもそも、多重人格障害の人格交代の症状を法的責任主体の交代と捉えてよいのかという視点からすれば、法的責任主体の交代として捉えることは妥当ではないと考えます。
なぜなら、法的責任主体は、一人の自然人として存在する被告人Aであり、その責任主体において犯行時に「別人格B(副人格)」が現れるのは、解離性同一性障害の症状として、生物学的には同一の人間の人格状態(認識・記憶・判断の連続的統一状態)が破綻した結果であり、そのような結果が生じたのは、自己感覚や意思作用感の不連続によるものとみられるのであり、それは責任主体としての一人の自然人の一側面を表わしているにすぎないので、不連続部分の別人格が現れた点での同傷害の症状や程度によって、一人の自然人としての被告人Aの犯罪動機・判断及び行動にどのような影響を及ぼしたか(行為の制御不能となるのか。制御可能な状態であるのか等)を判断して責任を問えるかが検討されるべきだからです。
例えば、人格の交代があったとしても、被告人Aにおいて意識の混濁等もなく、別人格の状態になった時点においても、別人格状態そのままでも周囲を認識する能力や目的合理的な行動を取っており行動能力が阻害されていない場合には、完全責任能力を認め有罪として処罰できるとするのが妥当であると考えています。
その意味では、(3)の別人格基準説(但し、主人格と一体となった別人格に限定をする)の立場が妥当ではないかと考えています。
なお、このような見解に立つ判例として、大阪高裁令和元年12月12日判決―判例秘書【判例番号】L07420443があります。
この判例事案では、精神鑑定では「当時、被告人の主人格は別人格をコントロールすることができておらず、犯行に精神障害の影響はあったといえる。但し、犯行時に、主人格と別人格は完全に解離していなかったと考えられ、別人格が主として行動を支配している当時の精神状態において、被告人は、目的に従って合理的に行動しており、状況を正しく認識し、行動のコントロールができていたといえる」との意見であったものを、裁判所は、「責任能力は、犯行時の被告人の精神状態について、善悪の判断能力や行動制御能力を問題にするもので、その当時の精神状態に行動制御能力があると認められる以上、その状態を『主人格』というものがさらに制御できるかという点を問題にする必要はないというべきである。」などと説示し、「被告人には完全責任能力があった。」として被告人を無期懲役に処しています。
以 上
多重人格者による犯罪と刑事責任能力について(前編)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
刑法第39条は「1 心神喪失者の行為は罰しない。 2 心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」と定めています。この心神喪失者の不処罰及び心神耗弱者の減刑を規定した刑法第39条は、精神障害者を一般の者と同様には罰せず、精神障害者を保護しようとする条文として、明治時代以降令和時代の今日に至るまで、一世紀以上も日本の刑法の中で確固たる位置を占めてきており、法律家の大多数はこの規定を当然の規定として学んできています。しかし、近年の様々な凶悪犯罪、昨今のオウム麻原彰晃事件裁判や京都アニメ放火殺傷事件裁判等での犯罪者の刑事責任能力の争い等を目の当たりにすると、たとえ精神障害者であっても、法に触れる行為を行った場合には、一般の者と同様に処罰すべきであるという声が上がるようになり、また、犯罪被害者の悲惨な実情を題材とした小説の世界においても刑法第39条の存在意義に深い疑念が生じていることが語られるようになってきています。一方、精神障害者の主体性を尊重すべきとする立場の中にも、そもそも精神障害者の「責任能力」を一般の者と同等には扱わない刑法第39条そのものは、差別的な条文であるとして疑問視する見解もあるようです。
そのような法制度上の議論はあるとしても、実際に刑法第39条の適用が問題となる例として、解離性同一性障害(多重人格障害)という精神疾患をもっていた人物の犯罪について、その刑事責任能力が追及できるかという実務的な問題を検討してみたいと思います。
(犯罪事例)
解離性同一性障害という精神疾患をもっていた被告人Aは、自宅において、実妹Bに対し、殺意をもってその首にタオル様のものを巻いて締め付け、さらに浴槽内の水中にその顔を沈める状態にし、その時、その場において、同人を窒息により死亡させて殺害した上で、更に、死体を損壊したというものである。
検察側は、殺人罪及び死体損壊罪で起訴した。
弁護人は、被告人Aは、犯行時、解離性同一性障害により心神喪失状態にあったのであるから、無罪である旨主張した。
被告人Aを有罪にすることはできるでしょうか?
1.刑事犯罪を有罪にするための要件について
法律で人を犯罪者として有罪として処罰するには、次の要件の全てに該当することが必要です。
(1)構成要件該 当性―これは、刑法や特別刑法などの条文上の文言に書かれている犯罪を構成する要件に当てはめることができることを言います。例えば、殺人罪の場合には、刑法第199条の「人を殺した」という行為に当てはまる行為をした場合になります。ナイフで刺して殺した場合でも、階段から突き落として殺した場合でも「人を殺した」に該当します。
(2)違法性―その行為が法律で禁止されているものであることが必要です。構成要件該当性のある行為は、違法性が推定されますが、刑法第36条第1項で正当防衛の場合は「罰しない」と定めているように、法的に許される行為又は違法性を阻却するような事情がある行為については違法性がないとされ、犯罪とならないことになります。
(3)有責性(責任能力があること)―違法性のなる犯罪行為であったとしても、犯罪の何たるかを全く理解できない幼児や睡眠中の無意識の行為については、仮にその行為で人が亡くなったとしても犯罪にはなりません。犯罪成立要件(有罪要件)として、事理弁識能力(=責任能力)があることが要件とされています。例えば、刑法第41条には「14歳に満たない者の行為は罰しない」として13歳以下の者には刑事責任能力がないとの定めがありますし、刑法第39条には「心神喪失者の行為は罰しない」との定めがあり、精神疾患等で正常な事理弁識能力・判断能力がない場合にも犯罪が成立しないと解釈できる定めがあります。この刑法第39条や刑法第41条の考え方は、刑事処罰の基本は「悪いことを悪いと分かっている、善悪の判断がつく」という能力があって、そして自分の行動を病気でそれが行動をコントロールできないということではなくて、きちんとコントロールできるという能力があることが前提で、そういう能力のある人が犯罪を犯した場合に処罰が与えられるという近代法制度の「意思自治」「自己決定責任」の考え方に基づいています。
2.精神疾患と刑事責任能力について
(1)刑法第39条は「1 心神喪失者の行為は罰しない。 2 心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」と定めていますが、心神喪失とは、精神障害のせいで善悪を全く判断できないか、又は判断したとおりに行動することが全くできない状態をいい、心神耗弱とは、精神障害のせいで善悪の判断力又は判断どおりに行動する力が著しく低い状態をいいます。この場合の「精神障害」は、麻薬中毒や認知症、精神薄弱、精神疾患などによる精神障害も含みますが、アルコールによる酩酊や催眠状態にあったことなどの一時的なものが含まれます。しかし、精神疾患の病気であるからと言って、必ず「心神喪失」や「心神耗弱」になるというわけではありません。精神疾患を原因として「善悪を全く判断できない状態又は判断したとおりに行動することが全くできない状態になっている」ことが必要になります。
(2)多重人格障害とは
「解離性同一性障害」「解離性同一症」とも呼ばれる精神の障害の1つであり、複数のパーソナリティ(人格)状態を有し、これらのパーソナリティ状態は各々が個別の記憶等に代表される同一性感覚を有する。そして、これらのパーソナリティ状態間における記憶等の不連続によって特徴づけられることが多いとされています。日々の出来事や重要な個人情報、トラウマになった出来事(外傷的出来事)やストレスになる出来事など、通常なら容易に思い出せるはずの情報を思い出すことができないという特徴です。英国小説の「ジキルとハイド」のような状態と言います。
1人の自然人の中に、人格として「Aという人格」と「Bという人格」がいる場合に、どちらが主人格でどちらが副人格(交代人格)なのかの判断は困難なようですが、「憑依型」では、別の人格が患者を外部から支配する存在のように見え、こうした別の人格は、超自然的な存在や霊魂(しばしば悪魔や神であり、過去の行い対する罰を与えようとする場合もあります)と表現されることもあり、普段の患者とは大きく異なる話しぶりや振舞いが見られ、周りの人が別の人格に気づくようになった場合には、主人格、副人格の区別ができるようです。
※ 複数の異なる人格のうち、最も長い期間身体を支配している人格状態を主人格、それ以外の人格状態を副人格・交代人格と呼ぶようです。
そこで、今回の犯罪事例の被告人Aが、主人格「Aという人格」と副人格「Bという人格」を有している場合に、殺人罪の行為と死体損壊罪の行為をした際に、主人格Aは、全くその認識がなく、犯罪行為の時に現れていた人格は副人格Bであったとされた場合に、弁護人の主張するように、犯行時には、主人格Aは全く意識していない(眠っているのと同じ?)から被告人Aの刑事責任(責任能力)ないとして罰せられない(無罪)とされるのか?という問題が生じます。
人格が違えば刑事責任は問えない(無罪)とすべきなのでしょうか?それとも人格の違いは、被告人Aの意識や記憶の不連続・分断という側面にすぎないので、一人の人間としての刑事責任は変わらないので、刑事処罰(有罪)をすべきでしょうか?
この問題について、次回判例を検討することで日本の裁判所はどのような考え方をしているかについてお話したいと思います。(次回後編へ続く)
以 上
初詣と「お賽銭」
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
今年は元気旺盛な辰年です。皆さんは、今年の初詣はされましたか。
(1)初詣はいつまでにすればいいのか、初詣の時期については、諸説あるようですが、 時代とともに、
① 元旦(1/1)の参詣を初詣という
② 三が日(1/1〜1/3)の参詣を初詣という
③ 松の内(1/7まで)の参詣を初詣という
と考え方に変化してきたようです。
(2)初詣の意味
初詣の由来については、①「恵方参り説」と②「年籠り(としごもり)説」があるようです。
① 「恵方参り説」は、お正月は神道の儀式であって、各家庭では、その年の福をつかさどる歳神様に鏡もちをお供えし、門松をたててお迎えし、おせち料理を作ってその年の豊作や家内安全などを祈願し、家長とともに、歳神様からのお下がりであるおせち料理を頂いたあと、歳神様のいる方角にある神社、寺院にお参りするという「恵方参り」が初詣になっているというものです。(=恵方(えほう)とは縁起の良い方角のことです。)
② 「年籠り説」は、古くからある慣習で、氏子である家長たちが、その土地の氏神様を祀った神社に籠り大晦日から元旦にかけて豊作や家内安全を祈願する行事が「年籠り」と言われていて、大晦日から元旦にかけて神社に籠ることが、大晦日から元旦にかけてお参りする習慣へと変化したというものです。
(3)初詣して行なうこと
初詣では、次のようなことをしていますよね。
① 前の年に一年間お世話になった神様のお札やお守りは、初詣の際に神社に持参して奉納します(神社では、古いお札やお守りを浄め、焚き上げをしてくれます)。そして、新年になったのでその年の歳神様をお祀りする新しいお札を買い求めます。
② 「お賽銭を投げ入れて祈願する」という言い方がありますが、広辞苑に「祈願成就のお礼として神仏に奉る賽持の銭」と書いてあるとおり、お賽銭のお金は祈願のために入れるのではなく、祈願成就のお礼のために入れるものなのだそうです。つまり、順序としては、祈願する。→祈願したこと(又はその成就)に対してのお礼のお賽銭を入れる。→次の祈願をする。ということになります。お金を投げる行為は自分の穢れを払うといった意味合いになりますので、お賽銭の金額は自分の穢れをどれだけ払って欲しいかということを表すことになるので、諸説ありますが、金額が大きい貨幣ほど多くの穢れを移し捨てることができるのだそうです。
③ 絵馬を書いて奉納するのは、願いごとを書いて奉納すると願いがかなうと言われています。もともとは本物の馬を奉納したものが、絵に描いた馬(現代では各年の干支)となったとされています。
④ その年の吉凶を占うものとしておみくじがあります。 漢字で書くと「御神籤」「御御籤」いう字になりますが、「凶みくじのみ結んで帰り、吉みくじは持ち帰る」という人と、「願いがかなう=実を結ぶように、おみくじはすべて結んで帰る」という人もいます。人それぞれでいいようです。
⑤ 初詣をして福をもらったのだから、福をこぼさないように、まっすぐに帰宅しなさい(いただいた福はすべて持ち帰れ)という人もいます。お店などが開いていない時代はこれもうなずけるのですが、今の時代では途中寄り道して美味しい食事をしたりするのも「福」のうちでしょう。
このように、初詣と言えば、お賽銭を投げたり、おみくじを引いたり、お守りを買ったり、何かと「お金」をやりとりする機会が増えます。神社やお寺仏閣ではお正月は多くのお金が入ってくる大切な行事でもあります。
(4)お賽銭やお守りの収入と法律(課税)
ところで、こういったお賽銭やお守りの利益は課税対象となるのでしょうか? 神社などの宗教法人は宗教法人法(昭和26 年施行)によって税法上の取り扱いが通常の会社法人等とは異なります。例えば、法人税は、法人の所得=利益=もうけに対して課税される税金ですが、宗教活動は、一般の企業活動と違い、公共のために行われるものであり、営利を目的に行われるものではありません。そのため、所得税・法人税の対象にはならないのです。
例えば、お賽銭は信仰心に基づいた寄付の一種であるとされ、所得にはなりません。また、お守りの代金も、宗教上の御礼やお納め金(神道では対価性の「代金」ではなく「初穂料」と呼んでいます。)としての寄付とされていて所得にはなりません。
宗教法人がこのように公共のための事業と判断される理由は、古来からの伝統や慣習を継承していくという役割があるためです。また、多くの古い神社・仏閣には国宝や重要文化財などが保管されていたり、建造物そのものが文化財である場合もあり文化財を保護していくためには多額の費用が必要になるという判断がされているためです。
このように、宗教法人は、その公益性の高さから、税の軽減、減免あるいは非課税の扱いを受けていますが、非課税の扱いになるのは収益事業以外に限られているため、宗教法人であっても収益事業を行えば所得税・法人税の課税対象となります。
例えば、宗教法人が所有する土地を駐車場にして、料金を取った場合はどうでしょうか?こちらは宗教活動とは無関係の「駐車場業」「収益事業」とみなされ、しっかり所得税が課税されるわけです。
(5)こぼれたお賽銭を拾って帰ったら犯罪?
① 賽銭箱に入ったお賽銭を盗むことは、神社の占有及び所有する金銭を盗む行為になりますので、刑法第235条の窃盗罪(懲役10年以下)になります。
② 他人の投げた賽銭が賽銭箱に入らずにこぼれたままの金銭を拾って持ち帰った場合はどうでしょうか。
神社の境内内は神社が管理支配している領域であり、そこに誰かが忘れた財布が落ちていたとしても、それを拾って持ち帰った場合には、財物としての財布や金銭は神社の占有の下にあるので、誰の占有下でもない占有離脱物横領罪(刑法第254条―懲役1年以下)の対象ではなく、窃盗罪の対象になります。それと同様に、他人の投げた賽銭が賽銭箱に入らずにこぼれたままの金銭も神社の敷地内にある以上は「神社の占有の下にある金銭」になりますので、窃盗罪になります。
③ 次に、神社境内で落ちていた5円玉を拾ったが、境内のお金には神様の神力が宿っていてそれを神様が自分の目の前に提示していただいたという考えで、その5円はもらい受けて、代わりに、自分が持っていた5円玉を神社のお賽銭に入れて、拾った5円玉を持ち帰ったという場合はどうでしょうか?
金銭窃盗の場合に、盗まれる対象は「5円の金銭という物体」なのか、5円という「金銭的価値」なのかという議論があろうかと思います。後者であれ、自分の5円を神社の賽銭箱に入れる形で返していますので、価値の窃盗罪ということにはならないことになりますが、刑法第235条の窃盗罪の条文には「他人の財物を窃取した者は・・・」と定められていることから、「5円の金銭という物体」として拾った5円そのものが神社の占有下にある「財物」になります。そうすると、拾った5円そのものを神社に届けない限り、自分の5円を神社の賽銭箱に入れる形で返していても、窃盗罪が成立することになりそうです。
問題は、宗教的な考えで「神様が自分に提供してくださったので持ち帰ってよい」と思ったという点は、犯罪成立に何か影響があるでしょうか。この点は、犯罪成立要件の一つである違法性又は責任性に影響が生じる可能性があります。本来は違法な行為なのですが、犯行時に違法であることを知らなかったという特別な事情がある場合に、違法であることは誰でも分かる場合には責任を認め、それがほとんどの人には違法であると分からない場合には、過失責任の限度で処罰する(但し、窃盗罪には過失犯の処罰規定が無いので不処罰となる)という考え方もあろうかと思います。しかし、刑法第38条3項では「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」と定めてあり、いわゆる違法性の錯誤があったとしても犯罪は成立するとされていること及び「神様が自分に提供していただいたので持ち帰ってよい」という考え方は一般的ではないでしょうから、違法であることは誰でも分かる場合として責任性は認められますので、窃盗罪が成立することになります。
しかし、刑事捜査及び刑事裁判の実務上の取扱いとしては、軽微事案で可罰的違法性の無い事案ということで窃盗罪で処罰するまでには至らないでしょう。
法解釈上は犯罪の成立と見做されるとしても、その犯罪行為とされる行為の背景や悪質性、被害の程度等を総合的に判断して、社会的に許容できる程度の行為は許されるものとして対応してもらうことも必要です。これを「刑罰適用の謙抑性」(刑罰はなるべく必要最低限に規定・執行されるべきものであるという傾向)と言います。本件の場合に、窃盗罪として処罰すべきであるという人はほとんどいないだろうと思います。
皆様、良い新年を迎えましょう。
以 上
弁護士費用は相手方の負担にできないのか?(その2)
(日本の裁判費用と敗訴者負担の例外)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
〇(相談)
私(甲)は、知人から紹介を受けた乙から、土地上の建物を取り壊す約束で土地を登記と引き換えに7,000万円で購入した。登記手続きはしたものの、約束の期限までに、乙が建物を取り壊さないうえ、土地を引き渡してくれないため、何度も請求したが全く約束を守らないので、弁護士に依頼して建物収去土地明渡請求の民事裁判をして、裁判所の強制執行により建物を壊してもらい、更地として引き渡してもらいました。その際に、弁護士費用として着手金200万円、報酬金300万円の合計500万円を支払ったので、その費用を乙の債務不履行による損害賠償として請求したいのですが、できるでしょうか?
交通事故等の不法行為による損害賠償請求の際には、その損害の中に、弁護士費用も含まれると聞いたのですが、不法行為の損害賠償の場合と債務不履行の損害賠償の場合とで異なるのでしょうか。
〇(回答―その2)
前回に引き続いて、裁判実務上、弁護士費用については「訴訟費用」ではなく敗訴者に負担をさせられないとしても、損害賠償請求の損害の一部として、勝訴者が得られる損害賠償額の中に入れ込んで、実質的に敗訴者に負担させることはできないか?という視点で、判例の見解を説明していきます。
1.判例の立場
(1)まず、最高裁昭和48年10月11日判決・判時723号44頁(以下「昭和48年判決」という。)をご紹介します。
➡ 事案は、手形金回収のために弁護士に依頼して取立訴訟をした事案ですが、最高裁は「金銭債務の不履行による損害賠償と弁護士費用等の取立費用については、民法419条によれば、金銭を目的とする債務の履行遅滞による損害賠償の額は、法律に別段の定めがある場合を除き、約定または法定の利率により、債務者はその損害の証明をする必要がないとされているが、その反面として、たとえそれ以上の損害が生じたことを立証しても、その賠償を請求することはできないものというべく、したがって、債権者は、金銭債務の不履行による損害賠償として、債務者に対し弁護士費用その他の取立費用を請求することはできないと解するのが相当である。」と判断しており、金銭債務の債務不履行による損害賠償請求の損害には弁護士費用は含まれないとしています。
なお、この判例の前に、とても古い判例ですが、大審院大正4年5月19日判決民録21輯725頁(以下「大正4年判決」という。)において、「債務不履行に基づく損害賠償を請求する場合に弁護士費用は損害とならない」と、⼀般論として判断したと理解されている判例もあったようです。
(2)次に、不法行為の損害賠償請求訴訟である最高裁昭和44年2月27日判決民集23巻2号441頁(以下「昭和44年判決」という。)を説明します。
事案としては、「わが国の現行法は弁護士強制主義を採ることなく、訴訟追行を本人が行なうか、弁護士を選任して行うかの選択の余地が当事者に残されているのみならず、弁護士費用は訴訟費用に含まれていないのであるが、現在の訴訟はますます専門化され技術化された訴訟追行を当事者に対して要求する以上、⼀般人が単独にて十分な訴訟活動を展開することはほとんど不可能に近いのである。従って、相手方の故意又は過失によって自己の権利を侵害された者が損害賠償義務者たる相手方から容易にその履行を受け得ないため、自己の権利擁護上、訴を提起することを余儀なくされた場合においては、⼀般⼈は弁護士に委任するにあらざれば、十分な訴訟活動をなし得ないのである。そして現在においては、このようなことが通常と認められるからには、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、その弁護士費⽤は、事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、右不法⾏為と相当因果関係に⽴つ損害というべきである。」
➡ この最高裁判例により、不法行為に基づく損害賠償請求権のうち一定の場合(加害行為と弁護士費用との間に相当因果関係がある場合)には、敗訴した当事者に対し、相当範囲内の弁護士費用の負担が認められることとなり、請求認容額の1割程度の範囲の金額を弁護士費用の損害として認定する手法が現在の裁判実務となっています。
(3)次に、最高裁昭和63年1月26日判決・民集42巻1号1頁(以下「昭和63年判決」という。) 事案は、不当訴訟を提起されて弁護士を委任して勝訴した場合に、不当訴訟を提起してきた相手方に対してその弁護士費用を損害として賠償請求した事案です。最⾼裁判所は、事案としては不当訴訟とは認めないということで請求棄却しましたが、その判断の中で、不法⾏為類型のうち、訴えの提起自体が不法⾏為となる場合において、損害の1割限度ではなく、応訴に要する弁護士費用実額の賠償が認められる余地を認めました。
(4)更に、最高裁平成24年2月24日判決・判時2144号89頁(以下「平成24年判決」という。)
事案は、就労中に事故に遭って負傷した労働者が、使用者である会社の安全配慮義務違反によって事故が発生したと主張して、会社に対して債務不履行等に基づく損害賠償を求める事案で、労働者が、使用者の安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償を請求するため、訴えを提起することを余儀なくされ、訴訟追行を弁護士に委任した場合に、その弁護士費用が安全配慮義務違反と相当因果関係に立つ損害といえるか否かが争点となっていたものです。
判例では、「労働者が、就労中の事故等につき、使用者に対し、その安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償を請求する場合には、不法行為に基づく損害賠償を請求する場合と同様、その労働者において、具体的事案に応じ、損害の発生及びその額のみならず、使用者の安全配慮義務の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張立証する責任を負うのであって(最高裁昭和56年2月16日第二小法廷判決・民集35巻1号56頁参照)、労働者が主張立証すべき事実は、不法行為に基づく損害賠償を請求する場合とほとんど変わるところがない。そうすると、使用者の安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求権は、労働者がこれを訴訟上行使するためには弁護士に委任しなければ十分な訴訟活動をすることが困難な類型に属する請求権であるということができる。
したがって、労働者が、使用者の安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償を請求するため訴えを提起することを余儀なくされ、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、その弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、上記安全配慮義務違反と相当因果関係に立つ損害というべきである(最高裁昭和44年2月27日第一小法廷判決・民集23巻2号441頁参照)」として、不法行為による損害賠償事案であった「昭和44年判決」を引用しています。
➡ この判例の射程距離分析としては、①債務不履行一般の損害賠償においても弁護士費用を一部損害として認める判断がされたという見解と、②不法行為を背景として考えられる債務不履行事案のみに限定して、弁護士費用を一部損害として認める判断をしただけであって、債務不履行一般の損害賠償においても、弁護士費用を一部損害として認める趣旨ではないとする見解に分かれていました。
➡ その結果、①の見解からすれば、ご相談の事案の場合でも、乙の債務不履行による損害賠償として、弁護士費用分の損害も請求できるということになりますが、②の見解からすれば、ご相談の事案の場合には、不法行為を背景とする面は無く純粋な不動産取引契約の債務不履行の場合ですから、上記(1)の「大正4年判決」「昭和48年判決」のように、債務不履行一般の場合であるとして、損害賠償においても弁護士費用を一部損害として認めることはできないという結論になります。
(5)最後に、最高裁令和3年1月22日判決―判例時報2496号3頁(以下「令和3年判決」という。)を紹介します。この判例の見解が、ご相談事例の回答事例になろうかと思います。
事案は、土地の売買契約の買主が売買契約において、売主が負う土地の引渡しや所有権移転登記手続をすべき債務の履行を求めるための訴訟の提起・追行叉は、保全命令もしくは強制執行の申立てに関する事務を弁護士に委任した場合に、その弁護士費用を損害として損害賠償請求(相殺主張)をした事案です。 裁判所は、次のように判断して、債務不履行一般の場合であるとして、その損害賠償においては弁護士費用を損害賠償の損害として認めることはできないとしました。
ⅰ 「契約当事者の一方が他方に対して契約上の債務の履行を求めることは、不法行為に基づく損害賠償を請求するなどの場合とは異なり、侵害された権利利益の回復を求めるものではなく、契約の目的を実現して履行による利益を得ようとするものである。また、契約を締結しようとする者は、任意の履行がされない場合があることを考慮して、(契約する時点で)契約の内容を検討したり、契約を締結するかどうかを決定したりすることができる。加えて、土地の売買契約において売主が負う土地の引渡しや所有権移転登記手続をすべき債務は、同契約から一義的に確定するものであって、上記債務の履行を求める請求権は、上記契約の成立という客観的な事実によって基礎付けられるものである。」
ⅱ 「そうすると、土地の売買契約の買主は、上記債務の履行を求めるための訴訟の提起・追行又は保全命令若しくは強制執行の申立てに関する事務を弁護士に委任した場合であっても、売主に対し、これらの事務に係る弁護士報酬を債務不履行に基づく損害賠償として請求することはできないというべきである。」
ⅲ 「(買主が、弁護士委任して訴訟等に付随する事務等を行ったとしても)それは買主自ら本件土地を確保し、利用するためのものにすぎないので、その事務の弁護士報酬についても、債務不履行に基づく損害賠償債権を有するということはできない(=損害とはならない。)」
➡ 従って、ご相談の最終回答としては、債務不履行一般の場合であるとして損害賠償においても弁護士費用を一部損害として認めることはできないし、損害賠償請求はできないという結論になります。
(参照した文献)
※ 判例時報2496号
※ 「自由と正義」2021年12月号48頁「蓑田昌義弁護士:弁護士費用賠償の法理」
以 上
弁護士費用は相手方の負担にできないのか?(その1)
(日本の裁判費用と敗訴者負担の例外)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
〇(相談)
私(甲)は、知人から紹介を受けた乙から、土地上の建物を取り壊す約束で土地を登記と引き換えに7,000万円で購入した。登記手続きはしたものの、約束の期限までに、乙が建物を取り壊さないうえ、土地を引き渡してくれないため、何度も請求したが全く約束を守らないので、弁護士に依頼して建物収去土地明渡請求の民事裁判をして、裁判所の強制執行により建物を壊してもらい、更地として引き渡してもらいました。その際に、弁護士費用として着手金200万円、報酬金300万円の合計500万円を支払ったので、その費用を乙の債務不履行による損害賠償として請求したいのですが、できるでしょうか?
交通事故等の不法行為による損害賠償請求の際には、その損害の中に、弁護士費用も含まれると聞いたのですが、不法行為の損害賠償の場合と債務不履行の損害賠償の場合とで異なるのでしょうか。
〇(回答―その1)
弁護士である私が、依頼者から裁判受任の依頼を受けるときに、依頼者から「弁護士費用はこちらが勝てば、相手から取り戻せるのでしょうか?」と質問を受けることがあるのですが、地方自治体から裁判を受任する際にも、担当職員の方から同様の質問を受けることがよくありますので、今回は、その点を網羅的に説明しておきたいと思います。
1.債務不履行と不法行為
(1)民法第415条1項「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。」、同第416条「債務の不履行に対する損害賠償の請求は、これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。同条第2項 特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見すべきであったときは、債権者は、その賠償を請求することができる。」、同第417条「損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。」との債務不履行の場合の定めがあります。債務不履行とは、双方で契約をしながら、契約を守らずに契約内容を行ってくれない場合のことです。
(2)また、民法第709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」との不法行為の定めがあります。不法行為とは、契約関係等はない者の間で、犯罪などの不法な行為をして人に損害を与えた場合のことです。
(3)債務不履行の場合も不法行為の場合も、どちらも相当因果関係のある損害(通常損害及び予見可能な特別損害)について損害賠償義務を負う定めになりますが、この相当因果関係のある損害(通常損害及び予見可能な特別損害)に、責任追及のために裁判した際の「弁護士費用」が該当するかという問題があります。
2.裁判費用の敗訴者負担の原則と弁護士費用
(1)債務不履行による責任追及裁判や不法行為による責任追及裁判をした場合、裁判所に提出する申立費用や呼出費用、審理に必要な証人の旅費・日当費用などが発生する他に、自分の依頼した弁護士への着手金や報酬の支払いが発生します。
(2)民事訴訟法第61条「訴訟費用は、敗訴の当事者の負担とする。」、同第67条1項「裁判所は、事件を完結する裁判において、職権で、その審級における訴訟費用の全部について、その負担の裁判をしなければならない。」、同第71条「訴訟費用の負担の額は、その負担の裁判が執行力を生じた後に、申立てにより、第一審裁判所の裁判所書記官が定める。」との定めがあり、「訴訟費用」は裁判に負けたほうが全額負担しなければなりません。
(3)そうすると、ご相談の弁護士費用は、そもそも「訴訟費用」として、敗訴した相手方(乙)の負担になるのではないかという考え方になりますが、しかしながら、民事訴訟法第61条にいう「訴訟費用」には、弁護士費用は含まれないと扱われています(民事訴訟費用等に関する法律第2条)。これはなぜでしょうか?
① 実際の法制度としての取扱いから見ると、訴訟費用が敗訴者負担制度になっているからといって、弁護士報酬を訴訟費用として(もしくは訴訟費用と同様に)敗訴者に負担させるかどうかは政策の問題であるとされ、わが国では昭和46年に民事訴訟費用等に関する法律が制定され、訴訟費用について列挙主義がとられるようになり、弁護士報酬はそこから除外されています。これは、敗訴した場合に負担する金額があまりに過大になると訴訟に伴う費用負担のリスクが著しくなり、その結果、訴訟の利用を阻害することになることを懸念して除外されていると説明されています。
② 更に、わが国の民事訴訟の制度として、ドイツのような弁護士強制主義(民事訴訟を提起するときには、弁護士に必ず依頼しないといけないという制度)ではなく、本人訴訟主義(弁護士に依頼しなくても、本人だけで訴訟はできる)を採っている以上、弁護士への有償での依頼は、本人が自分の都合で依頼したものであり、民事訴訟に必ずしも必要な要請でもないので、弁護士費用は民事訴訟において必然的に生じる費用ではないと説明されています。 つまり、法により敗訴した当事者に弁護士費用を「訴訟費用」として、敗訴した相手方に負担させることができないのが原則です。
(4)それでも、実際には、民事裁判において、当事者本人訴訟が提起されるのは極わずかであり、大半の民事裁判は、弁護士に依頼(訴訟委任)して行われています。そこで、裁判実務上、弁護士費用については「訴訟費用」ではなく、実際に発生し、支払わざるを得なかった損害の一部として、勝訴者が得られる損害賠償額の中に入れ込んで、実質的に敗訴者が負担するほうが公平なのではないかという考え方が生まれてきました。 それについて、次回に裁判例で説明しましょう。
(次回へ続く)
以 上
証人尋問で弁護士が感情的になってはいけません!?(証人尋問の弁護士による質問が名誉棄損となる場合)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(事例)
1.太陽株式会社のA店舗に勤務する店長Bについて、太陽株式会社が、①店長Bが勤務時間中外出していたこと、②店長Bがまだ出社してなくても、自ら出社時にタイムカードを打刻せず、太陽株式会社の店舗の従業員に対し店長Bのタイムカードを打刻するよう指示していたこと、③店長Bは太陽株式会社の店舗での商品の代金を店長B名義の口座に振り込むよう指示していたこと等を理由に懲戒解雇したのに対し、店長Bは太陽株式会社を被告として解雇無効の裁判を提起した。
2.その裁判中に、被告太陽株式会社の証人申請で、店長BのA店舗従業員であったCが裁判の証人として尋問されることになった(尋問目的は①、②、③の事実があったかどうかの証言を求める趣旨で尋問となった)。その裁判上の証人尋問手続で、証人Cは、被告太陽株式会社の主張に沿った証言をした。
3.それに対して、店長Bの訴訟代理人であった甲弁護士は、証人Cの反対尋問の際に、証人Cは、太陽株式会社に就職する前に、鉄道会社駅長をしており、駅長時代に3,000万円の横領をしたために鉄道会社を辞め、3,000万円の返済をしなくてはならないために、太陽株式会社に就職させてもらった恩義があり、太陽株式会社のいうとおりの証言しかできない事情があるので、証人Cの太陽株式会社の主張に沿った証言は信用性がないので、証言として採用しないようにしたかった。
4.そこで、証人Cの証言を裁判所が採用しないようにするために、甲弁護士は、反対尋問の中で、勤務先である太陽株式会社に提出した証人Cの履歴書に、職歴として、鉄道会社の駅長をしていたことを記載していなかった理由について質問した上で、「あなたは、そこの△△駅の初代駅長をしてたときに、そこのお金を、3,000万円くらい横領したということで、辞めたということじゃないんですか。」という質問を始めた。太陽株式会社代理人弁護士乙の異議や裁判所からの制止があっても、「横領行為があって、首になって、そのことで仕事がなかった。それから、示談して、横領金額を払ってきているために、仕事がどうしても必要だったという事情があって、それで、太陽株式会社さんのほうに、就職させてくれるように頼んできたと、こういう経過があるんですね。ですから、このことは、非常に重要な事実だというふうに思ってます。」という尋問の必要性を強調するような同様の反対尋問を何度も続けた。
5.法廷での証人尋問が終わった後、証人Cは、「なぜ、法廷で過去のことを根掘り葉掘り聞かれて侮辱されなくてはならないのか!」と怒りが出て来て、後日、店長Bの訴訟代理人であった甲弁護士を相手にして、法廷での名誉棄損を理由に300万円の慰謝料請求の裁判を起こした。
甲弁護士は慰謝料を支払う責任があるでしょうか?
(解説)
1.民事裁判での審理は、事実を認識している証人の証言で勝負が決まる場合があり、肝心な証人が意識的に一方だけに有利になるように虚偽の証言をすることも想定され、そのような証人に対して虚偽の証言をする可能性がある背景や立場であることを尋問することを、裁判実務上で「弾劾尋問」又は「悪性立証尋問」と言っています。
※「弾劾(だんがい)」とは、罪状を調べる質問や調査によりあかるみに出すこと
本件での甲弁護士の証人Cに対する「過去の職場での3,000万円の横領の犯罪」の事実に関する尋問は、その「弾劾尋問又は悪性立証尋問」として、許されるものであるかどうか(訴訟行為の正当な職務行為として違法性を阻却するものか、民事上の不法行為となるものかどうか)を検討することになります。
一審の甲府地方裁判所平成30年5月15日判決(判例時報2424号78頁)は、証人Cが原告として訴えた慰謝料請求裁判は「不法行為としては認められない」として証人Cは敗訴していますが、二審の東京高等裁判所判決平成30年10月18日判決(判例時報2424号73頁)は、逆転判決となり、「甲弁護士の尋問は不法行為になる」として100万円の範囲での慰謝料を認めて、原告となって訴えた証人Cが勝訴しています。
このように、裁判所が異なれば、判決も結論が異なっているという微妙な問題であることは、ご理解いただけると思います。
2.まず、証人Cの立場からこの問題を眺めてみますと、自分の勤める会社にたまたま解雇になった人(店長B)がいてその人(店長B)と会社との裁判で、公平な立場で証人になったのに、一方の弁護士(甲弁護士)から過去の自分の会社での出来事、しかも自分の恥になることを裁判傍聴者のたくさんいる前で何で質問されなくちゃいけないんだあ?今の会社の前に他の会社を解雇されたという自分個人の過去のことは、今の会社のことと全く関係ないだろ?と言いたくなるはずです。
証人Cは、甲弁護士のそのような反対質問に対して、法廷の場で、「すみません、何が聞きたいんでしょうか。」「それを答えないといけないのですか。違います。」と反論しており、太陽株式会社の代理人弁護士乙からも、「裁判長、関連性がないと思いますが。証人の名誉を侵害するような甲弁護士の質問は、やめていただきたい、そんなことは、本件審理とは関係ない。」と異議が申し立てられています。
他方、反対尋問をしている甲弁護士の立場から眺めてみますと、相手方当事者やその立場に立つ証人の悪性(信用性が無いこと)を強調するなどの方法により相手方の主張、供述の信用性を弾劾したり、相手方に不名誉な事実関係をあえて間接事実や補助事実として主張したりする主張立証活動は、事実関係に争いのある全ての民事訴訟において、その必要性は認められるものであり、虚偽証言は、そういう方法でしか排除できないので、証人Cは法廷に立つ以上は、個人的な不利益は我慢すべきであると思っているわけです。
実際の法廷でも甲弁護士は「C証人は、太陽株式会社をここで首になったら困る、やはり、太陽株式会社のほうに対しては、自分の意思に反しても、太陽株式会社に有利な証言をしなきゃならない立場にある、そういう関連性ですよ。」と関連性について説明しています。
3.判決の分析
(1)一審の甲府地方裁判所は、訴訟代理人である弁護士の立場を重視し、「本件甲代理人弁護士の各発言について、甲弁護士には不当な目的は認められず、甲弁護士は、正当な訴訟活動であると認識・判断して本件各発言をしたものと認められるところ、関連性及び必要性についての甲弁護士の判断が明らかな誤りであるとはいえず、本件各発言が相当性を欠くとまではいえない。そうすると、本件各発言について、故意による不法行為の成立は認められず、過失による不法行為の成否についてみても、損害賠償責任を認めるほどの違法性があるとまではいえない。」として証人Cの敗訴としたわけです。
(2)二審の東京高等裁判所は、
① 「民事訴訟は、訴訟当事者間で争われている事実関係を明らかにし、明らかにされた事実を基礎として裁判所が法的判断を行う制度であるから、証人尋問では、争点に関する事実関係についての質問にとどまらず、事実関係を明らかにする目的で証言の信用性を弾劾するため、その信用性に関する事実を質問し、証人の信用性を争うために、証人の利害関係、偏見、予断のほか、性質・行状等に関する質問をする必要があり得る。そのような場面では、証人にとって不名誉な事実を質問する場合が存する。」としながらも、
② 「(証人Cの横領の事実の有無に関しては)甲弁護士が証人Cと対立関係にある店長Bから聴取した事実にすぎず、中立的な第三者から確認したり、客観的資料に当たったりした事実等は伺われず、横領行為を推認させる事実としては薄弱なものであるから、相応の根拠があったとはいえない。」とし、
③ さらに「甲弁護士の本件各発言は、太陽株式会社の訴訟代理人弁護士乙から質問の趣旨及び争点との関連性について複数回疑問を呈され、名誉毀損に該当するとの指摘を受けても質問を続け、裁判長から次の質問に行くよう言われても、さらに発言し続けたものであって、執拗なものであり、その態様は不適切であったといわざるを得ない。質問の態様も執拗不適切で、相当性を欠くものであり、これらを総合考慮すると、本件各発言について、正当な訴訟活動として違法性が阻却されると認めることはできないというべきである。」として、名誉棄損による不法行為を認め、証人Cの勝訴の逆転判決としたものです。
4.最後に
本件裁判では、証人Cの横領の有無に関する甲弁護士の質問は、証人Cからも反論され、相手方弁護士乙からも異議が出て、裁判所からも注意をされているにも関わらず、同じ質問を続け証人Cの3,000万円の横領があったという印象を与えようと、感情的になって質問を続けている面が伺えます。関係傍聴人が多く傍聴している場合には、傍聴席向けに過度なパフォーマンスをする弁護士がいるのですが、甲弁護士は、労働解雇事件の裁判で労働組合の支援組合員の多数が傍聴席を埋めている雰囲気の中で、傍聴席向けに「あの弁護士は頑張っている!」という印象を与えたかったのかも知れません。
弁護士は、「人権救済」の意識で熱いハートも必要でしょうが、「社会正義の実現」の観点からは、冷静な論理と合理的な頭脳的判断を失ってはならない、と私自身も肝に銘じなければならないと思う判例です。
※弁護士法第1条
1 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。
以 上
俳句と著作権
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(例題)
俳句が趣味であるA男は、NHK番組「NHK俳壇」に、冬井太郎氏(仮名)を選者に指定し作品Aを投稿したところ、俳句の学習雑誌である「NHK俳壇」(㈱日本放送出版協会)の入選欄に、選者の冬井太郎氏が作品Aを一部添削した作品A‘が入選作(A男作品)として登載され、㈱日本放送出版協会から雑誌「NHK俳壇」として出版及び販売された。
それに対し、A男は、選者の冬井太郎氏が勝手に俳句の改変行為をしたこと、㈱日本放送出版協会が改変後の俳句を掲載した雑誌を販売する行為は、A男の作品Aに関する著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものであるとして、選者の冬井太郎氏に対し600万円、㈱日本放送出版協会に対し200万円の慰謝料請求と、A男の入選作品が俳句作品Aであることを明示した上で謝罪広告することを要求し、裁判を訴えてきた。
さて、俳句にも著作権は認められ、選者が勝手に添削することは許されないのでしょうか?
(解説)
私の好きなテレビ番組にTBS系列MBS毎日放送「プレバト(芸能人才能査定ランキング)」という番組がありますが、その1コーナーとして、俳人夏井いつき先生が選者の「俳句才能査定ランキング」のコーナーもあります。8月の「炎帝戦」は、梅沢冨美男特別永世名人の1位で終わりましたが、その番組や他の俳句番組を観ていると、選者の俳句の先生は、人の投稿俳句を勝手に添削してもいいような、あるいは、投稿者は事前に投稿俳句が添削されたり勝手に点数を付けられることを了解して投稿していると思われたので、投稿俳句の添削は自由に行ってよいと思っておりました。 しかし、例題のような問題が裁判例になってみると、「俳句」と「著作権(著作者人格権)」とのいうものを、一度は考える必要があるように思います。
1.そもそも、著作権とか著作者人格権とは、どういう権利なのでしょうか?
(1)自分の考えや気持ちを作品として表現したものを「著作物」、著作物を創作した人を「著作者」、著作者に対して、法律によって与えられる権利のことを「著作権」と言います。著作権制度は、著作者の努力に報いることで文化が発展することを目的としています。
(2)著作権に関係するルールは、「著作権法」という法律で定められています。 まず、著作権法によると、著作物とは、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」であるとされています(著作権法第2条1項)。
また、著作権法は、著作権の内容を、大きく次の二つに分けて定めています。 その一つは、著作物を通して表現されている著作者の人格を守るための「著作者人格権」(著作権法第18条~20条)、そしてもう一つは、著作権者が著作物の利用を許可して、その使用料を受け取ることができる権利としての「著作権(財産権)」(著作権法第21条~28条)です。
特に、著作物は、その著作者の考えや気持ちを表現したものですから、著作物を通して表現された著作者の人格を守るため、「著作者人格権」が定められています。「著作者人格権」としては、①「公表権」(著作者が著作物を公表するかどうか、公表する場合どのような方法で公表するかをきめる権利―著作権法第18条)、②「氏名表示権」(著作者が自分の著作物にその氏名を表示するかどうか、表示する場合本名にするか、ペンネームにするかをきめる権利―著作権法第19条)、③「同一性保持権」(著作者が自分の著作物のタイトルや内容を、ほかの誰かに勝手に変えられない権利―著作権法第20条)が定められています。
2.俳句という短い文章作品に「著作権」が認められるのでしょうか?
ところで、俳句は「著作物」と言えるのでしょうか。
著作物とは、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」(著作権法第2条1項)に該当するでしょうか?
俳句は、5・7・5の17文字(17音)で構成される日本固有の定型詩で、季語を使って季節の情景や人情を表わす文学になります。作者として、江戸時代の松尾芭蕉、明治時代の正岡子規が有名です。俳句は、前回このコーナーでご説明している現代のキャッチフレーズと同様に、短い文章で作成されることから、通常の言葉や単語の組み合わせという側面があり、著作物として認められるか疑問はあります。しかし、俳句は、単に言葉の組み合わせではなく、季語に内蔵された季節の情景や人情を言葉で描き出す文学であり、「思想または感情を創作的に表現」する文芸であると言えます。
裁判例でも、本件事案を審理した、東京地裁平成9年8月29日(判例時報1616号148頁)、東京高裁平成10年8月4日(判例時報1667号131頁)では、俳句の添削による著作者人格権としての「同一性保持権」を審理している中で、いずれの判決においても、俳句の著作物性を否定するような判示は一切ありませんでしたし、むしろ、俳句に著作権が発生するということを前提として、裁判所は事件を判断していますので、俳句は、「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」に該当する著作物として、著作権が認められるものと判断されていることになります。
3.俳句の添削は、俳句作品の「同一性保持権」を侵害することになるのでしょうか?
俳句に、著作物性が認められる場合には、俳句には著作者人格権としての「著作者が自分の著作物のタイトルや内容を、ほかの誰かに勝手に変えられない権利―著作権法第20条」としての同一性保持権も認められることになります。それに対して、俳句の添削は、文字を削除して置き換えたり、別の文字や文章を加えたりすることなので、元の俳句の同一性を変える行為になりますが、俳句の歴史的な学び方や修練方法として、俳句雑誌等での添削指導や投稿句の添削入選掲載が行われている実情については、法的にどのように考えればいいのでしょうか?
著作権法第20条2項は、同一性保持権の例外として、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」等については、著作権法第1項の適用を受けない(同一性保持権の適用が無い。)としています。また、著作権法の権利は、権利者の権利ですから、権利者が承諾している範囲では不当な権利侵害にはならないということも権利の性質上(著作権法は強行規定ではなく、任意規定と解釈されている。)認められるところです。
(1)東京地裁平成9年8月29日(判例時報1616号148頁)
・ 「本件雑誌の入選句欄においては、たとえ応募要領中にその旨が明示されていなくとも、指導者たる選者の判断において、投句者の原句を添削したうえで入選句として掲載することがあり得ることを前提として、投稿句を募集していたものと推認され、また前記2(四)※認定の被告乙山(例題では「冬井太郎氏」)の選句態度によれば、被告乙山としては選句にあたり添削し得ることを前提としており、指導上の観点から添削を行っていたものと推認される。」
※ 被告乙山は、総合俳句詩「俳壇」の「選者にきく」の欄で、主宰誌の選句では、指導を主とするので、一字か二字を改めたり、語順を替えたりなどの添削を加え、作者の個性的な発想により近づけるための添削を心がけていること、マス・メディアの選句の場合は、作者の個性よりも作品本位で選句の幅を広くしていることを述べている。
・ 「右のような俳句界における添削指導の慣行、雑誌等の投句欄の入選句選定に際して添削が一般的である実情、本件雑誌及びその入選句欄の性格、本件各俳句の選者たる被告乙山の添削の目的などを総合すると、被告乙山による本件各俳句の改変は、俳句の学習用雑誌に投稿された俳句を、指定された選者において指導上の観点から俳句界の慣行に従って添削したものであって、そもそも実質的に違法性がないものと解される。また、本件雑誌の入選句欄は、選者の判断により、必要に応じて投稿句を添削したうえ入選句として掲載することがあり得ることを前提に投稿を募集していたものであり、俳句を学習する者として、前記のような俳句の添削指導の慣行や実情を容易に知りうる立場にあった原告としては、ことさら添削を拒絶する意思を明示することなく、被告乙山を選者と指定して、本件各俳句を投稿したことにより、原告は、被告乙山による本件各俳句の添削及び被告会社による添削後の俳句の本件雑誌への掲載について、少なくとも黙示的に承諾を与えていたものと推認するのが相当である。」
・ 「そうすると、被告乙山が本件各俳句を改変した行為は同一性保持権の侵害にあたらないし、被告会社が本件入選句を原告の俳句として本件雑誌に掲載し、本件雑誌を販売した行為も、原告の本件各俳句についての著作者人格権を侵害するものではなく、右侵害を理由とする損害賠償及び名誉回復措置の請求は、いずれも理由がない。」
として、「黙示の同意があった」と認定して、選者側の冬井太郎氏(判例上の「被告乙山」)には、著作権の侵害はないとしています。
(2)東京高裁平成10年8月4日(判例時報1667号131頁)
・ 「本件各俳句の投稿当時、新聞、雑誌の投句欄に投稿された俳句の選及びその掲載に当たり、選者が必要と判断したときは添削をした上掲載することができるとのいわゆる事実たる慣習があったものと認めることができる。」
・ 「添削及び掲載についての事実たる慣習が存在したか否かは、控訴人がそのような事実たる慣習を現実に知っていたか否かとはかかわりのない客観的事実の問題である。そして、事実たる慣習が認められる場合には、当事者間において特にこれを排斥しあるいはこれに従わない旨の意思が表明されていない限り、慣習によるとの意思があったものとして法的に取り扱われることがあり得るのである(民法第92条)。また、著作権の同一性保持権を規定する著作権法第20条は、民法第92条にいう「公ノ秩序ニ関セサル規定」、すなわち任意規定であると解される。さらに、本件において控訴人が本件各俳句を投稿するに当たり、添削をした上で採用されることを拒む旨の意思を表明したとの事情はうかがわれないから、民法第92条にいう「当事者力之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムヘキトキ」に当たると認められる。」
・ 「そうすると、本件各俳句を添削し改変した行為は、右のような俳句界における事実たる慣習に従ってたものであり、許容されるところであって、違法な無断改変と評価することはできないから、本訴請求のうち、本件各俳句の無断改変による著作者人格権侵害及び名誉毀損をいう損害賠償請求は、理由がない。」
として、「明示の承諾もない」「黙示の承諾もない」けれども、俳句の添削は、選者が必要とした範囲で投稿者の承諾なく行うことができるという「事実たる慣習」により許容されているので、著作者人格権としての同一性保持権の違法な侵害にはならないとして、選者側の冬井太郎氏には著作権の違法な侵害はないとしています。
4.最後(まとめ)
東京地裁判決と東京高裁判決は結論は同じですが、理由づけが「黙示の承諾があったので著作権侵害にはならない」という点と「黙示の承諾があったとは言えないが、事実たる慣習から著作権侵害にはならない。」という点で異なります。高裁判例の言う「事実たる慣習」とは、民法92条にも慣習の効力に関する定めがあり、任意法規(当事者が異なる特約を設定することが認められる規定をいう。)と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者が、この慣習による意思を有するものと認められる場合は、慣習による意思の方が優先して適用されるとする考え方です。
いずれにしてもA男は、自分の俳句作品Aの改変を嫌っていた場合には、俳句投稿の際に、作品の添削は拒否しますという申出を行っていない限りは、俳句界の歴史的社会的慣例としての選者による添削を著作権侵害ということができないということになろうかと思います。
テレビで観る俳句の添削や評価についても、楽しむだけでなく、法律上はこのような著作権上の問題もあるんだなあと思いながら楽しんでいただければよろしいかと思います。
以 上
キャッチコピーと著作権
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.キャッチコピーって何?
キャッチコピーとは、キャッチフレーズと同じで、「広告宣伝に用いられる謳い文句」を言います。
会社の100周年記念事業として、『次の100年もあなたとともに!』という標語を作って、会社の新商品販売コマーシャルやポスターに使用したりします。「お、ねだん以上!○○○」という言葉を使って、会社名・店舗名を印象付けるコマーシャルをしている例もあります。お菓子の「やめられないとまらない♪」や、物置の「100人乗っても大丈夫!」は誰でもご存知でしょう。このような標語や謳い文句を作成することを仕事にしている人もいます(糸井重里さん等)。キャッチコピーは、人に「なるほど!」と思わせる奇抜性があり、作成した人の創造性が発揮された言葉である一面もありますが、よくよく考えると、誰でも使っているありふれた言葉に過ぎない面もあります。
2.著作権って何?
「著作権」とは、著作物に関する使用権・利用権等での財産的価値が保障され、著作物を通じた著作者の人格的価値も保護されるという権利です。簡単に言えば、自分の著作物を第三者に勝手に利用されたり、改変されたりすることを禁止する権利です。
著作権が発生するためには、そのキャッチコピーが「著作物」でなければなりません。「著作物」とは、著作権法という法律で「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(著作権法第2条1号)と規定されています。
まず、前記「やめられないとまらない♪」や、物置の「100人乗っても大丈夫!」等の標語の数々は、単に、宣伝事項や注目事項のようなものをありふれた言葉で表記しているに過ぎないので、作者の独創性のある思想や感情を表現したもの(個性のある表現)ではなく、著作物とはいえないでしょう。
そもそも、俳句や短歌など文学性の高い場合を除き、キャッチコピーや本のタイトルなどの短い表現は、一般的には、ありふれた表現になりやすいといえます。
そのため、ありふれた表現であれば、著作者の個性が現れているともいえず、創作性がないとして、やはり著作物ではないとされることが多いと思われます。なぜなら、例えば、「風の歌を聴け」という本のタイトルに著作権を認めてしまうと、他の作家さんが「風」「歌」「聴け」のような言葉を組み合わせた表現ができなくなり、後の時代の人たちの表現の選択の幅がかなり狭められてしまうでしょう。これは文芸、学術、美術又は音楽の活動にとって良いことではありません。
短い表現は、以上のような理由で、著作物として認められるためにはハードルがかなり高いわけですが、個別的に検討する中では、「思想や感情の表現」「創作的な表現」として著作物性が認められることもあり得ます。商品に関するキャッチフレーズではありませんが、交通標語「ボク安心 ママの膝より チャイルドシート」という短いフレーズについて、創作性を認めた裁判例があります(東京地判平成13年5月30日:判例時報1752号141頁―但し、「ママの胸よりチャイルドシート」という標語が、交通標語「ボク安心 ママの膝より チャイルドシート」とは同一性はなく著作権は侵害していないとの結論になっています。)
3.裁判例
商品キャッチコピーに関する実際の裁判例を見てみましょう。
(1)著作権については、被告(旧・エス株式会社)の商品である英会話教材「エブリデイイングリッシュ」のキャッチフレーズは、原告商品である英会話教材「スピードラーニング」のキャッチフレーズの著作権侵害であると原告(株式会社エスプリライン)が主張して、被告(旧・エス株式会社)に対して、差止めおよび損害賠償を求めて訴えた事件(スピードラーニング事件―東京地裁平成27年3月20日判決:判例秘書L07030164、知財高裁平成27年11月10日判決:判例秘書L07020454)があります。原告会社と被告会社のキャッチフレーズは次の内容です。ほぼ同一です。
<原告のキャッチフレーズ>
① 音楽を聞くように英語を聞き流すだけ 英語がどんどん好きになる
② ある日突然、英語が口から飛び出した!
③ ある日突然、英語が口から飛び出した
<被告のキャッチフレーズ>
① 音楽を聞くように英語を流して聞くだけ 英語がどんどん好きになる
② 音楽を聞くように英語を流して聞くことで上達 英語がどんどん好きになる
③ ある日突然、英語が口から飛び出した!
④ ある日、突然、口から英語が飛び出す!
(2)東京地裁判決は、「原告のキャッチフレーズは、17文字の第1文と12文字の第2文からなるものであるが、いずれもありふれた言葉の組合せであり、それぞれの文章を単独で見ても、2文の組合せとしてみても、平凡かつありふれた表現というほかなく、作成者の思想・感情を創作的に表現したものとは認められない」として創作性(著作物性)を否定しています。
また、その控訴審である知財高裁判決は、同じく著作物性を否定しているのですが、
①「キャッチフレーズは、特定の商品や役務の宣伝・広告において、当該商品や役務を需要者に訴えかけるために用いられる比較的短い語句であるが、当該商品や役務の名称と一緒に表示され、その内容が、当該商品や役務の構造、用途や効果に関するものである場合は、当該商品や役務の説明を記述したものとして需要者に把握され、キャッチフレーズ自体には独自の自他識別機能又は出所表示機能を生じないのが、通常である。」
②「(広告におけるキャッチフレーズのように、商品や業務等を的確に宣伝することが大前提となっているので)アイデアや事実を保護する必要性がないことからすると、他の表現の選択肢が残されているからといって、常に創作性が肯定されるべきではない。すなわち、キャッチフレーズのような宣伝広告文言の著作物性の判断においては、個性の有無を問題にするとしても、他の表現の選択肢がそれほど多くなく、個性が表れる余地が小さい場合には、創作性が否定される場合があるというべきである。」としています。
これは、あるアイデアを表現するために選択肢が多くないのであれば、そこでの選択は個性の表れとはいえないので、著作物性が否定される方向になること、すなわち、著作物性の判断要素である「創作性」というものは、表現の幅がある中で個性を発揮する必要があるという原則を述べているものと理解されます。
以 上
農地の差押えと農作物の帰趨
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
〇 農地所有者Aの農業を承継した息子(耕作者B)が、差押えした農地に稲を作付けしている場合に、差押えの効力は稲にも及ぶのでしょうか?(落札者Cの農地 所有権の及ぶ範囲について)
(1)差押え時に田植えがなされていた場合
(2)差押え後に田植えがなされていた場合
に分けで教えてください。
<回答>
1 民法上の規定 不動産である農地に対して差押の効力が及ぶ対象の範囲については、法律上の明文の規定を欠いていますが、原則として、その不動産上の抵当権の効力が及ぶ範囲と同一であるとされており、次のとおり、抵当権の効力は、目的不動産とその付加一体物、従物、従たる権利に及ぶとされています。
* 民法第370条(抵当権の効力の及ぶ範囲)
抵当権は、抵当地の上に存する建物を除き、その目的である不動産(以下「抵当不動産」という。)に付加して一体となっている物に及ぶ。ただし、設定行為に別段の定めがある場合及び債務者の行為について第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合は、この限りでない。
* 民法第87条(主物及び従物)
物の所有者が、その物の常用に供するため、自己の所有に属する他の物をこれに附属させたときは、その附属させた物を従物とする。
2 従物は、主物の処分に従う。
* 民法第242条(不動産の付合)
不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。ただし、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。(附合物には従物も含む)
2 息子の権限は?➡農地の使用貸借契約の効力は?
「賃貸借を目的とした農地法3条の許可及び農業経営基盤強化促進法の利用権設定等で借り受けている農地」の場合には、利用権の解除権の行使等に制限もあって、対抗力も「引き渡し」でよいとされていますが、無償の使用貸借の場合は「引き渡し」があっても第三者対抗力は有しないとされています。
しかしながら、
(1)民法第242条但し書の「権原」は、賃貸借でも使用貸借でもよいし、対抗力を有しない土地譲受人が耕作して稲を生育させた場合でもよいとされています(大審院判例昭和17年2月24日)ので、対抗要件は不要という趣旨になろうかと思われます。ご質問の場合の耕作者Bは使用貸借権者として「権限のある者」であって、権限の無い者ではないということになります。
(2)「物を附属させた他人の権利を妨げない」とは、他人にその物の所有権を認めるという意味になりますので、田植えされた苗や稲穂は植えた人の所有物のままになります。
3 法的検討
構成物(土や草など土地と一体となる物)と従物(石灯籠や小さな農具入れ小屋など土地とは区別できるもの)の観点も含めて、以下のとおりの結論となるのが一般的な考え方になります。
(1)差押え時に稲が穂をつけるなど収穫が予定される程度になっていた場合には、稲の所有権は耕作者Bにあり、それを妨げることはできないので、公売時に無収穫状態で農地に植わったまま定着していたとしても、落札者Cは稲を取得することはできない。(民法242条但書)
(2)差押え時に稲が植え付けられたばかりの状態の場合は、稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難→稲苗の所有権は農地所有者Aに所属するので、公売時にその稲苗の状態のままであれば一緒に公売や競売できる。・・・ただし、稲苗を付合させた耕作者Bからの償金請求(不当利得返還請求)がなされる。(民法248条)
(3)差押え時に稲が植え付けられたばかりの状態の場合は、稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難であるが、公売時や競売時に収穫できる程度になっていた場合には、独立の所有権を認めることのできる「従物」に転化するので、「物を附属させた他人の権利を妨げない」ということから、耕作者Bに稲の所有権があることになり、公売時に無収穫であったとしても落札者Cは稲を取得することはできない。(民法242条但書)
(4)差押え後に耕作者Bが稲苗を植えた場合には、公売時や競売時に収穫できる程度になっていた場合には、差押えの及ばない独立の所有権を認めることのできる「従物」になるので、「物を附属させた他人の権利を妨げない」ということ以前に差押えが及んでいないので、耕作者Bに稲の所有権があることになり、公売時に無収穫であったとしても落札者Cは稲の所有権は取得できない。(民法242条但書)
(5)差押え後に耕作者Bが稲苗を植えた場合には、公売時や競売時に稲苗状態のままであった場合には、稲が植え付けられたばかりの状態では稲は農地の構成物➡稲苗に独自の所有権は認定困難→稲苗の所有権は農地所有者Aに所属するので、その稲苗の状態のままであれば一緒に競売できる。・・・ただし、稲苗の付合させた耕作者Bからの償金請求(不当利得返還請求)がなされる。(民法248条)。
↓↓
4 結論(まとめ)
農地の差押えの効力は、農地の所有権移転等の処分禁止の効力があるだけで、農地の使用権や利用権による耕作を禁止するものではないので、息子(耕作者B)に正当な農地利用権がある以上、使用権に第三者対抗力がないとしても、その利用権の結果は保護されることになり、その作物植え付け等の使用行為が差押え前であろうと差押え後であろうと、作物に関する権利や利益は耕作者Bに認めることが原則になります。 但し、公売での落札者Cに、農地の所有権以外に作物の所有権も移転できるかという作物の所有権の問題を検討するならば、差押えの時点ではなく、公売の時点で
(1)農地とは別の所有権対象となる「従物」=「実が附いた状態の稲」「収穫状態の稲」の時には、農地の公売で農作物の稲は落札者Cには所有権移転せず、農地の所有権だけが農地所有者Aから落札者Cに移転し、作物の稲は耕作者Bに残り、耕作者Bが収穫できることになります。
(2)他方、農地とは別の所有権にならない「構成物」=「種を蒔いた状態」「田植えしたばかりの状態」のときは、種や苗の所有権(農地所有者Aの所有権)の中で一緒に公売で落札者Cに移転し、耕作者Bは種や苗の所有権は消失することになるのですが、その分の償金(不当利得金)を落札者C又は農地所有者Aに請求できる権利が残されます。この場合、落札者Cは耕作者Bに償金を払うくらいなら、公売後、耕作者Bに収穫時期まで有料で賃貸し収穫物から利益をもらう方法がよいと考えるなら、耕作者Bとのそのような新たな契約をすればそのような対応でも可能であるということになります。
以 上
妊娠・出産・中絶等の生殖補助医療における自己決定の権利について~ 男性に「子どもをもうけることの自己決定権」があるの? ~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.今の日本社会では、精子や卵子の保存技術の発達により、必ずしも合意の性行為が必要なく、受精及び出産をすることが可能となったことから、男性との合意なく女性が当該男性の子どもをもうけることも事実上可能な時代になっています。
2.日本国憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めてあり、ここに定める「幸福追及に対する国民の権利」は、個人の人格的生存に不可欠な権利・自由を包括する「基幹的な人格的自立権」とされ、「幸福追求権」には、身体・精神・経済的自由のほか、(a) 人格価値そのものにまつわる権利(名誉権・プライバシー権・環境権など)、(b) (狭義の)人格的自律権(自己決定権)、(c) 適正な手続的処遇を受ける権利などが含まれ、特に、(b)の「自己決定権」に含まれるのは、① 自己の生命、身体の処分にかかわる事柄、② 家族の形成・維持にかかわる事柄、③ リプロダクション(=生殖)にかかわる事柄、④ その他の事柄(服装・身なり・外観、性的自由、喫煙、飲酒など)であるとされています。
3.今回は、自己決定権のひとつの場面である「リプロダクション(=生殖reproduction)にかかわる自己決定権」について検討してみましょう。
日本での「生殖」に関する法的制度としての妊娠中絶や出生前検査に関する法的規制をみると、刑法が堕胎罪の規定を置く一方で、母体保護法14条1項がいわゆる「経済的理由」による中絶を認めていることから、ほとんどの中絶がこの経済的理由による中絶条項にもとづいて行われており、法令による行為として刑法の堕胎罪の違法性が阻却されています。一方で、胎児の障害を理由とする妊娠中絶を認める、いわゆる「胎児条項」は存在していません。
しかしながら、中絶に関わる「自己決定権」は、先に述べたように憲法上の権利の原形(本源的権利・基幹的権利)であり、これを日本国憲法の規範体系の下に位置づけるとすれば、1人1人の人間を、個人は尊重すべきことをうたった日本国憲法第13条にその憲法上の根拠を求めることができるわけです。
かかる観点からは、日本の法制度において「生殖」に関する権利を定める制度がないとしても、そもそも自己決定権の保障の中で、「人が安全で満足のいく性生活がもてること、子供を産む可能性をもつこと、さらに産むかどうか、産むならいつ何人産むかを決める自由が認められていることになります。「リプロダクション(=生殖)にかかわる自己決定権」として、妊娠・出産・中絶等の自己決定権が保障されているわけです。
このような権利は、主に女性にとっての自由と考えられてきましたが、男性にとっても「子どもをもうけることの自己決定権」も認められた判例が現れました。<女性がその男性の子どもが欲しいと願っても、その男性の同意が必要になるか?>という問題になります。
本来は、男性及び女性の合意と性行為がなされないと子供はもうけられないのですが、精子や卵子の保存技術の発達により、必ずしも合意の性行為が必要なく、受精及び出産をすることが可能となったことから、改めて、「子どもをもうけることの自己決定権」に基づく男女の「合意」が求められることになってきています。
4.判例上、男性の「子どもをもうけることの自己決定権」が認められた判例を紹介しましょう。大阪地裁令和2年3月12日判決―(判例時報2459―3)及び大阪高裁令和2年11月27日判決―(法学セミナー2021年12月号114頁)です。
事案の内容は次のとおりです。
(1)原告Ⅹ(男性・夫)と被告Y(女性・妻)は平成22年7月に結婚し、平成25年頃からAクリニックで不妊治療をしていた。
(2)平成26年4月に原告Ⅹと被告Yは不仲となり別居生活となった。
(3)上記別居前に、Aクリニックの不妊治療のための再度の精子提供の要請に同意して、原告ⅩはAクリニックに精子提供をした。Aクリニックで、原告Ⅹの精子と被告Yの卵子の受精卵が培養され凍結保存されていた。
(4)平成27年4月、被告Yは子供をもうけたいという決心で、原告Ⅹの同意書を作成してAクリニックに提出して、Aクリニックから受精卵の移植手術を受けた。
(5)被告Yは妊娠して、子供を出産した。(子供はⅩYの推定嫡出子での届出)
(6)原告Ⅹと被告Yは、平成29年11月に正式に協議離婚した。
(7)原告Ⅹは、被告Yに対して、受精卵提供のⅩ名義の同意書を被告Yが偽造して妊娠したのは、原告Ⅹの「子をもうけることについての自己決定権」を侵害する不法行為であるとして、慰謝料2,000万円の損害賠償請求の裁判を提起した。
5.このような事案に関して、裁判所は、次のように判断しています。
「個人は、人格権の一内容を構成するものとして、子をもうけるか否か、もうけるとしてもいつ、誰との間でもうけるかを自分で決めることのできる権利、すなわち、子をもうけることについての自己決定権を有する。」
「原告Ⅹ(男性)は、本件移植が行われるまでの約1年間、Aに対し凍結保存受精卵(胚)を被告Y(女性)に移植しないように求めたことはないものの、それに関する問い合わせすらしていないのであるから、少なくとも、被告YやAに対して、当該凍結保存受精卵(胚)の移植について、積極的な同意を明示した事実があったとは認められない。」
「夫婦の間においても、子をもうけるか否か、もうけるとしてもいつもうけるかは、各人のその後の人生に関わる重大事項であるから、夫婦の別居以降、子をもうけることについて原告Ⅹが積極的な態度を示していなかった経緯を踏まえると、本件移植を受けるに先立って、改めて原告Ⅹの同意を得る必要があったことは明らかであった。ところが、被告Yは、原告Ⅹの意思を確認することなく、無断で本件同意書に本件署名をしてAに提出し、本件移植を受けたのであるから、被告Yの一連の行為は、原告Ⅹの自己決定権を侵害する不法行為に当たる。」
(判決結果)「被告Y(女性)は、原告Ⅹ(男性)に対して、慰謝料500万円とDNA鑑定費用等、合計約559万円の慰謝料等を支払え。」
以 上
民法改正による契約不適合責任について(分譲地の売買と地盤改良が必要となった場合の負担責任)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
Ⅿ町から次のような法律相談がありました。
(例)平成○年Ⅿ町分譲地の地盤調査 … 地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘された。
令和△年 9月28日 本件宅地の分譲決定を買主甲に通知
※契約書等でも地盤が軟弱である可能性がある個所の存在は指摘していない。
令和△年10月 4日 買主甲が地盤調査
令和△年10月13日 分譲宅地売買契約の締結
令和△年10月29日 譲渡代金の支払い・受領(280万円程度)、移転登記申請
※買主甲は家を建築するために地盤改良が必要となり、費用123万2,000円を負担した。➡売主Ⅿ町が負担すべきか。(賠償すべきか)
(弁護士の回答)
家を建築するために地盤改良が必要となるほどの地盤が軟弱であったことは、売買契約の目的物に、旧民法の「瑕疵」又は新民法(2020年4月施行後の民法)の「契約不適合」に該当すると考えます。以下、説明します。
1.民法改正
民法改正により、「瑕疵担保責任」は、「契約不適合責任」に変わりました。瑕疵担保責任と契約不適合責任の違いをまとめると以下の通りです。
項 目 | 瑕疵担保責任 | 契約不適合責任 |
法的性質 | 法定責任 | 契約責任 |
要 件 | 隠れたる瑕疵 | 契約の内容に合致しない場合 |
買主が請求できる権利 | 1. 契約解除 2. 損害賠償請求 |
1. 追完請求(562条) 2. 代金減額請求(563条) 3. 催告解除(541条) 4. 無催告解除(542条) 5. 損害賠償請求(415条) |
損害賠償責任 | 無過失責任 | 過失責任 |
損害の範囲 | 信頼利益 | ※履行利益(信頼利益も含みます) |
・隠れた瑕疵とは、買主が通常の注意を払ったにも関わらず発見できなかった瑕疵
2.契約不適合責任
契約不適合責任は、「種類、品質または数量に関して契約の内容に適合しないものがあるとき」に売主が責任を負い、買主が保護されるという制度を言いますが、宅地上に建物を建てる場合に、建物が建たない軟弱な地盤は、品質に関して不適合があることになります。
(1)売主Ⅿ町に過失がない場合
まず、改正後の新民法の契約不適合責任においては、損害賠償請求は過失のある場合のみに認められることになりました(新民法第415条1項但書 売主に過失(責めに帰すべき事由)がある場合のみに認められます。)ので、売主Ⅿ町に過失がない場合には、買主甲は売主Ⅿ町に対して損害賠償請求はできませんが、以下の請求ができます。
<1>新民法第562条 「修補請求」は、軟弱地盤の強度補強工事を行うという意味での修補になりますが、買主甲において修補されているので、次の「売主が修補しない場合」に準ずる対応をすることになります。
<2>新民法第563条 「代金減額請求権」は、追完請求の修補請求をしても売主Ⅿ町が修補しないとき、あるいは修補が不能であるときについて認められる権利であるので、買主甲は、自分で修補した分だけ代金を減額請求できます。
本件の場合の減額請求は、売主Ⅿ町が修補(地盤沈下調査及び改良工事)をした場合の費用分に相当することになりますが、買主甲の依頼した地盤改良工事代金(123万2,000円)が、相場の価格かどうか(100万円程度ではないかどうか等)を調査して判断することになるでしょう。その上で相場分の代金の一部を返還をすることになります。なお、上記<1>の修補請求を受けて売主Ⅿ町が自ら修補する場合には、地盤改良工事代金相場の価格(例えば100万円)で注文して修補するでしょうから、実際に買主甲の依頼した地盤改良工事代金(123万2,000円)を買主甲が負担したとしても、相場分(例えば100万円)に相当する代金の一部を返還をするだけになるわけです。
(2)売主Ⅿ町に過失がある場合
売主Ⅿ町が、売買契約時に「宅地の一部分に軟弱箇所がある」ことを説明し、その点を契約書に記載し、買主甲も、その旨了解していた場合には、契約上の「不適合」とはならないのですが、それを知りながら、買主甲に軟弱地盤を説明していない場合には、信義則上の説明義務違反(過失=責めに帰すべき事由)があることとなります。
この場合には、売主Ⅿ町に損害賠償責任が発生します。(新民法第415条)
新民法の契約不適合責任における損害賠償請求の範囲には信頼利益のみならず履行利益も含みますので、実際に支出した地盤改良工事代金(123万2,000円)が損害額になります。この点、代金減額請求においては、地盤改良工事代金相場の価格(例えば100万円)を基準にする場合と異なることになりますが、この点は無過失責任と過失責任の違いということになろうかと思います。
(結論)
本件相談事例では、売主Ⅿ町は地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘されながら、そのことを買主甲に何ら説明もしないで分譲売却していると思われます。なぜ、そのような分譲手続きになったのか、分譲代金は通常の取引より格安にしているのかどうか、土地改良工事代金の見積は適正か否か等の実態がよく分かりませんが、少なくとも、このような分譲の仕方では、「過失(=責めに帰すべき事由)」のある契約不適合責任を負うと判断されます。なお、売主Ⅿ町にこのような過失がある場合には、買主甲は、損害賠償請求ではなく、上記の代金減額請求による減額(一部代金返還)の方法で解決することも可能です。
しかし、買主甲は、実際の地盤改良工事代金そのものを売主Ⅿ町に出して欲しいという場合には、代金減額請求ではなく、損害賠償請求として、地盤改良工事代金全額の支払いを求めることのほうが有利になろうかと思います。
3.本件問題の予防策
(1)本件のトラブルの原因は、地盤の弱いところがあり改良の必要性を指摘されながら、売主Ⅿ町担当者が分譲契約書等、目的物説明においても、地盤が軟弱である可能性がある点を明言しないで分譲売却していることにあります。人に商品としての不動産を売却するには、当該商品である不動産を通常の品質で売れる状態にしてから、分譲売買するべきです。その観点からの予防策としては、
○正常な状態の契約をするために売主M町が軟弱地盤の改良を行った上で、分譲売買手続きを行う方法にする。
をまずは考えることになります。
(2)売主Ⅿ町の経済・予算事情等その他の事情により、地盤の弱いところがあっても、格安で分譲することを優先したい政策であるような場合は、いわゆる契約不適合箇所があることを前提にしながら、新民法上の契約不適合責任は負わないという特約付きで分譲売買契約を行うことができるのでしょうか?その点については、新民法上の契約不適合責任規定が強行規定なのか、任意規定なのかで結論が異なりますが、新民法572条では「担保の責任を負わない旨の特約をしたときであっても、知りながら告げなかった事実及び自ら第三者のために設定し又は第三者に譲り渡した権利については、その責任を免れることができない。」と定めていますので、地盤の弱いところがある旨の説明をした上で、買主甲の責任で調査及び改良工事を行う旨の契約をすることは許されるものと考えます。その観点からの予防策としては、
○軟弱地盤がある場合には、買主甲の責任で調査及び改良工事を行う(売主は契約不適合責任を負わない)旨を契約書に明記する。
という方法も考えることができます。
以 上
地方自治体事務での書類の送付方法について(なぜ、ハガキや普通郵便が多用されているか?)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
<問題>
地方税の督促状などの文書について、納税者からすると郵便ポストに知らないうちに郵送されており、他の郵便物と一緒に間違って破棄したりする危険性があるのですが、重要な書類を普通郵便で送付すること自体問題ではないでしょうか。
仮に、納税関係の種類だけでなく、役所からの水道料や下水道使用料などの督促状なども普通郵便で送付されることがあるのでしょうか。
≪解説≫
1.地方自治体が納税者等に普通郵便で書類を送付した場合に、普通郵便では実際に宛名人へ到達したかどうかの記録は残りませんし、把握することもできません。そういう場合には、郵便を受けたとされた本人は、問題文のように自分で誤って破棄している場合でも、「自分はそのような郵便は受け取っていないし、そのような文書は見ていない。大事な文書であれば、書留郵便か配達証明郵便で送るべきだろう!」と抗議してくると思われます。
ただ、実際には、本当に郵便が届いていない場合(郵便窃盗事故、郵便廃棄隠匿事故等)もあり得ますし、そもそも送っていないという可能性もあります。そういう争いを生じさせる書類郵送の方法はいかがなものか、と思われる一般市住民は多いだろうと思われます。
2.納税関係書類の送付が通常の取扱いによる郵便で行われた場合については、地方税法第20条第4項及び第5項の定めがあります。
[地方税法第20条]
1 地方団体の徴収金の賦課徴収又は還付に関する書類は、郵便若しくは信書便による送達又は交付送達により、その送達を受けるべき者の住所、居所、事務所又は事業所に送達する。ただし、納税管理人があるときは、地方団体の徴収金の賦課徴収(滞納処分を除く。)又は還付に関する書類については、その住所、居所、事務所又は事業所に送達する。
2~3(省略)
4 通常の取扱いによる郵便又は信書便により第一項に規定する書類を発送した場合には、この法律に特別の定めがある場合を除き、その郵便物又は民間事業者による信書の送達に関する法律第二条第三項に規定する信書便物(第二十条の五の三及び第二十二条の五において「信書便物」という。)は、通常到達すべきであつた時に送達があつたものと推定する。
5 地方団体の長は、前項に規定する場合には、その書類の名称、その送達を受けるべき者の氏名、宛先及び発送の年月日を確認するに足りる記録を作成しておかなければならない。
県税事務所の納税通知事務を例にあげて、簡単にこの条文の内容を説明しますと、
「一般の郵便で税金に関する書類を送った場合は、『通常到達すべきであった時』にその書類が届いたと推定する。ただし、この規定を使うためには、県税事務所は税金に関する書類の名称・送付先の氏名・宛先・発送年月日を確認できる記録を作っておかなくてはならない」とされています。
つまり、県税事務所が納税通知書や督促状の発送時に、送り先や発送日の記録を残しておけば、宛先である納税義務者に実際に届いているかどうかに係わらず「通常到達すべきであった時」、例えば普通郵便で発送し宛先が同じ県内なら(常識的に考えて)発送から2~3日程度後には発送先へ到着したとみなしてよく、だから、費用の安い普通郵便で送ってよい、という理解がなされています。
そして、このような定めがある以上は、納税義務者が「いや、本当に届いていないんだ」と主張するためには、納税義務者の側が引越しや郵便事故等で届かなかったことを立証しなくてはいけないのです。
このような法律の定めをした理由は、一つは、納税通知などの多数の者への通知について、行政上の手続きの軽減と費用負担軽減を図る趣旨があり、もう一つは、そもそも税を納めるのは国民・住民の義務であり、本来は通知がなくても国民のほうから納めるべきものであるという税に関する理念があるのだろうと思われます。
3.それでは、税関係書類ではなく、それ以外の公文書、公的な通知書の送付の場合にも、普通郵便やはがきによる送付で良いのでしょうか?
私が行政の法律相談等の際に個人的に認識できた範囲では、水道料金や下水道料金の支払通知書は、「はがき」で行われているようですし、公営住宅の延滞家賃の督促も「普通郵便」で行われているのではないかと思います。行政処分通知書を普通郵便で送付している例もあったかと思います。
実は、地方自治体の事務手続きとしての書類の送達については、地方自治法第231条の3第1項、第2項、第4項に次のような定めがあり、地方税の規定を準用しています。
「1 分担金、使用料、加入金、手数料及び過料その他の普通地方公共団体の歳入を納期限までに納付しない者があるときは、普通地方公共団体の長は、期限を指定してこれを督促しなければならない。」
「2 普通地方公共団体の長は、前項の歳入について同項の規定による督促をした場合には、条例で定めるところにより、手数料及び延滞金を徴収することができる。」
「4 第一項の歳入並びに第二項の手数料及び延滞金の還付並びにこれらの徴収金の徴収又は還付に関する書類の送達及び公示送達については、地方税の例による。」
この規定によれば、書類の送達に関する地方税法第20条第4項、第5項の適用があるのは「分担金、使用料、加入金、手数料、過料その他の普通地方公共団体の歳入」という「債権」の「徴収・還付」に限られるということになります。
(1)「分担金」とは、特定の事業により特定の利益を受ける受益者に経費の分担を求めるもので(地方自治法第224条)、下水道事業負担金(都市計画法第75条)などがあります。
(2)「使用料」とは、公の施設(地方自治法第244条)の利用の対価であり(地方自治法第225条)、下水道使用料(下水道法第20条)などがあります。
なお、水道使用料は、水の売買代金としての私債権であり(東京高裁平成13年5月22日判決、最高裁平成15年10月10日判決)、使用料としての公債権ではないとされ、普通財産の使用(公営住宅の使用許可)の対価も契約による賃料債権(私債権)であり(最高裁昭和59年12月13日判決)、使用料としての公債権ではないとされています。
公立病院の診療代金請求権も、同様に私債権であるということになります(最高裁平成17年11月21日判決)
(3)「加入金」とは、慣習により公有財産の使用権(入会権等)を有しており、新しく使用を許されたものに対して「特別の使用権付与の対価」として一時的に賦課するものを言います(地方自治法第226条、第238条の6第2項)。
(4)「手数料」とは、特定の者のためにする事務又は役務の提供の反対給付としての金銭であり(地方自治法第227条)、身分証明書や印鑑登録証明書の発行手数料等などがあります。
(5)「過料」とは、行政上の義務違反者に対して制裁として科せられる行政秩序維持のための制裁であり、地方自治法第14条第3項は、「普通地方公共団体は、法令に特別の定めがあるものを除くほか、その条例中に、条例に違反した者に対し、二年以下の懲役若しくは禁錮、百万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑又は五万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」と定めています。この規定は、平成11年の「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」によって加えられたものです。さらに、同法第228条は、「詐欺その他不正の行為により、分担金、使用料、加入金又は手数料の徴収を免れた者については、条例でその徴収を免れた金額の五倍に相当する金額(当該五倍に相当する金額が五万円を超えないときは、五万円とする。)以下の過料を科する規定を設けることができる」とし (第3項)、かつ、「分担金、使用料、加入金及び手数料の徴収に関しては、次項に定めるものを除くほか、条例で五万円以下の過料を科する規定を設けることができる」としています (第2項) 。(これらの規定は、いずれも過料を科すには、条例の定めを要するものとしていますが、以上のほかに、同法第15条第2項は「普通地方公共団体の長は、法令に特別の定めがあるものを除くほか、普通地方公共団体の規則中に、規則に違反した者に対し、五万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」と定めていて、規則の制定は、首長の権限に属する事務であるので(同法第15条第1項)、その点において、条例に定める過料と規則に定める過料と所管の線引きがされることになりますが、過料の徴収等の手続きには差異はありません。)
(6)「普通地方公共団体の歳入」とは、「会計年度ごとの一切の収入」を意味し、地方税、分担金、使用料、加入金、手数料、過料、地方債、地方交付税、地方譲与税、国庫支出金、財産売払収入金、他会計からの繰入金」が含まれるとされています。 この解釈として、①普通地方公共団体の歳入となるものであれば、その債権は公法上の債権であろうが、私債権であろうが、その徴収手続には、到達推定規定(地方税法第20条第4項、第5項)の適用があるとする見解と、②到達推定が働くのは地方自治法第231条の3の公法上の債権の例に示されるものに限定され、私債権については到達推定は認められないので、私債権の送達には配達証明を付するなどが必要であるとする見解もあるのですが、私見としては、地方公共団体が一括送付を必要とする事情は、公法上の債権であろうが、私債権であろうが変わらないことから、前者の見解(私債権でも歳入として調定されれば到達推定が働く)でいいのではないかと考えます。
しかし、歳入に全く関係しない「行政処分の通知」や「監査手続きでの監査請求人への通知」等については、その到達の有無について争いが生じた場合に、到達推定規定は全く働かないので、相手方住民に到達したということを行政側が立証しなければいけません。
従って、このような書類の送付方法としては、その到達を直接立証できる、「配達証明郵便」又は「直接の交付」(受取書受領)によって行わなければならないだろうと考えています。
4.到達推定規定の適用に関する判例
地方自治体の歳入債権の徴収文書を普通郵便で送付した場合には、規定上「到達の推定」があるだけであり、推定である以上は、納税義務者から、その推定を破る証拠が提出されると、「到達していない」と認定される場合もあるということになります。
例えば、本人への未到着以外に、近隣全体に郵便物未到着例が多く発生していたとか担当郵便局員が未配達隠匿していたというような事実が立証される場合などが考えられます。
そのような観点で、問題となった事例の判決がWeb上で二例紹介されていましたので、引用しておきます。
○東京地裁平成27年4月28日判決(判例集登載なし―(情報提供:株式会社ロータス21)
非居住者である原告が指定した納税管理人の住所に納税通知書が到達しなかったことを理由に、原告がY区に対し納税通知書の送付が前提となる督促処分の取消しを求めた事案において「自己への書籍が配達されなかったという出来事の他に、自己の住所に郵便物などの不達(誤配など)が相当数発生していたと認めるに足りる証拠はなく、地方税法第20条第4項の推定を覆すに足りないので、送達があったものと判断する。」
○東京地裁平成27年4月23日判決(判例集登載なし―情報提供:株式会社ロータス21))
納税通知書の不達で期限内納付ができず延滞税が発生したとして、原告がY市に対し延滞税の還付を請求した事案において、「地方税法第20条第4項の推定規定によれば、送達の立証義務は徴収者が負うものではなく、納税者である原告において、近年の郵便物の不配事件の発生の事情や納税通知書が送られていれば納税しない理由はないという事情は、本件納税通知書に関し郵便事故が発生したことを伺わせるほどのものとは言えないので、送達があったものと判断する。」
5.結論
<問題>への回答としては、「重要な書類を普通郵便で送付すること自体問題ではないでしょうか。」については、問題がないとは言えませんが、郵便が着いたかどうかについては、地方自治体が法的に救済される場合があります。
「仮に、納税関係の種類だけでなく、役所からの水道料や下水道使用料などの督促状なども普通郵便で送付されることがあるのでしょうか。」については、普通郵便でなされる例が多いと思います。その場合にも郵便が着いたかどうかについては、地方自治体が法的に救済される場合があります。
以 上
地方公務員の兼業禁止規定と運用例~地方公務員法第38条と太陽光発電販売について~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談事例)
○〇町の職員が、「親から相続した遊休地を利用して、太陽光発電施設を作り41kw程度の電気販売を行いたい。管理業務は親戚等に任せる。」との内容で、営利企業従事許可申請をしてきた。○○町としては、許可・不許可の判断をどのようにすればよいか。許可基準を定めた○○町の条例や規程はない。設備設置費用3,000万円は銀行融資を受ける予定とのことである。
≪回答≫
1.日本テレビ2023年1月期水曜ドラマ「リバーサルオーケストラ」という番組がありますが、その第1回放送で、~~主人公である谷岡 初音(門脇 麦)は市役所で働く地味な職員であるけれども、実は、少女時代から天才ヴァイオリニストであり、音楽の表舞台には出なくなっても、密かに自宅で音楽教室を開いて子供たちに教えながらヴァイオリン演奏や練習は続けていた。市の交響楽団のコンサートマスターに無理やりにでも迎えたい有名指揮者・常葉 朝陽(田中 圭)から、「これを受けてくれないと、あなたの地方公務員法第38条違反行為を市役所に言いますよ。いいんですか。」と言われて、谷岡 初音(門脇 麦)は「私は、音楽教室の生徒たちには無償で教えているだけですよ。」と切り返す~~という場面がありました。そこには、地方公務員法第38条の条文の字幕とセリフが出ていました。
2.地方公務員法第38条の規定は以下のとおりです。
「1 職員は、任命権者の許可を受けなければ、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下この項及び次条第1項において「営利企業」という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。ただし、非常勤職員(短時間勤務の職を占める職員及び第22条の2第1項第2号に掲げる職員を除く。)については、この限りでない。
2 人事委員会は、人事委員会規則により前項の場合における任命権者の許可の基準を定めることができる。」
この規定は、公務員の利益目的行為を業として行うこと(営利企業経営)は認めないことを原則としており、許可を受けることで例外的に認めるという内容ですが、許可の要件に該当すれば全て許可しなければならないという性質のものではありません。○○町の条例等でその許可基準がなくても、任命権者の裁量行為として許可することも許可しないことも可能ということになります。 原則は許可しない(禁止)であり、例外として許可するという制度であることから、許可しないことに一定の合理的理由がある場合又はどちらか判断が困難な場合には「許可しない」という取扱いでもよろしいかと思います。
そもそも、公務員の兼業禁止・営利目的行為の禁止の趣旨は、公務員の信用失墜行為の禁止(国家公務員法第99条、地方公務員法第33条)、守秘義務の遵守(国家公務員法第100条、地方公務員法第34条)、職務専念義務(国家公務員法第101条、地方公務員法第35条)それぞれに抵触する危険性が生じることに基づくものです。かかる観点からの危険性があるということで、許可しない方向での合理的な理由は認められやすいでしょう。 その点、そのような許可されない方向での解釈に対して、ドラマ「リバーサルオーケストラ」の谷岡 初音(門脇 麦)は、音楽教室としての事業は行っているけれども、無償で行っているので、営利目的行為でもなく報酬も得ていないので地方公務員法第38条の兼業禁止規定には違反していないと積極的に反論しているわけですね。
3.太陽光発電施設による電気販売行為について
ところで、営利が生じる兼業に関して、本件相談事例のような太陽光発電施設による電気販売行為について、国家公務員に関しては、人事院規則14-8で、営利企業の兼業規定により、10kw以上の太陽光発電販売は営利事業従事の許可を要するとしており(他に、賃貸業に関しても独立家屋5棟以上、アパート10室以上、賃貸料収入が年額500万円以上といった基準で営利事業としている)、更に、許可(承認)基準としては、職務との利害関係が生ずるおそれがないこと、電気販売の管理業務を事業者等に委ねて職員の職務遂行に支障が生じないことが明らかであること等が定められています。
地方公務員の場合には、かかる基準を直接定める通達は見受けられませんが、令和2年1月10日付け総務省自治行政局公務員部公務員課長通知の中で、平成31年(2019年)4月26日付「『職員の兼業の許可について』に定める許可基準に関する事項について」(内閣官房内閣人事局参事官通知)等の既存の通知や国家公務員法、人事院規則等を踏まえ、各地方公共団体において詳細かつ具体的な許可基準を設定すべきである」としていますので、定めていない場合においては、国家公務員に準じて許可・不許可の判断をすればよいだろうと思われます。なお、上記通知によれば、都道府県及び市町村の約4割程度で兼業許可に関する基準を定めているという調査結果が示されています。
本件相談事例の申請者職員は、管理業務は親戚等に任せると言っているようですが、親戚による事実上の管理では、一事業者としての管理を徹底してくれる必然性もなく、当該管理者に当該職員が全権一任するということにもならない可能性があり、申請者職員がかかる事業管理に関わっている間は公務遂行はできないわけなので、「職務遂行に支障が生じないことが明らかである」とまでは言えないのではないか、と判断できるのではないでしょうか。
また、既に所有している遊休不動産を単に賃貸して賃料収入を得ている公務員や実家の農業を承継して農業所得を得ている公務員などが散見される実情があるとは思います。このように、既にある所有物を利用したり、既にある収益行為を引き継いだりする収益事業とは異なり、本件相談事例のように新たな設備を買い入れて電気販売を行うという形態の場合、その事業性及び営利性は高くなり、「公務に精励せずに金儲けばかりに奔走しているのではないか」という批判を浴び兼ねず、公務員の信用失墜の可能性も高くなるため、兼業禁止の原則にそぐわないだろうと思われますので、原則的には「不許可」とするのが妥当ではないかと思います。
4.公務員の兼業禁止を緩やかに(運用例と今後の方向性)
本件と関連して、地方公務員の兼業禁止の運用に関しては、故安倍晋三氏の第3次・第4次安倍内閣で平成29年から施行された「働き方改革」の下で、労働貢献の範囲を拡大するメリットに注目して、兼業を幅広く認めていく運用が求められてきています。
まず、国において平成29年3月の「働き方改革実行計画」を踏まえて、平成30年1月に「副業・兼業の促進に関するガイドライン」が策定され、副業・兼業の普及促進が図られ、同年6月に内閣府の日本経済再生本部から出された「未来投資戦略2018」では、国家公務員の兼業に関し、円滑な制度運用を図るための環境整備を進めると示されたことにより、平成31年(2019年)3月28日付「『職員の兼業の許可について』に定める許可基準に関する事項について」(内閣官房内閣人事局参事官通知)により、国家公務員の兼業の許可基準が明確にされ、兼業が認められる方向性が示されつつあります。
また、厚生労働省の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」の解釈例として、① 労務提供上の支障がある場合、② 企業秘密が漏洩する場合、③ 会社の名誉や信用を損なう行為や、信頼関係を破壊する行為がある場合、④ 競業により、企業の利益を害する場合に該当しない場合には、民間企業従業員においては、株式・FX・仮想通貨などの投資は、自己資産形成の手段として行うものであるため、許可が必要な副業にはあたらないとする見解もあります。
ただし、公務員の場合においては、「地方公務員として信用を失わない活動」又は「本業に支障をきたさない活動」という観点等から、投資関係に関わる時間や取引金額等を勘案して、条件付で許可が必要な場合があると思われます。
地方自治体においては、神戸市は職員の副業解禁の先進事例自治体であり、職員の副業解禁を平成29年4月から実施しています。「地域貢献制度」と呼ばれ”営利企業への従事等のうち社会的・公益性の高い継続的な地域貢献活動に、報酬を得て従事する場合の取扱いを定めており、同様の制度を平成29年8月奈良県生駒市、平成30年10月宮崎県新富町などが定めています。宮崎県新富町の「地域貢献活動を行う職員の営利企業等の従事制限の運用について」の基本的基準としては、人口減少で深刻化している人手不足解消の対策として、在職6か月以上の一般職員(会計年度任用職員を除く)において、勤務時間外で地域に貢献する活動という基準を満たせば副収入を得ることを認めています。農家での就労、スポーツやお祭りなど地域行事の支援を想定しているようです(全国町村会平成31年1月14日付町村スポット記事があります)。それぞれに共通する要件としては「地域に貢献する活動であること」「公務勤務時間外の活動であること」「適正な報酬であること」があれば地方公務員の兼業としての副収入を認めていく方向の取り扱いをするものです。
各業界の労働力不足が懸念されていく少子高齢化社会において、「地域貢献」「労働力活用」をキーワードに、地方公務員の兼業禁止規定も例外運用が拡大されていくのかもしれません。
以 上